このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

あの列車が駆けた風景

特急列車編


特急有明廃車編成

92年年7月改正は2000年3月改正に匹敵する大改正で、 車両の異動に伴い、穴を埋める形で廃車寸前の国鉄カラーの 車両が引っ張り出され、往年の列車を髣髴とさせる編成で 博多‐西鹿児島を往復しました。 写真は顔を合わせるボンネット車。 手前がクハ481-603〜クロ481-2、奥がクハ481-601〜クロ481-1。

平成4年7月鹿児島総合車両所

特急有明

92年年7月改正で、西鹿児島へ乗り入れていた有明は 鹿児島県内の沿線の要望もあって八代以北の停車駅を整理し、 速達化した上で特急つばめとなりました。 なお、当時の運転体系は複雑で、写真の列車は 熊本始発西鹿児島行きの特急有明号。 なお、92年当時、列車のヘッドサインは有明に関しては かなりの割合で従来のマークを出しており、にちりんが一足先に 多くがREマークとなっていたように思います。

平成4年6月西鹿児島付近

特急ハウステンボス

92年3月に、大村線早岐‐ハウステンボスの電化で 従来のオランダ村特急を置き換えて誕生。4ヶ月の期間をおいて キハ183-1000はゆふいんの森2世に姿を変えます。 当初、ハウステンボスはレッドエクスプレスと同じく赤一色で 登場しましたが、1年程でモザイク塗装となります。 2000年3月改正で783系に置き換えられて鹿児島へ転入し、ロゴを消して きりしま・ひゅうが用となりました。 2000年8月にはモザイク塗装を踏襲したきりしま・ひゅうがカラーが 登場しています。

平成6年4月博多

特急かもめ

鹿児島本線で好評のつばめは93年に”にちりんシーガイア”で 日豊本線に進出。更に翌年には長崎本線の特急かもめの一部にも 充当されるようになりました。9両編成とともに思い出です。
なお、撮った場所が場所ですが本人は反省しているようなので許してやってください。

平成6年4月天拝山‐原田

寝台特急みずほ
94年12月3日改正 寝台特急みずほ廃止。

昭和36年に定期のはやぶさ・さくらなどを助ける目的で、 不定期特急として誕生しました。 この経緯のためか、九州ブルトレの切捨てリストに真っ先に載せられ、 平成6年に消えました。走行区間は東京‐長崎・熊本で、 99年12月に縮小された”はやぶさ””さくら”は同区間を走ることになりました。 ”要するにみずほだろ”と言うことはファンの間では固く禁じられております (笑)。

平成5年2月熊本

大淀川を渡る寝台特急富士

24時間以上を走りつづけ、日豊本線経由で西鹿児島へ乗り入れていたのは 10年一昔とすればふた昔も前の話になりました。一時宮崎どまりだったのを 南宮崎まで運転していたのもすでに過去の話。現在、南九州から 東京へ向かう寝台特急は1本もなくなりました。

平成5年10月宮崎‐南宮崎

寝台特急彗星

都城へ乗り入れていた頃の姿です。さらに昔をたどれば、この区間、 特急富士も乗り入れていましたが、時は流れてすでに20年も昔の話に なってしまいました。当時はヘッドマークをきちんとつけていたものですが、 最近はあったりなかったりで、ちょっとさびしいですね。

平成5年10月南宮崎‐加納

特急はやぶさと鹿児島車両所

はやぶさが西鹿児島へ乗り入れていた頃の写真です。 分かりにくいですが、背後に廃車体が写っており、左から 485系のレッドエクスプレス、その後ろにちらりと見えるのが キハ26、その右が客車でその隣りが583系です。 中央背後に赤く見えるのは7月の出番を目前に控えたキハ200です。 キハ200は8両が新製配置され、そのうち6両が5月に直方から 自力回送されて鹿児島入りしています。

平成4年6月西鹿児島付近


自社線連絡

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