このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

目指せ福島県JR駅全駅乗降!Ⅲ

〜番外編〜 けだるい水郡線と歴史のまちと

今朝も煙る朝がやってきた。毎度、このシリーズで使わせていた だく金谷川6:07発黒磯行。今回もこれでスタートである。眠たげな車内と 目覚めの車窓。朝の郡山での駅そばも毎度のことである。また、この列車が矢吹から通学生で、白河まで殺人的混雑となるのも毎度のことである。

新白河の改札を抜けJRバス白棚線磐城棚倉行きに乗る。バスは 市内で定期客を降ろし、やがて旧線路敷であるバス専用道路を走りだす。 横切る車に、踏切並に”止まれ”と言うものの、直前横断が多い。 バスどうしのすれ違いも待避所で行う。運転は慎重である。車窓はもはや鉄道である。農村風景の中、細道をたどる。

途中で一般道に戻り、乗降も少ないまま磐城棚倉駅に到着。 30分ほどの待ち合わせで磐城石川へ。石川町は温泉と歴史のまち。 駅近くの山城「三芦城跡」に登る。特にどうということはない。 単なる裏山でしかない。歴史は全国、津々浦々で展開される。 いわくありげなものがあれば日本全国「歴史の町」である。ただ石川町は平安の 女流歌人、和泉式部の生誕地 で、その産湯に使った清水「小和清水」が町はずれにある。温泉も駅から500mほどのところにある。

磐城石川から常陸大子へ。今回”番外編”と銘打ってあるのは、福島県内のJR駅乗降よりも水郡線の完乗がメインであるからだ。 県内にこだわるあまり、茨城県側の水郡線に乗るのはこれが初めて なのである。だが、しっかり棚倉石川と初乗降は果たしている。 平凡な車窓は閑散とした車内のけだるさでもある。矢祭山からは釣り人の浮かぶ 久慈川渓流を供とする。

常陸大子で昼休み。水戸行きに乗る。 再び久慈川の里を下っていく。新型気動車の走りは快適である。おかげで 睡魔は乗り換えるはずの上菅谷すら 気付かせてくれなかった。水戸まで 来てしまった。しかし考えてみれば夜行性人間としてはまだ普段なら 寝ている時間である。

水戸はさすがに大都市である。また 関東圏の香りがする、と思うのは田舎者だからか。ここで市内を 人歩きするのも一案だが何かと見所も多そうである。駅前の 水戸光圀像をみて、予定通り常陸太田へ向かうとする。常陸太田も 歴史の町であり、光圀が晩年隠居した西山荘がある。

郊外を淡々と走り常陸太田に到着。 西山荘は深閑とした森にあった。うっそうとした深閑さを借景と した庭は簡素であり、自然の一部である。住居も簡素である。 庶民の中に暮らした光圀の姿勢が高潔な簡素さに見出される。 だが、自然さこそが日本の贅ではないか。

結局西山荘の往復に5kmほど歩きJR駅の向かい側の 日立電鉄「常北太田」駅に行く。 3両の新型電車がホームにいる。曲線たどり、次第に家並と 客が増えると大甕だった。大型台風 の速報が、雲行き怪しい夕空に不安を誘っている。しかし、日立電鉄の 11.5kmで460円はいい度胸である。今日は、バス、私鉄と、賑やかな 小旅行ではある。

大甕からの電車は長い編成に大量の 客を乗せている。この辺り、水戸日立と都市が続くため、通勤客の乗降が 激しい。やっと空いたのは、福島県に入った勿来からであった。

から郡山へ。さらに磐越西線のスイッチ−バック駅、中山宿へ。夜の深山の小駅は明かりの中に浮いている。ここは、昆虫の楽園である。 またクモの牙城でもある。光芒が駅の斜め上を下っていく。 このままここに取り残されそうな不安をふと抱いた瞬間、列車となって戻ってきた。

今回、福島県内のJR駅乗降は3駅。これで 残すは小塩江喜久田江田川前夏井只見線計18駅となった。(その後、川前江田夏井と乗降、残り15駅となった。)

郡山に戻れば、後は毎度の最終列車で 帰るだけである。深夜のホームの一角に、そばの湯気が立っている。 光りに群がる虫のように人が集まっている。思わず足が向いてしまう。 しかし、ここで食べて行くのも毎度のことである。

鈴木 雄一郎著


『PLATFORM vol.7』(1993.11.6発行) 所蔵

電脳版編集:CHU


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