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○1993.1.10 … 磐越西線
──朝、電話で目覚めた。7時。寝過ごした。 同行者は郡山にいる。猪苗代で合流することにする。
──猪苗代で、合流するまでの 1時間、駅周辺をあてなく歩く。閑散とした光景。
──同行者と合流のあと、関都、川桁と乗降。3kmほど歩いて 再び猪苗代へ。農村の細道にしては、 ダンプがよく通る。
──昼食の後、上戸へ。 この辺りはカプセル駅舎が多くつまらない。
──そして会津若松へ。 今日は、十日市。なんとなく 歩けば、にぎわいの人ごみに酔う。生々しく浮き上がってくる 生活感。
──只見線で会津本郷へ。 435Dは、立すいの余地もない混雑様で、ホームにやっと のことで降り立つ。駅前を少し歩けば、広がる水田と遠くの 山並み。薄暮の空が囲まれている。「観光」に毒されていない 光景。まさに、「ほんとの空」である。
──その後、いったん喜多方へ出て、会津豊川まで1.7kmを歩く。 どうも早く着いてしまったようで、暗くなった空の下、屋根 ひとつの駅で30分近い空白をつぶす。
──これからの3駅は、日に数本のみ停車する極小駅である。 ……忘却の駅に、かすかな生気が吹き込まれる瞬間。列車が来た。 ライトが、音がここへと先行する。それも忘却の客車列車。 閑散とした車内。乗降のない小駅。汽笛は暗い空へと、 吸い込まれた。
──堂島、笈川と乗降。それにしても、極小駅の乗降など時刻表を 見ただけでも、いそうもないのがわかるだけに、降りるのに少し 勇気がいる。同行者がいてよかった。狂気の趣味人の極致。
──塩川までバスで出て、 <あがの>で郡山へ。のれんの 町の駅は、なかなか立派で好感がもてる。
──これで磐越西線は、今朝寝過ごした2駅(中山宿、喜久田)を残すのみとなった。
──帰り際に久田野に寄った。 昨年4月以来であった。こうして最終列車を迎えることとなった。
○ 1993.1.17 … 常磐線
──水郡線に、まずは寄って磐城守山に乗降。朝7時と言うのに駅前商店は開いて おり、切符を買っておく。水戸支社の無人駅は荒れ果てた 感じがする。
──常磐線に出て、泉へ。 駅前でささやかな駅伝大会、そして剣道のけい古と出会う。
──勿来へ。 バスの便がよくないので、勿来の関跡まで歩く。関跡は 丘の上にある。茂る木立の中、多くの句碑が並ぶ静けさ。 そばの資料館に入れば、源義家とかかわりがあるらしい。 ……吹く風を なこその関と おもへども 道もせにちる 山桜かな
春には花が似合うであろう。
──行きは山道を通ったので、帰りは海沿いを歩く。 潮風が強い。往復5kmほど歩いたことになる。
──勿来駅は、関を意識した 構えであった。その後、湯本、草野、四ツ倉、久ノ浜と乗降。湯本のホームに温泉が流れている。 この辺りの駅は駅前と共に大きく、ひとつの街である。
──久ノ浜から5分も 歩くと海に出た。波高く風強い。人気のない夕暮れの浜。煙草の 煙が風に紛れる。寂しい冬の海。
──すっかり暗くなったところだが、大野、広野と 乗降する。大野は、真新しい橋上 駅だった。原発立地の際の交付金で建てたのだろう。 旧駅舎が無残な姿で残っていた。
──これで県内の常磐線各駅は乗降を終えた。山下、坂元と乗降して帰る。
※1993.4.1現在、全141駅中120駅乗降。達成率85.1%。残す21駅のうち、只見線の奥に13駅ある。 この夏がヤマであろう。最後の駅はどこになるのだろうか?
鈴木 雄一郎著
『PLATFORM vol.6』(1993.6.16発行) 所蔵
電脳版編集:CHU
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