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  い  ず  おうしま        お    し
伊豆大島で、会う日まで・・’96追いコン旅行公式旅行記

1日目 2日目 3日目 4日目

3月11日(1日目)

「まずい」バスが渋滞に巻き込まれ、焦る。いわき駅に着いたのが発車5分前。窓口で某社名寄駅から手に入れたピンクの青春18きっぷに日付を入れてもらい電車のロングシートに落ち着いたと同時に水戸行きが発車した。発車後ガイドブックを忘れたことに気づいた。波瀾万丈の旅行の始まりだ。

水戸で乗り継ぎボックスシートに座る。しばらくして中学生の女の子と叔母さんらしい2人が座った。会話がなぜか親子のようだ。彼女曰く、「私高校卒業したら声優になるの。」叔母はその話にあいずちを打つのみだったが、「がんばれ」と私は心の中でエールを送った。

上野から京浜東北線で新橋に下車。荷物をコインロッカーに置き、身軽に。その足で鶴見へ向かう。目的はもちろん「あれ」だが武蔵白石へいくと電車がない。10時から16時まで空っぽだ。17時集合には間に合わないので仕方なくあきらめることにする。同じような目的でがっかりしている人もいたので、なぜか笑ってしまう。とりあえず新宿に戻り、紀伊国屋書店へ。「旅に基本は地図」という私のポリシーから、国土地理院の地形図を買うためだ。しかしない。困ったので小田急百貨店の三省堂へ行くとあった。5万分の1と2万5千分の1があったので、1枚に収まる5万分の1を購入。しかしこれが2日目の失敗につながってしまう。

というのも、今回の春旅行は伊豆大島の観光のみならず旅行同好会に約2・3名いると思われるめぐり人「ぱるらー」完全対応のスケジュールだから。この事についてはほかのページに書いてあると思うので参照してください。

急いで新橋駅に戻り集合場所のSL広場にいくと17時ちょうど。寺村さんその他の温かい歓迎を受ける。しかし時間が余ったので、われわれは牛丼を食べた後レインボーブリッジを見にゆりかもめへ乗り込んだ。芝浦ふ頭で降りてレインボーブリッジへ向かうが6時で終了していた。それでも進むとタイミングよく警備員が降りてきて「おい、もう終わってんだぞ」と叱られた。心にむかつきを感じながらレインボーブリッジを後にした。その後竹芝行きの切符で有明までの往復をするというキセルまがいの行為をしてしまう。あまりの乗客の少なさに「ほんとに(経営が)やばいんじゃねえか」と青島の愚行に怒りを感じ得ない。しかしその後新聞に「ゆりかもめ好調」の記事が。それによると夜のデートスポットとして人気で1日2万9千人の予定に対し2万5千人と健闘してるという。これで第1目標である「ゆりかもめの増収協力」を達成することができた。

竹芝に7時半に集合し、乗船券を購入。しかし乗船時刻が9時40分というのもおかしなもんで、2時間近く暇ができてしまった。澤田さんに「もっとゆっくりきてもよかったんじゃねー」と言われてしまい自分のプランニングの甘さを反省しました。すいません皆さん。今度の夏旅行ではこんなことないようにしますんで。

22:00に夜景を見ながら竹芝を出港。さらば本州!しかし船室が1番下の方で機械の音がうるさい。それに空気も乾燥しているので喉・鼻ともやられている私にとってつらい夜でした。次の朝、無情にも「岡田に入ります」との放送。さてどーする旅行係!緊迫の2日目はすばらしきスワローズファン和美さんへつづく!

(注)「ぱるらー」とは総合通帳「ぱ・る・る」を語源にした郵便局めぐり人の愛称。これからはみんな「ぱるらー」と呼ぼう!

文責:本当に青島むかつくぞ行政社会学部2年猪狩祐介


3月12日(2日目)

えー、水口先生一身上の都合によりスワローズファン歴5年の私が代わりにレポートします。「岡田港に入りまーす」との無情の連絡に内心「どーしよう」と思いつつ下船する。生協のおばちゃんの話によればレンタカーの迎えが来ているはずだが・・。確かに迎えはいたが、車は営業所にあるということで8万円を渡しドライバーが営業所に向かった。30分ぐらい待つと車が3台来た。8人のりワンボックスを3台予約したはずだがなんか違う。10人乗りと8人乗りのワゴンと乗用車が来た。「約束が違うなー」と思ったがしょうがない。とりあえず出発し、最初に頂上の展望台に行く。坂がきつくディーゼルの黒煙を吐きながら登る。展望台は眺めがよかった。富士山をバックに記念撮影。次に割れ目噴火口に行き、溶岩が流れた跡を歩く。溶岩石の小石を5・6個持ち帰った。牛が放牧されてたのにちょっと驚いたが、噴火口の姿を車から見て、フィリピン海プレートの力に感銘を得た。

さて、お腹も減ったところで朝食を食べるために元町に戻る。しかしどの店も開いてない!海鮮ラーメンしかない店にも勇気なく入れず(だって高いんだもん)、開いてると思った喫茶店にも法事があるということで入れず困ったので駐車管理のおばさんにたずねると「めしかあちゃん」を紹介してもらった。フェリーがないので寝てたらしく店に入って経構経ってから用意をしていた。確か店に入ったのが8時30頃、それからご飯を炊いたり器が足りなくなったり手伝ったりして結局出来たのが10時すぎになってしまった。予定が大幅に狂いどうする旅行係!(2度目)

予定では右回りのとこを左回りに変更し、予定していたミルクセンターには行かないことにした。はじめに貝の博物館ぱれ・らめーるへ。カラフルな貝が展示されすべて天然で無着色だという。自然の不思議さに感服する。さあこれから手始めに野増〒へ。道沿いにあるはずなので探すが・・あれ、通り越してしまった。しかたない、一周した後探すという3号車の意見で次へ。地層切断面はあんまりたいしたことないかなあと思っていたがたいしたことあった!離れて見ると見事な地層の模様が見える。驚いた。次は差木地〒。探すが・・あれ、また通り過ぎてしまう。やっぱり5万分の1地図じゃあだめだったか。しかし郵便局ぐらいの公共施設だったら一周道路沿いにあるのが常識じゃないのか?3号車の2人に申し訳なく思ってしまう。次は波浮港見晴台へ。ところが道を間違え港に入ってしまい、行き止まり。(交差点を「右です!」と言ったのは僕でした。ああ役に立たないナビ・・)ここは伊豆の踊り子の舞台であるが道が細く引き返すのに苦労した。アクシデントを経て見晴台へ。眺めがスゴイ!本当に絶景!小名浜のマリンタワーよりも凄かったといえば分かってくれますでしょうか。波浮港〒も見つかりやっと胸をなで下ろす。

次は大島公園。さくら(島桜?)が咲いていた。ここの動物園も凄い。クジャクとかシカなど動物が放し飼いになっている。これで無料!こんないいとこないね。伊豆大島の中で1番心に残ったのがここでした。ここの売店で大島牛乳を飲む。薄い、という人もいたが僕はおいしかった。低脂肪牛乳好きだし。ストローのビニールを持ち帰る。さて次は泉津〒へ途中の椿トンネルはもう花が終わっていて残念。〒を探すが・・あれ、またまた通り過ぎてしまった。すこし待ってたら3号車は見つけたようでほっとする。次は岡田〒へ。ここも分かりづらい場所にあって迷ったが無事行くことが出来た。お次はリス村。えさを買ってリスに餌付けをするがなかなか馴れないし、図々しい。それにタイワンリスなのであんまりかわいくない。やっぱりシマリスの方がかわいいよね。またえさを買ってウサギの餌付けをするが、ニンジンを差し出すと大量に寄ってきて恐いし、ニンジンをかじる力が強くえさをもらってないんじゃないかと思ったりする。それに抱かせてくれないし、無理に抱くと暴れていやになる。もうちょっとのんびりした動物がいればよかったのに。

さて時間は3時30分。レンタカーの契約が4時までになっている。6時から借りて12時間のはずだからおかしいなあと思って営業所に連絡するが要領を得ない。仕方なくほかをあきらめて帰ろうということになり、3号車が野増〒に行くというので、僕たちは安田さんの提案で大島空港にまわった。そこにはもう絶滅寸前のYS−11があった。日本オリジナルの飛行機がなくなり輸入物になっちゃうのはやっぱり寂しいことだ。さて今夜の宿「民宿橘荘」へ着き、レンタカーを返す。そこで聞くと大島は10時間貸しになっているということ。生協のおばちゃんそんな事言ってなかったぞ!将来旅行係になる人はよく調べた方がいいよ。あと生協で予約しても通常価格と同じだった。がっかり。

くつろぎの後、夕食。内容は・・言わないでおきましょう。でもマグロの刺し身がまずかったことだけは事実です。各自風呂に入った後、8時30分から恒例の酒盛り。古今東西イェイ!や山手線ゲームなどやりつつ、酒が進む。焼酎しかなくなり、ジュースで割って飲みまくったことを後悔するのは、深夜3時のことだった。酒盛りは11時30分に解散し、先輩方とポーカーをやったが、澤田さんが「テンプルヴィレッジ」という単語をえらく気に入っていた。誰のことかはお分かりですね。

こんなことをした後、もう眠いので寝ることに。僕は寝るの早いから。でも加藤さんの方が早く寝ていた。感動の3日目に続く!


3月13日(3日目)

「気持ちわりー」昨日の酒が残っている。おかしい、今までこんなことなかったのに。そうか、11時すぎまでのみまくっていたからか。結局寝むれない夜を過ごす。お世辞でもおいしい朝食を食べた後村岡さんが昨日まわれなかった差木地局へ出発した。会長さんも行きたかったが時間も限られてるということであきらめたみたいです。8:40出発しようということで待っていると、「祐介うそつきだしー」と会長。「火山博物館9:30からだぞー。あー俺も(差木地局に)行けばよかった」え、うそ。あわてて資料を見ると確かに9時30分開館だ。本当に申し訳ないです。今度の旅行はこんなことないようにします。

安田さんと藤原さんはお先に飛行機で出発。あ、そうだ。先日安田さんに春旅行のパンフをほめていただきありがとうございました。やっぱり苦労して作ったものだし何か言ってくれないかなあと思っちゃうし、まあ作ってるのも楽しいもんではあるけど。でもあのギャグ(この旅行記のテーマ)の理解度が低いのが悲しい。難しかったか?その後8時40分に宿を出る。道中東京電力の営業所みたいなとこに「でんこさん」の立体モデルを発見。中学生から主婦まで変化自在のでんこファンの僕にとってとてもうれしいことだった。1番好きなのは夏にやる“でんこの電気予報”一度見る価値アリです。さて開館まで湯の浜と呼ばれる海岸に行く。そこで澤田さんに「ナマコを潰せ」と命令されたので仕方なくやってしまった。内臓が出てきたときはもう・・本当にごめん!

で、火山博物館ですが、地理をやってたせいか興味深く見ることができました。噴火から結構経ったんだなと感じた。

さてお土産を買った後乗船券を買うがそれが硬券だったので、「入場券ないかなあ」と思ったのは言うまでもない。元町港を出港して景色を見ながら、「もうここには一生来ないのかなあと思った。

無事に熱海に到着。3本じめで旅行の無事を祝った後会長さんが別行動をとる中バスに乗り込み熱海駅に向かった。宅配ポストで荷物を送る手続きをとるのにちょっと時間がかかり、窓口で日付を入れてもらう。その時みどり氏が切符を見て何か笑っていた。ピンクの18きっぷが珍しかったのか、それとも「名寄から18切符で来たのか、馬鹿みたい」というあざけりだったのか。後者でないことを願いたい。 ホームにはいった時にはアクティーはなかった。一人たたずむ。

というわけで、以下は私のプライベート旅行記

一人でよかったということもあって、早速鶴見へ向かう。おとといのリターンマッチ。手始めに東芝社員専用?の海芝浦へ。ここは社員証がないと駅の外に出られない。「ほんとにこんなとこがあるんだ」と感心する。さて次はお待たせの大川支線。武蔵白石には大勢のファンがカメラ片手に待ち構えていた。クモハ12系は渋い茶色の車体が光っていた。満員の電車が出発。独特のモーター音が印象的だった。大川につくと、そこで村岡さんと田澤さんに遭遇した。私は次の電車に乗るので駅の外に出たがきっちりと係員が待ち構えていた。周りはいかにも京浜工業地帯な感じ。また満員の電車に乗って戻りこれで第二目標を達成したが、これも時代の流れかなあと考えてしまった。

鶴見線の終点、南部支線を通って秋葉原のパソコンショップをあさった後新宿へ。23:08のムーンライトに乗るためだが夜行列車に乗るのに時間が余りまくるのがつらい。去年の北海道も時間のつぶしかたに苦労したので誰かいいアイデアがある人は教えてください。ムーンライトはリクライニングシートでこれで500円とはお得な列車だけどちょっとだけシートが合わなかった気がする。さあ目覚めは新潟だ!


3月14日(4日目)

新潟に近づいたころ目覚めるが、眠い。結局村上まで行って折り返すことに。村上で車内清掃の間外に出た後静かな最後尾に座る。ビジネスマンが多く乗り込み、朝のビジネス列車としての一面を見ることができたが、たばこがきつく後悔。

新潟で朝食を食べた後、磐越西線へ。うとうとした後目覚めると五泉の手前だった。第3の目標蒲原鉄道の起点である。ゴトゴトと古いモハ41が入ってきたが、クモハ12系と違い蛍光灯が時代の違いを感じさせる。乗り心地は線路が悪いせいかかなりゆれたが、栗原電鉄よりましかな、というくらいだった。8分で終点村松へ。かつて蒲原鉄道は信越本線の加茂まで続いていたが60年に大部分を廃止したそうで、線路が途切れているのが悲しかった。村松駅では廃止区間の入場券・乗車券などいろいろ入ったセットを売っているのでいかが。

五泉に戻り会津若松行きに乗る。阿賀野川を眺めながら第4の目標「とりめし」のある日比谷へ。駅に近づき乗務員窓から様子を見るが誰もいない。そんなあ、と思ったら日比谷に降りるおじさんも、「今日駅弁来てねえなあ」と言ったのでがっかり。ひるどき(10:52)じゃないのが悪かったのか。くそう、また来てやる、との思いを強くしながら腹がへってどうしようもないので野沢でクランキーチョコをかじった。

それからは郡山行きの普通列車、磐越東線いわき行きに乗り継ぎ無事実家に到着した。すると昨日宅配ポストに入れた荷物がすでに届いていた。明日葉茶と牛乳煎餅を食すると疲れがどっと押し寄せてきた。

文責:あのナマコは死んでいたと願いたい行政社会学部2年猪狩祐介


…筆者より…

この「伊豆大島で、会う日まで・・」はサークル誌プラットフォーム12号に掲載されたものです。古いやつだけどごめんなさい。あと字ばっかりでつらいと思いますが、がまんしてください。

昨日(1996年11月10日)、三原山の遊歩道が再開通したとのニュースを見ました。これから大島町の観光業が再び活気あふれるものになることを念願しております。また、郵便局はできるだけ大島一周道路ぞいに設置頂けるようお願いいたします。


文責:猪狩祐介 プラットフォーム12号所蔵
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