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雑・音楽回想録⑩
   

ねむの木の子守歌 

 — 浩宮殿下と幻のCD — 


 皇室の話を書くのは何となく気が引ける。が別段取りたてたスキャンダル話ではないし、開かれた皇室を目指す現代においては、お許し願える範疇として筆を進めさせて戴く。


  昭和9年11月、昭和天皇が群馬県利根川での陸軍特別大演習を統裁された。この行事に引き続き、桐生市の専門学校に行幸された時のことである。
 ご料車を先導する警察官が道順を間違え目的地に予定の時刻より早く到着されてしまった。為に、くだんの専門学校の校長先生は本来玄関ですべき丁重なお迎えに間に合わないという事態を招いてしまった。
 その警察官は自らの失態をお詫びせんとして、お帰りのお召列車が前橋駅をはなれる花火を合図に日本刀で喉を切り自殺を図ったという。発見が早く一命は取りとめたそうだが、戦時中の皇室に対する畏怖感というものはことほど左様に厳しいものであった。
 時代は変わって昭和50年代の中頃、皇太子殿下(今上陛下)が東京晴海の国際見本市会場で開かれた電子機器産業界の展示会『エレクトロニクス・ショウ』を視察に赴くに当たり、晴海通りの南行き信号を一斉に青にして、ノンストップで突っ走るという話があった。晴海通りは交通渋滞のメッカでもあり、所要時間が予測できないという事情もあったし、過激派の活動も活発な時代で、交差点での停車中に不肖事件が起きることを避けるためでもあったのであろう。英国留学経験のある浩宮徳仁殿下はその話を聞かれて、進言されたという。
—英国皇室は、市民の生活を妨げるような行動はしない。皇室とても国民の生活基準にあわせた行動をすべきだ—
との主旨であったそうだ。その進言を採用した為に、皇太子殿下は東宮御所から晴海までの所要時間にたっぷり余裕をみて出発され、その結果予定時刻より5分ほど早く到着されてしまった。
 皇族の行動は通常、分刻みでスケジュール化されており、この視察でもA社の展示ブースは3分、B社は2分といった綿密なスケジュール表が出来ていた。従って5分の余剰時間は、自社の展示ブースを見て戴く側にとっては極めて貴重な時間である。結局は「心臓の強い」某企業の社長が、ちゃっかりと持ち時間を延長して消費してしまったのだったが…。
 神奈川県は大和市に在る事業所に筆者が在籍していた1988年春のこと、当該事業所に浩宮殿下をお迎えする話が突然降って涌いた。当時、英国での留学を終えられた殿下は将来の皇位継承者として、国内公的施設のみならず代表的民間施設や企業をも精力的に訪れ、視野を広めておられたのである。音響機器産業は、その時より遡る5年前に登場した音楽レコードの革命的商品、CD(コンパクトディスク)が本格的な普及段階に進んでかなり活況を呈していた。そして大和には、そのCDの盤を生産する工場と再生機を生産する工場が隣接配置されており、ソフト、ハードの生産工程を一度に視察するには好都合な立地条件であった。
 皇族をお迎えするということは企業にとっては大変名誉なことには違いないのだが、そのことを宣伝などの営利行為に利用するのは許されないので、名誉ではあれ、クールな見方をすれば実利のない仕事である。企業としては生産活動や営業活動を一時たりとも疎かにはしないで、この名誉ある行事を遂行しなければならない。「準備は企画室長であるお前の仕事だ」と事業責任者からおおせつかった時はいささかならず腰が引けた。
 入社して実務について初めて設計を担当したアンサンブルステレオを皇太子殿下(今上陛下)の別邸に納める機会に恵まれ、上司のお供で軽井沢へ伺ったことはあったが、元来皇室とは無縁の庶民である。改めて本社の渉外部門を窓口に監督官庁から情報を頂戴したり、皇室に詳しい筋を尋ね浩宮殿下のご趣味やら過去にご来臨のあった企業の対応を調べたりの俄か勉強が始った。
 曰く、殿下は大変に音楽に憧憬が深い。ご自身でヴィオラをたしなまれる。アイドル歌手のコンサートに行かれた際、一輪のバラをプレゼントされた…等々さまざまな情報が集められた。他企業での対応は、失礼があってはならじといずこも企業の代表である会長や社長職が全面的に対応されるのが通例だという。これでは真にお気の毒。殿下といえどもまだ二十代の青年、行く先々で高齢者とばかり接しておられるのでは…と、工場をご視察戴くプログラムに加えて、「若手の実務者達との懇談会」を催す提案をした処、宮内庁からも比較的すんなりとお許しが出たのである。
 許可は戴いたものの、どんな懇談会にするか、出席者をどう選ぶか…カレントの業務をそっちのけで、侃侃諤諤の事前検討を経ることになった。出席予定者は予め、その経歴書を提出して了解を得るやら、会場には侍従、SP、監督官庁(担当局長)、会社の経営トップ…が同席すること等々厳しい条件も遵守しなければならない。プランを固めて上司に提示すると、「その懇談会の司会・進行はお前がやれ」という指示である。実は、同世代の若者との座談会を計画した眞の狙いはこの行事の現場から逃げ出す魂胆だったのだが、そうは行かなかった。万事休す。どうせやるなら楽しんでやろう—と密かに心に決めたものの、緊張の日々が続いたことは言うまでもない。その内、学習院のオーケストラによる「世界動物愛護協会」主催のチャリティーコンサートがあり、殿下もヴィオラ奏者として出演されると話が伝わってきた。早速チケットを手配して拝聴に出かけた。新宿厚生年金会館ホールの二階席正面には、皇太子殿下(今上陛下)、妃殿下、紀宮様が着座され、いつものコンサートのようにリラックスした気分にはなれない。演奏に先だって主催者代表の挨拶があるというアナウンスがされ、ステージの袖に登場されたのはなんと秋篠宮殿下である。殿下が「世界動物愛護協会」の日本名誉総裁だなんて知る由もない。まだお若い秋篠宮殿下だが、そのスピーチはメモも持たずに実に堂々として感服させられるばかりであったが、当日の出演オーケストラを紹介する段になると、「折角のコンサートではありますが、中に不協和音を発する演奏者もいないわけでは有りません。どうか耐えてお聴き願いたい…」と暗に兄君、浩宮殿下をイメージさせて、ご両親はじめ会場の聴衆を沸かせたのであった。
 このコンサートでも演奏されたが、学習院大学オーケストラの定番とも言える演奏曲目にあるのが「ねむの木の子守歌」であるという。美智子皇后様が聖心女子学院高等科在学中に書かれた詩に山本正美という方が曲をつけたものと聞いた。やがて皇太子妃となられ、母親となられてから、お子様達に歌われたとか。浩宮殿下がご幼少の頃、皇太子ご夫妻が公務で海外へおでかけになる際、自らピアノを弾き、ハミングで子守歌を録音したテープを残されて出立されたそうである。恐れ多いが、この話を活かさない手はない—と言わんばかりに飛びついて、その筋の許可を得て、コンサートの録音テープを入手し、それをCD盤に収める事となった。
       
 さて、いよいよ浩宮殿下のご来臨当日が訪れた。隣接のレコード工場では、防塵服を着てコンパクトディスクの製造工程をご視察になり、続いてCDプレーヤの組みたてラインをご覧戴いた。この結構ハードなスケジュールをこなされた後、研究所棟の試聴室へと歩を進められた。お伴は侍従、SP、監督官庁の局長、会社側が社長にレコード事業担当役員、オーディオ事業担当の役員…という具合である。宮仕えのサラリーマンと有れば、殿下がいらっしゃらなくても緊張する場面である。その時の様子を、記憶を頼りに誌面に再現してみよう。
 懇談会に先だって、3つのプレゼンテーションプログラムをご披露した。最初のプログラムは、従来のLPレコード盤とデジタル記録されたCDの比較試聴であった。両者がどのように違って聴こえるのかを、同じ音源で、比較してお聴き戴くというものである。取り上げた素材は、当時TVやコンサートで人気絶頂だったブーニンのピアノ演奏曲であった。
浩宮殿下にCDの原理を図解してご進講
 スタニスラフ・ブーニンは弱冠19歳にして、1985年の国際ショパン・コンクールに優勝し、一躍国際的スター・ピアニストとなった。その彼は翌'86年、初来日して各地でコンサートを開き、一躍フィーバーを巻き起こしていた。従来からのLPレコードも、普及の始まったCDもクラシック分野としては異常なくらいの売れ行きだった。確かショパンのワルツ曲だったと記憶しているが、同じ録音から製品化された曲目をLP盤とCD盤を比較してお聴き戴いた。  第二のプログラムは、若い技術者が開発した「音場プロセッサー」というシステムのご紹介であった。レコード盤の録音は一部のライブ録音を除いて大半がスタジオで録られる。そのレコード盤を家庭で再生する際、恰もコンサートホールで演奏されているようにアレンジするのが「音場プロセッサー」である。昔から、残響を付加して、それらしく聴かせるという装置はあったが、新たに開発したシステムは、カーネギーホールや、ウィーンのオペラ劇場など世界に現存する著名な演奏会場の音響特性を実地に測定し、その情報を集積回路に封じ込めるというものである。このプログラムに使ったのはキャスリン・バトルというリート歌手の盤であった。「昨年、来日して新宿文化会館などでコンサートを開いたキャスリンですが、草原でヘンデルの『オンブラ・マイ・フ』を唄うウィスキーのTVコマーシャル以来、大変人気が出てきておりますので、次回来日してコンサートを開くときは、もっと大勢の聴衆が入る武道館のような会場でなければならないかも知れません。武道館で唄うキャスリンはどのように聞こえるかを試聴して戴きましょう…」といった解説をした記憶がある。そして、「最後は、ウィーンのスターツ・オパにご案内させて戴きます。」と、ご紹介しただけで、用意のCDを装填した。スピーカーの背後に静かにスクリーンが下降し、中世ヨーロッパの貴族社会の豪華さと気品に満ちたワインカラーのベルベットで壁面を飾った国立オペラ劇場の写真が映し出される。静かに響き始めたのは、浩宮殿下のヴィオラソロをフィーチャリングした学習院オーケストラによる「ねむの木の子守歌」である。 スターツオパの豊かな響きを伴って一段と艶やかに聴こえる。殿下は、ご幼少の頃から聴き慣れ、演奏され親しんだ曲を、身を乗り出されるようにして暫し聴き入っておられた。他のプレゼンテーションの場合、曲をお聞かせする時間はほんの30秒位づつなのだが、この演奏は途中で止める訳にはいかない。完奏するまでの3分ほどの時間は静かにお待ち申し上げるのみである。残念なことには、聴き戴いたのは演奏のみで、肝心の歌がない。 美智子妃のお手ずからの歌詞を掲げておこう。
       
  「ねむの木の子守歌」

ねんねの ねむの木 眠りの木
そっとゆすった その枝に
遠い昔の 夜(よ)の調べ
ねんねの ねむの木 子守歌

薄紅(うすくれない)の 花の咲く
ねむの木蔭(こかげ)で ふと聞いた
小さなささやき ねむの声
ねんね ねんねと 歌ってた

今日も歌って いるでしょか
あの日の夜(よる)の ささやきを
ねむの木 ねんねの木 子守歌

        (美智子皇后陛下作詞)
タイトル曲“ねむの木の子守歌”
      (YouTube)

 演奏が終わって、プレイヤーからラベルに印刷のないテスト盤のCDを取り出した。これを手近の透明ケースに収めて、「只今お聴きいただきましたのは、このディスクでございます」と殿下にご覧戴くべくお渡しした。昔なら一平民から直接物品をお手渡しすることはあり得ないのだそうだが…。
 まさかご自身の演奏が最新の記録メディアであるCDに入っているとは想像もされなかったのであろう。殿下はちょっと驚いたような素振りを見せられたが、すぐににっこり微笑まれた。殿下の背後で、次のプログラムである懇談会に備えて、侍従をはじめ陪席の人達が席を立ちざわめいているのを良いことに、「宜しければどうぞ」と、小声で申し上げると
「良い記念になります」
と上着のポケットに忍ばせられた。
 実はこのCD盤は関係筋の許可を得て、200枚だったか300枚かを限定製造して、この行事が滞りなく終了した後、関係者に記念品として配布されることになっていた。殿下へも、純金製の盤を真紅のベルベットに埋め額に収めた装飾レプリカとともに後日献上することになっていた筈である。それを先走って、いささか手垢のついたケースに入れたテスト盤をお渡ししてしまったのである。後先の功罪をよく考えずに行動を起こしてしまういつもの悪いクセが出てしまった。
 プレゼンテーションに引き続く「懇談会」のことはあまり良く憶えていない。多分相当にのぼせ上がっていたに違いない。懇談会と言っても、CDの技術開発や事業化に活躍した8名の若手社員が、夫々の職責での苦労話やエピソード、抱負などを殿下にご紹介し、それに対して殿下がご下問されるといった流れであった。若手社員も臆することなく発言をしてくれたが、印象に残っているのは、殿下のご下問が驚くほど的確な内容であったことである。例えば、前述のブーニンの演奏を録音したNディレクターに対しては、
「CD録音の場合は、これまでのLPレコードの時に比べどのような点に注意を払って録音するのですか?」
と言った具合で、それがCD盤の量産設備の話題や、光学ピックアップの開発課題、CDラジカセの音づくりなど、多岐にわたる専門的な話題に、適確なご質問をされ、ねぎらいのお言葉を掛けられるご様子は感服するばかりであった。
 司会の最大の役割といえば、予定された時間(一時間だったか?)内に懇談会を恙無く終えることである。寡黙な懇談会になったら大変だな…との事前の心配をよそに、壁の時計に目をやりながら、つい話が弾み勝ちな対話を押さえる役割になってしまった。

 無事に大役を果たすことができたのは何よりであったが、どんな大きな行事であろうと、済んでしまえば又、平常の多忙な仕事が待っているのがサラリーマンである。翌日から暫くは、ビッグイベントの為に滞っていた仕事の処理に埋没する日々が続いた。頂戴した記念のCD盤も事務机の抽斗にしまったまま忘れ去られようとさえしていた。
 一ヶ月もたった頃だろうか、一通の社内連絡文書がきた。
『先に配布した記念CDは都合により、全数回収処理するので、返却されたい』とある。
 ウーン。折角の家宝となるはずだったのに残念…。だがどうして?と文書の発信元に尋ねてみたところ、CD盤のラベル印刷にミスがあったため—という。改めてしみじみ眺めてみると、なんと「ねむの木の子守」と印刷してある。
原題は「ねむの木の子守」。「」と「」にどれほどの違いがあるのか判らないが、とにかく違う。原作者に対しては誠に失礼千万な話である。一般人の場合なら、お詫びと正誤表添付で済むかもしれないところだろうが、そうは行かない。一昔前ならまさしく「不敬罪」ものであろう。
 かくして、「お宝となるべきCD」は幻のものになってしまった。

和気あいあいの懇談会の司会を務める
 
   
 暫くして、当の回収責任者と一杯飲む機会があった。「例のCD回収は終わったの?」と聞くと、「一応回収完了の報告はしましたが…ね。」 と奥歯にものの挟まった言い方である。「それは…」と言いかけて、思わずグラスを口にし、後の言葉を水割りと共に飲み込んだ。「多分、会社のお偉いさんの誰かがしっかりキープしたんじゃないの。いいじゃないか、一枚くらい…」 私はそう言って、ニヤリとほくそ笑み、そして胸の奥でつぶやいたのであった。
 “あの一枚は回収不可能だもんネ…”
 
 (2001.04.20)

参考CD: 「ミレニアムベビーに贈る世界の子守歌」VCC-60155)




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