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バリアフリー体験記〜〜うらみのステップ
■おことわり
最初から正直に記してしまうが、本文は公論ではなくただの感情論である。読み進めると気分を損ねる方も出てくるかもしれない。よって、筆者のいつもの筆致を求める方は、躊躇いなく 「表紙に戻る」 をクリックされたい。
では、これ以降は「筆者」ではなく「私」と名乗ろう。客観的ではないが、私の体験を通じて、(主にバスに)バリアフリー向上につながれば、と思う。
■事件のあらまし
私・長男(6歳)・長女(2歳)はバスに乗った。ある程度長い時間の移動になることから、長女はB型ベビーカーに乗せていた。
乗車する瞬間から、既にいやな予感があった。どうやらこのあたりでは最も旧い車両のようで、ステップが高く、料金箱横の通路幅が狭い。ベビーカーを押し上げるには難儀だ。車内を見ても、座席のモケットがいかにも古くさい。幸いにして空いており、最後部の席に陣取った。こどもらは靴を脱ぎ、席の上ではしゃいでいる。他の客の邪魔にならぬよう、ベビーカーはたたんだ。
終点に到着した。長男が真っ先に降りたが、こちらは大過ない。長女が靴を履いて動きたがった。一方でベビーカーを組まなければならない。たたんだまま手を取るという選択もありえたが、ドア幅が広いとはいえない。これくらいの段差ならば降りられるだろうと敢えて楽観して、長女を先に行かせた。
しかして、長女はステップで転んだ。顔から先に落ち、鼻を強打し、大量の鼻血が噴き出した。そう簡単に止まる気配がなく、やむなく病院の休日診療に駆けこんだ。
ちなみにこのページの背景画は、このとき長女の鼻血をおさえたタオルをスキャンしたものである。
■バスのステップ
このバスのステップは、蹴込の奥行きが狭く、段差が高かった。あいにく実車の写真は押さえていないが、だいたいこんな感じである。
こういう事件に遭ってみると、ある先生がバスのサービスレベルを酷評している理由が実感できる。勿論、事件の当該車は私の活動する範囲では最老朽の古参であろう。しかし、全国を眺め渡してみれば、この程度の老朽車はざらに存在しているのだ。現に、画像入手を「とも」様に依頼したところ、難なく速攻で来着した。
バスが日本で走り始めた頃、こども連れの移動といえば、おんぶ紐などが常識であったろう。また当時の技術水準からすれば、段差が高いのもやむをえない仕儀かもしれない。とはいえ、それから長い時が経っているではないか。技術水準は飛躍的に向上しているし、なによりも利用者のニーズが激変している。バス事業者らは、それに対応する気はないのか。
街を歩いてもみよ。おんぶ紐はまるで見ない。その一部は抱っこポーチに変化しているが、多く(目の子半分前後)はベビーカーではないか。
車輪を利用した個人用ビークルとして、当代ではベビーカーと車椅子が発達してきた。それらへの対応が公共交通機関、なかんずくバスでは遅れているといわざるをえない。
■道路上の公共交通における乗降の難儀
ひとりバスだけを責めるのは酷かもしれない。道路上の公共交通機関では、路面電車を含め、乗降時の理想型というものがない。例えばこれなどが典型であろう。
段差が極めつけに高く、蹴込の奥行きがまるでないことが見てとれる(※)。この車両には普通鉄道用のものを路面電車に充てた無理があるにせよ、一時代前の路面電車は概ね同様の仕様ではなかったか。ただ、ステップが車内にあるため、あまり目立たなかったにすぎない。
ステップが悪者ならば、なるべく段差を低くするという発想がありうる。例えばバスのワンステップ車がそうだ。が。・・・・・・
ならば理想型はノンステップ車(バス)・超低床車(路面電車)ということになるはずだ。しかしこれらにもかなり大きな弱点がある。それはステップがないため乗降が容易ではあっても、車輪を格納するスペースが張り出しているため、通路幅が狭く車内の移動が厳しいということだ。
また 熊本の記事 に記したとおり、車椅子で乗降できる車両であっても、停留所のホーム幅が狭いために車椅子利用が事実上不可能なところもある、という笑えぬ笑い話のようなミスマッチもある。理想には、まだまだ遠いといわざるをえない。
してみると、究極の理想型は東京都交通局荒川線に行き着く。
これはホームを嵩上げしステップを切った成果であり、その威力は絶大と評さなければならない。しかも普通鉄道や新交通システムとは異なり、路面とはスロープで接続されているから、エレベーターやエスカレーターといった大仰な設備でバリアフリーを実現する必要がない、という点においても優れている。これが理想中の理想というものであろう。
勿論、荒川線は稀有なる例外であって、一般論としては充分な幅員のあるホーム設置が困難だということは理解できる。停留所の移動や路線改廃が頻繁に起こるバスにおいては、簡易なインフラが望ましいことは確かである。しかしだからといって、その事情に甘えたままでいいのか。これから少子高齢化が進む時代において、年老いゆく壮年層に逃げられ、将来の利用者になる幼年層(というよりもむしろその親)にそっぽを向かれてしまえば、どれほどの利用者がバスにとどまるというのか。展望はたいへんに厳しいといわなければならない。
技術・制度・コスト等さまざまな面において、課題と障害は山積している。とはいえ、それらをすべて乗り越えない限り、これからの利用者ニーズはつかまえられまい。目標は極めて単純、「ステップをなくしバリアフリーを実現せよ」それだけである。速やかなる改善を望むものである。
■あとがき
この件はほんらい親の監督責任に帰すべきであり、長女が降車する際にしっかりと手を取らなかった私が悪いだけのことである。その自覚はいちおうある。しかしながら「なぜそこに危険なステップがあったのか!」という憾みがどうしても消えず、私憤にかられて一文を興してみた。客観性には著しく欠けるかもしれないが、バリアフリーを考えるうえで、読者諸賢の参考の一助となれば幸いである。
末筆ながら、長女の怪我は軽傷ですんだ。見た目派手に血が噴き出したので慌てたが、鼻骨が折れたわけではなく、動脈も損傷してはおらず、止血措置だけですむものであった(とはいえ完全に血が止まるまでにはかなりの時間がかかったが)。医者先生曰く、
「お父さんの目から見て顔立ちが変わってなければ大丈夫ですよ」
とのこと。というわけでシレッと、
「娘は鼻ペチャなんで、もうちっと鼻が高くなりませんかねえ」
と尋ねたところ、医者先生もさる者、
「鼻の骨は大きくなってから成長しますよ」
とシレッと答えてきた。つまりは、そんな呑気な応答ができる程度の怪我だったということであり、それだけが不幸中の幸いではあった。
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