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雑・音楽回想録⑬   

We are the world


 — 米国ボランティアの心 —


 PKOと言えば誰しも、国連平和維持活動(Peace Keeping Operation)と連想するのが常識であろう。されど我が同朋たちが言うPKOとは、パソコン、カラオケ、オシャベリの会のことになる。いささか不謹慎の誹りは免れまいが、平和な我が国で還暦をとっくに過ぎた、言うなればおつりの人生に片足を踏み入れかけた熟年族にとって、この3つの活動は将に立派な「平和維持活動」に違いあるまいと自らを納得させている次第である。  そのPKOの月例会で、毎回のように関西から参加してくれるK君が持ち味のハスキーボイスでご披露してくれた「We are the world」に耳を傾けながら、私は十五年以上も昔の記憶を辿っていた。
  カナダのベンチャー企業が開発した音響技術を評価するためカルガリーを訪れ数日間ディスカッションをした後、その技術をアメリカンポップスの録音エンジニアたちがどう評価するか確認すべく、帰路 ハリウッドに立ち寄ったのは1990年の夏であった。
A&Mスタジオはアーリ−アメリカンスタイル
スタジオ壁面に残されたバナー

  いつ訪れてもハリウッドの紺碧の空は透き通って、仕事のプレッシャーから開放してくれる。しかも訪問先はA&Mスタジオ、かつてC・チャプリンもレコーディングしたという木造の建屋が温存されている由緒ある名門である。目的のミーティングを終えた後、施設を案内してもらった。アメリカンポップスレコーディングのメッカも随所で改装工事が進んでいる。傷んだ部分の修復かと問えば、新しい音楽に対応するための変革だという。港の古倉庫等で磨き、創り上げられた若いミュージシャンのサウンドを録音するには、倉庫と同じような響きを出す コンクリート剥きだしの壁面をもった構造に改装する…といった具合である。そんな最新スタジオをいくつか見せてもらったのだが、とある大きなスタジオの壁面に『USA for AFRICA』のバナーを見つけた。このスタジオこそは、かのエポックメーキングな録音を実現した歴史的場所だったのだ。
                       
 1980年代初め、エチオピアを中心とするアフリカ諸国は大干ばつに見舞われ大量の餓死者が出た。これを目の当たりにしたポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイなど英国のミュージシャンたちは難民救済のために協力し『バンドエイド』を結成、『ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス』というヒット曲を生み出し、その収益金を難民救済のために贈ったことがあった。この英国ミュージシャンの活動は米国へも波及した。アフリカの惨状を伝え聞いたベテラン歌手ハリー・ベラフォンテがクインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソンなどに呼びかけ、ケン・クレイガン氏(ケニー・ロジャースのマネージャー)をイベント・プロデューサーとして、 United Support of Artists for AFRICA(USA for AFRICA)というNPO(非営利団体)を結成したのは1984年クリスマス休暇の最中だった。年明け間もなく、L・リッチー、M・ジャクソンの共作で曲想が固められ、基本演奏の録音がケニー・ロジャースの所有するライオンシェア・スタジオで行われた。一方イベントプロデューサー役のK・クレイガンは精力的に他のアーティストへ呼びかけ、仲間づくりを展開した。 そして歴史的なボーカル・セッションの録音が行われた1月28日、それまでの呼びかけに応えてロサンゼルスのA&Mスタジオに一堂に会したスーパー・スターは、なんと45人にもなった。この日は『全米音楽大賞(American Music Award)』の表彰式があり、ライオネル・リッチーやシンディ・ローパーなど多くのミュージシャンは、そのアワードの会場から直接スタジオに入り、ブルース・スプリングスティーンは、折しも公演中のニューヨークでのコンサートを打ち上げて飛行機に飛び乗り、スティービー・ワンダーは悪天候のフィラデルフィアから、ジェームス・イングラムは遠くロンドンからそれぞれ馳せ参じたのだった。
 面白い逸話が残っている。その夜スタジオ入口のドアに『エゴを捨てよ!』と書かれていた。ディレクター役のクインシー・ジョーンズの手書きだった。個性の強い世界級のミュージシャン達のこと、「個」がぶつかりあったら成功は覚束ないことは明白であり、それを見越して打った先制パンチだった。 夜10時イギリスから飛来した、あの『バンドエイド』の発起人であるボブ・ゲルドフがアフリカの飢餓の惨状を伝え、「僅か7インチのレコードに何万人もの生命がかかっている」ことを訴えて、参加者の緊張感を高めた。そして、クインシー・ジョーンズの采配のもと45人のアーティスト全員でコーラスユニゾンと、ハーモニーパートの録音が始まった。レイ・チャールズ、ハリー・ベラフォンテ、ベッド・ミドラー、キム・カーンズ、ポール・サイモン、シーナ・イーストン…壮そうたる顔ぶれに指揮をとったクインシー・ジョーンズ自身ゾクゾクと鳥肌が立って消えなかったという。さりとはいえ個性派揃いのミュージシャン達のこと、紆余曲折も多く、コーラス・パートの収録にOKが出たのは午前2時を過ぎていた。そして誰かが口ずさみだした「バナナ・ボート・ソング」が、やがて大合唱になってスタジオに響くハプニングが生まれた。この信じがたいビッグイベントを仕掛けた大御所ハリー・ベラフォンテを称えて、自然に発生した彼へのプレゼントだった。アル・ジャロウがハリーの声色に似せて唄い、全員がリピートコーラスで、それに続く…強烈な個性の持ち主が目的意識で結ばれたファミリーに変身した瞬間である。 暫時休憩の後、リードボーカル、デュエット、ハーモニーなどのパート・ボーカル録音が、約20人のアーティストによって行われた。
♪there comes a time when we need a certain call…
ライオネル・リッチーが最初のフレーズを唄いだす。
♪when the world must come together as one
次のフレーズではリッチーの声に、スティビー・ワンダーが被って加わる。
♪there are people dying
スティビー・ワンダーがソロを取り、ポール・サイモンにタッチ。続いてポールとケニー・ロジャース、ケニーとジェームス・イングラム、そしてティナ・タナー、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウ…と唄い継がれる。目の不自由なレイチャールスとスティービーワンダーは点字ボードで自分の歌詞をたどる。満身装身具のシンディー・ローパのところで突然NG。イヤリングの触れ合う音をマイクが拾ってしまったのだ。たとえチャリティー目的の録音とはいえ、決して疎かにはしないプロ魂である。かくて作品は朝日とともに輝き始め、すべてのレコーディングが終了したのは午前8時だった。アメリカを代表するキラ星のようなアーティストひとりひとりがこの歌を完全に自分の物にして歌い切り『WE ARE THE WORLD/USA for AFRICA』が完成したのである。参加アーティストであり、発起人の一人であるライオネル・リッチーは、この直後にこうコメントしている。
 「最もシリアスなテーマは、歌詞の中に見られる "そこでは人々が死んでいっている…"ということだった。その事実に対して、ここに集まった全員のアーティストが行動を起こしたのだ。価値があるのは、飢餓解消の策を考えることではなく、直ちに行動することだったのだ」
      
WE ARE THE WORLD
there comes a time when we heed a certain call
when the world must come together as one
there are people dying
and it's time to lend a hand to life
the greatest gift of all
we can't go on pretending day by day
that someone, somewhere will soon
make a change
we are all a part of god's great big family
and the truth, you know,
love is all we need
- CHORUS -
we are the world, we are the children
we are the ones who make a brighter day
so let's start giving
there's a choice we're making
we're saving our own lives
it's true we'll make a better day
just you and me
send them your heart so they'll know that
someone cares
and their lives will be stronger and free
as god has shown us by turning stones bread
so we all must lend a helping hand
- REPEAT CHORUS -
when you're down and out, there seems no
hope at all
but if you just believe there's no way
we can fall
let us realize that a change can only come
when we stand together as one



原曲再生 (YouTube)
written by  MAICHAEL JACKSON and LIONEL RICHIE
produced and conducted QUINCY JONES

    
 3月7日、80万枚のレコードが全米の店頭に送り込まれたが、たちまち完売となり、2週間後にはビルボードヒットチャート21位にランクされるという急上昇ぶりであった。翌月5日には世界中、約8000のラジオ局から同時に放送された。日本でも深夜放送で流されたという。そして翌年のグラミー賞「レコード・オブ・ジ・イヤー」「ソング・オブ・ジ・イヤー」に輝いた。
 
かねてより評判は聞いてはいたが不覚にもユニセフのチャリティー活動の一環だろう程度にしか認識せず、その詳細を知ったのは86年央ごろになってからだった。職場で業務用に入手したレーザーディスク版を、ビデオテープに録画してもらった。会社ではじっくり観るゆとりがないから自宅で…という意図ではあったのだが、自宅へ持ち帰っても放置しっぱなしだった。『WE ARE THE WORL』は、この頃には日本国内でも教育教材として採り上げられ、譜面も市場に出回ってアマチュアバンドの演奏曲目に選ばれたりされていた。我が家の長女が口ずさむのを聴いたのが、ビデオを再生するきっかけになったような記憶がある。 ジェーンフォンダがナレーター役のビデオを観ながら、何とも言えない感動に包まれた。一流ミュージシャンが一同に会して合唱するというだけなら、大晦日の紅白歌合戦のフィナーレでお馴染である。が、ギャラもない、観客も居ない、自らは主役になれないボランティアに、只でさえ個性の強いアーティスト達が自己を抑制し、共通の目標に向かって夜を徹して邁進する…という、その行動の気高さ、純粋さが不思議なほど、ひしひしと迫ってくる。 しかも、このイベントを成功させるプロデュース力は秀逸である。参加者への動機付け、或いは意識昂揚のために用意されたプログラムが効果的に活きている。スタート時のボブ・ゲルドフ氏が行ったスピーチも説得力あるが、繰り返すNGに疲れも重なり、参加者の間にギスギスした雰囲気が漂いだした明け方近く、米国在住のエチオピア女性がスタジオに招じ入れられる。母国の惨状を切々と訴え、ミュージシャンへ謝辞を述べる—というハプニング(或いは意図的にプロデューサーの仕掛けかたものかは不明だが)に一同は心打たれ、目頭を熱くして、再び目的意識を新たにレコーディングに協力するのである。ビジネス上のプロジェクト・チーム活動などでも大いに参考になる場面である。プロジェクト活動は時として統制が乱れるケースに見舞われる。そんな場面で不可欠なのが、チームの結束を固め、難局をブレークスルーさせるための仕掛けである。どう仕掛けるかは、リーダーの資質にかかっていると言える。
 
その馴れ初めから、レコーディング風景までをストーリー展開したビデオは、最後に集大成の全曲を7分余りにわたって聴かせつつエンディングに入る。感動の余韻に浸りつつ、大勢の製作協力者をリストアップした長いクレジットを眼で追いながら思わずはっとした。このビデオも、レコードやCDと同様USA for Africaの募金活動の対象だったのだ。それを無料でコピーして楽しむとは、何たる恥知らず!と自責の念に駆られたのであった。 「USA for AFRICA」というNPOは世紀を越えた今日も、ロスアンゼルスに拠点をおき、アフリカの飢餓と戦うための救援活動をすすめている。レコード、CD、ビデオの他、スウェット・シャツやTシャツ等USA for AFRICAに関する商品の販売収益金、一般募金等寄付を基金として、医薬品やワクチンなど医療支援、種や肥料や農機具、給水施設など、食料自給促進支援を主事業としている。 我等が地球はその大半を海に占められているが、その四分の一しかない陸地も多くは砂漠や高地であり、肥沃な大地はごく僅かでしかない。厳しい自然環境と向かい合って生きている民族は極めて多い。環境汚染問題が次第に暗雲の如く垂れこめつつあるとはいえ、豊かな緑と、実態は輸入依存なのだが、有り余るほどの食資源に恵まれたわれら日本人にとって、飢餓とか食糧難とかいう話題は今や想像するに難い事象になってしまったのだろうか。 1980年代後半に匹敵する大干ばつの兆候が、今年もアフリカでみられるという。被害の甚小ならんことを切に祈りつつ、次回PKO時にもK君に、『WE ARE THE WORLD』を所望しようと勝手に決めてかかっている—我ながら平和なご仁なのである。 
 ('02.6.15 )
       
スタジオエンジニアと熱い議論の後は和やかに記念撮影レコードジャケット(国内盤)




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