このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

あの列車が駆けた風景

急行列車・快速列車


急行かいもんヘッドマーク

平成5年春に九州内の夜行急行”かいもん””日南”が特急に格上げされ、 787系となり、門司港発着だったかいもんも博多発着となりました。 12系の座席車側にはマークはありませんでしたが、24系25形側には バックサインがついていました。

平成5年2月西鹿児島

急行霧島

583系寝台電車で運転されていた特急きりしまは 後に急行霧島となり、末期は新大阪−西鹿児島を結ぶ臨時急行と なっていました。95年4月の改正で宮崎−西鹿児島のローカル特急に 名前を譲り、自らは”桜島”と改称して1年ほど走りましたが、 その後消滅しました。

平成4年11月鹿児島車両所付近

急行えびの

485系の特急が鹿児島本線を闊歩していた頃、急行えびのは 博多まで運転されていました。一時熊本打ち切りだったのを 一旦博多行きに戻し、再度熊本で打ち切るようになった頃には 787系が進出していました。 当時といえば、急行くまがわが湯前や水前寺へ延長運転されていた頃です。

平成5年2月熊本

最後の試験塗装機ED76-37が92年6月29日を以って全般検査に。 一般色に戻って7月16日出場。なお、同車はTOMIXで模型化されています。
指宿枕崎線用キハ200、8両のうち6両が、5月19日、新潟鉄工より甲種で発送。
21日、直方到着後、28日に6連自力回送で鹿児島入り。

92年7月15日改正
快速なのはな指宿枕崎線に毎時1本(つばめ接続)8往復登場。
運用に無理があったようで、快速いぶすき時代の山川発着から 指宿発着となりました。これが後々緒を引き、山川発着に戻ると同時に 快速の本数が減り、普通列車増発の要望と引き換えに停車駅数が 増える結果となっています。

快速いぶすき

平成4年7月の改正まではキハ28・65・58からなる快速いぶすきが 西鹿児島‐山川を1日3往復走っていました。

平成4年6月慈眼寺‐坂之上

快速錦江

鹿児島にちりんをサポートする形で走っていた快速錦江も この改正で特急きりしまへ格上げされる形で統合されました。 現在も日豊本線鹿児島口には快速を名乗る列車は存在しますが、 停車駅の少ない普通列車といったところです。

平成4年11月鹿児島付近

787系さわやかライナー

92年年7月改正の直後、夏休みには上り1本の特急つばめが 定期列車の延長の形で国分始発となりました。 この列車はほんのわずかな期間だけしか走りませんでしたが、 日豊本線系統の西鹿児島−国分のホーム/さわやかライナーが 787系の9連で運転されていました。

平成5年2月鹿児島−竜ヶ水

実は鹿児島地区に客車列車復活

日豊本線の”ドリームにちりん”は博多へ延長される一方、 南宮崎止まりとなりました。 元々急行時代には普通列車で西鹿児島へ乗り入れていたので スジを踏襲して接続列車を運転しました2324レ。列車は寝台車を外した 12系客車で、ED76が西鹿児島‐宮崎を牽引しました。 1年程度の暫定処置で、現在は気動車列車となっています。

平成5年10月霧島神宮

キハ53-100廃車へ

キハ53はキハ45系列のなかでも11両が製作されただけの 少数派ですが、その中で長大編成対応の100番台が2両製作され、 鹿カコに新製配置されました。主に北薩の宮之城・山野線などで 使われたようですが、晩年は肥薩線系統で走っていました。 平成4年度いっぱいで廃車となっています。

平成4年5月西鹿児島駅付近(宮田踏切より)

715系

583系が九州から撤退するのと 入れ替わりで、583系を近郊型電車に改造したこの形式が登場しました。 八代以北の鹿児島本線で使われていたこともありましたが、 晩年は長崎本線系統に集結しました。数年、の予定が伸び伸びになりましたが、 813系が増備されるのに伴い、98年3月26日で運用を離脱しました。

平成5年2月熊本


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