このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





トリノ五輪を終えて、地方社会の衰退を憂う。





■期待と予測

 トリノ冬季五輪が閉幕した。日本が獲得したメダルはわずかに1個。なんともさびしい状況である。では、事前の予想はどうだったのか。JOCは「色を問わず5個」と掲げていたが、これはあくまでも目標だから、士気を高めるためにも多めの設定になるのが当然だろう。問題は客観的に予想しうる立場からの反応にある。

 米誌「スポーツ・イラストレーテッド」の銅2(加藤・荒川)という予想が最も妥当なところで、筆者もメダルを取れるのはこの二人しかいないだろうと考えていた。五輪までに至る国際大会での成績を考えれば、この二人以外の選手にメダルを期待するのは酷、とさえいえるほどだ。勿論、勝負にはなにが起こるかわからないから、予想外の選手が飛び出てくる可能性はあるし、また勝負に臨む以上それぞれの選手がより上位の成績を目指す(周囲がそれを期待する)のは当然なのだが、だからといって実績の少ない選手に対してメダル獲得を当然視するのは無茶というものだ。

 五輪のたびの悪弊とはいえ、トリノ五輪ではその無茶を押しつけている印象が強く感じられてならなかった。4位入賞者に対する「メダルまでわずかに及ばず」という言葉も、選手への讃辞というよりもむしろ、メダル獲得を当然視する感覚の未練のように思える。自らの無茶な期待をとりつくろうために「惜しい!」と叫んでいるならば、それは選手の努力に対する正当な讃辞とはいえまい。

 安藤美姫は「メダルなんて要らない」と言い切ったという。筆者は通常この種の発言を許容しないのだが、周囲の「過剰な期待」から安藤にそのように言わしめてしまった一連の経緯を、今回ばかりは「不幸な関係」だと嘆じざるをえない。選手に期待をかけるのはよいとして、その選手の身の丈にあった期待でないと、選手が気の毒すぎる。

 日本選手の多数のメダル獲得を夢見るのは随意としても、客観性を欠いた過剰な期待をもって「予測」となし、それが外れた結果を曖昧かつ情緒的にとりつくろうのは、毎度のこととはいえどうかと思う。

 交通の世界では需要予測が人〜百人単位で下回ってさえ批判の対象とされることがあるが、スポーツ報道の世界では予測不的中が批判の対象になった試しはなく、当事者の反省もほとんど見られない。もっとも、予測者と批判者が同一とあっては、当然といえば当然の帰結なのかもしれないが……。





■採点基準への疑問

 冬季五輪では採点もの競技が多数をで占めている。クロスカントリースキーやスピードスケートなど時間だけで勝負という種目はむしろ少数派、ジャンプでも飛型点という採点要素が含まれている。では、この採点基準は明確なものなのだろうか。

 例えばモーグルでは、実況中継で「今日はターン重視の採点のようです」という解説が入っていた。上村愛子がいくらエアで3Dを決めても、ターン(タイム)重視の採点では高い点を得ることが出来ない。作戦ミスといってしまえばそれまでだが、先行選手の採点結果を見なければ基準の判断がつかないようでは、選手が事前に対策をとることは困難を極めるだろう。ましてスタート地点に立ってからの調節は不可能に近いと思われる。

 例えばフィギュアスケートでは、新採点基準導入により基準そのものは明確になったとはいえ、難度の高い技に対する加点が倍々で大きくなり、上位者どうしの点差が懸絶するという理解しがたい状況が発生している。男子金メダルのプルシェンコは実に258.33点、銀メダルのランビールは231.23点だからなんと27点以上の差がついている。この点差は、本当に有意なものといえるだろうか。ちなみに8位の高橋大輔は204.89点、女子金メダルの荒川静香は191.34点なのである。なお女子銀メダルのコーエンは183.36点と、男子よりは拮抗しているものの 8点近い差が開いている。実力差と点差は相似形で評価されるべきであるが、指数的に差が拡大するというのは、採点基準が良くないことを示す傍証の一つといえよう。

 もう一点付け加えると、ジャンプやノルディック複合のように、日本選手が活躍するとレギュレーションが日本選手に不利な方向に変更されるという、露骨なバッシングが未だあるのが冬季競技のおそろしさである。フィギュアスケートでも同じようなことが起こるのではないかと筆者は危惧しているが、杞憂に終わってほしいものだ。





■心を研ぎ澄ませた先に成長はある−−安藤美姫

 安藤美姫の高い運動能力は誰しも認めるとしても、表演する心が追いついていないように思われてならない。四回転サルコウに挑戦する意欲は尊いが、張丹・張昊ペアのように危険を冒して高度な技に挑み、かつ表演中に負傷し、それでも表演を継続して銀メダルを獲得した実績の前には霞んでしまう。スポーツ選手としてより高度な技に挑み続けるのか、芸術性を備えた表現能力を伸ばしていくのか、安藤の場合はそのあたりの意志がよく見えない。荒川が両者のベストミックスを図り、村主が表現能力に特化しているのと比べれば、好対照である。

 安藤は父の形見の指輪を身につけて表演したという。結果は140.20点と、上位に大差がついた15位。まるで亡父の加護がなかったかのようにも見えるが、父親というものはただひたすらに娘の無事を願うものなのだ。勝つよりもまず、健やかであれ、と。張丹のように怪我をせずにすんだ事実は、まさに加護があった証にほかならないといえる。

 迷える愛娘に父たる者はどのような言葉を贈るのか。辛く切なく苦しいことだが、安藤は自ら心を展ばしその言葉まで辿り着くしかない。安藤の未来に幸多かれと、愛娘がいる父親の一人として祈るばかりである。





■素晴らしき表現者−−村主章枝

 実をいうとある時期まで筆者は、フィギュアスケートに関心を持ちつつも、「競技」としてはあまり好きになれなかった。それは良し悪しの基準がよくわからなかったからで、伊藤みどり全盛期のマスコミ報道にミスリードされた影響が大きい。トリプル・アクセルではなく、三回転半ジャンプさえ飛べれば勝てると信じこんでいたというのは、笑い話にもならないところだ。

 長野五輪のフィギュアスケートで楽しみにしていたのは実はキャンディロロで、本競技よりむしろエキシビジョンが興味の対象だった。氷上でバックフリップまでやってのける豪快さと、ラテン色満載の奔放な演出はおおいに楽しくかつ面白く、筆者だけでなく妻にも好評だった。その一方日本選手の動向には興味が湧かず、荒川が出場していたはずなのにまったく記憶に残っていない。

 そんな筆者のフィギュアスケート観が一変したのはソルトレイク五輪の時で、たまたま見かけたヤグディンの表演に魅きこまれた。ヤグディンのステップは凄かった。華麗かつ情熱が躍動する熱気あふれる動きには痺れた。そして、観客もヤグディンの持ち味をよく理解していたのであった。ステップが始まると同時に拍手が沸き起こり、会場全てが一体となった盛り上がりを見せた。ジャンプだけがフィギュアスケートの要素ではないと痛感させられた、見事な表演だった。

 この時に筆者は村主章枝という選手を知った。日本にもこのように繊細かつ麗美な表演ができる選手がいることに驚き、以後応援の対象となった。

 新採点方式の下では、村主は最上位を狙うには厳しい位置にある。ピールマンスピンや三連続コンビネーションジャンプのように、強力な武器となる加点要素を多くは持たないとあっては、入賞しても優勝は難しいというのが現実だろう。その村主がトリノ五輪では4位入賞と、ソルトレイク五輪よりさらにランクを上げた。最後の高速スピンなどはいつ見ても泣ける。表現能力だけで観客を魅了できる選手はそうそういないし、しかもメダルに肉薄する4位入賞という素晴らしい成績まで残している。金メダルを獲得した荒川の前ではどうしても霞んでしまうものの、筆者は相変わらず村主が一番好きである。





■極上会心の笑みが全て−−荒川静香

 金メダル以降、さまざまな切り口での特番が多数組まれているから、もはや改めて解説する必要もあるまい。敢えて筆者なりの視点でいえば、荒川は良い意味でスポーツ選手の心を持っている。難度の高い(=高得点を望める)技に挑み続ける姿勢は、スポーツ選手として最も正しい心構えであろう。そして、それだけではなく表演する心をも持っているのが荒川の素晴らしいところだ。加点要素にならないイナ・バウアーを五輪という檜舞台に持ちこんだ意地と矜持は、絶賛に値する。

 ショートプログラムでは不敵なほどの笑みを浮かべていたコーエンは、フリーになると明らかに平常心を失っていた。スルツカヤの転倒直後の表情、そしてリンクから上がってきた際すぐ靴にカバーをしなかった姿勢には、どこか投げやりさが感じられた。長い競技生活に疲れていたのだろうか。そして、荒川はこの二人とは対照的な高みにまで到達した。表演を終えた直後の極上会心の笑みは、持てるもの全てを出し尽くした満足と充実と歓喜に満ちていた。こんな表情を出せる選手は凄いと思うし、これだけの表情ができる表演を行ったからこそ金メダルを獲得したといえる。

 荒川が立派だと思うのは、金メダル獲得直後のインタビューで「びっくり」を連発していたところである。コーエンとスルツカヤがベストの表演をしていれば勝負がどう転んだかわからない、勝負の綾は最後まで見えるものではないという心構えは、スポーツ選手として実に正当である。

※フリーのプログラムの基礎点に大幅な差があったから、ショートプログラムでコーエン・スルツカヤ・荒川が横一線で並んだ時点で荒川の優位は確定したという解説もあった。要するに、コーエンとスルツカヤはベストの表演をしてさえ荒川には届かないことが事前にわかっており、それがモチベーションを削いだというのである。新採点方式には、まだまだ難しい奥深さがあるといえそうだ。

 金メダル獲得後、荒川にはインタビューが殺到しているが、その応答を見ていると荒川は人間としても偉いものだと感じられる。勝った結果への驕りや慢心は微塵もなく、人生全体の遠い道のりをも見つめている。マスメディアとスポーツの関係を卒業論文の題材に選んだ荒川であれば、 「時間つぶし」 の素材として消費され潰されることもないだろう。

※荒川と比べると、スノーボード・ハーフパイプの有力選手が如何に幼稚であるか、よく理解できる。あのような未熟な心構えの選手たちには、国を背負うような期待をかけてはいけない。たとえ不振に終わったとしても、ジャンプやスピードスケートの選手たちには鍛え抜かれた美しさがあった。そういう美しさを伴わない限り、一流選手にはなれない。

 そんな荒川の立派な発言の一つに、競技環境に関する言及を挙げることができる。荒川や本田武史が幼い頃に技術を磨いたスケートリンクが既に閉鎖されているほか、スケートリンクの縮小傾向が止まらない現状を荒川は憂い、かつ後進が育つような競技環境の確立を望んでいた。競技全体を見渡す発言ができるような選手は、スポーツ界広しといえどもそう多くはない(トリノ五輪ではマイナーな競技を中心にこの種の発言をする選手が多く好感が持てた)。しかし、たいへん遺憾ながら、冬季競技の将来が明るいとはいえない。この点を本稿の結論にしたい。





■冬季競技不振の根は深い

 繰り返しになるが、トリノ五輪で日本選手が獲得したメダルはわずかに1個。JOCの総括会見は悲痛なほどであった。選手団編成の縮小など、小手先の対応もありうるだろうが、それだけで解決する状況とは到底考えられない。長野五輪からの選手が未だに主力を占め、選手の世代交代が進んでいないという分析は、確かに一面の真理を衝いてはいる。では何故、世代交代が進まないのか。その点に関する分析を加え、対策を施さない限り、冬季競技の将来はない。

 トリノ五輪に参加した選手の出身地を見渡してみればすぐわかる。北海道・長野・新潟に偏在しているということが。競技によってはさらに局地的で、スピードスケートは日高から十勝にかけての太平洋沿い、ジャンプは下川町、カーリングは常呂町に集中している。大都市圏出身者はスノーボードやフィギュアスケートなど少数に限られる。

 運動能力にかけて、大都市圏出身者も地方出身者もそう大きく変わるものではなかろう。それでも選手が偏在しているというのは、その競技に如何に幼少時から慣れ親しんでいるかにほかならない(中学から競技を始めた村主のような例外もいるにはいるが)。大都市圏に生まれたこどもは公園で野球やサッカーに親しむことができるが、スキーやスケートで毎日遊ぶのは困難どころか不可能だ。

 冬季競技の第一人者になるためには、日常的に競技に親しむことが必要不可欠で、全般に温暖な日本の気候では、北国出身者に偏るのは当然といえば当然の帰結かもしれない。

 だがしかし、今の北国には有為な若者を輩出するほどの「元気」があるといえるのか。過疎化と少子高齢化は地方において劇的に深度化している。人口じたいが大きく減るなかで、若年層の減少は絶対的に深刻な勢いで進んでいるのだ。冬季競技主力選手の世代交代が進まないという現実こそが、地方社会の実態をあぶり出している。

 日本全体が都市型社会に転換している以上、冬季競技選手も大都市圏出身者に求めるという選択はありうるだろう。ただし、その選択も現実には厳しいと記さなければならない。前述したとおりスケートリンクの縮小傾向は続いているし、屋内型スキー場「ザウス」は無残にも解体されてしまった。日本では冬季競技の「市場」が薄いといえるのだ。今後も発展が期待しうるのは都市型スポーツのフィギュアスケートだけ、残りの冬季競技の前途は極めて厳しいと指摘せざるをえない。ボブスレーなど橇系競技は日本に二箇所(札幌・長野)しか会場がないため(その二箇所でさえ今後も維持可能という保証はない)、普及は最初から絶望的だ。

 Jリーグのように地域を挙げて取り組まなければ、若い選手は育っていかない。かつての北国では無為自然のままでも選手が育っていったものだが、今日では地方社会そのものが傾きかかっており、若者が雄飛するための足場は失われつつある。先日記したとおり、 ちほく高原鉄道の沿線を歩いた実感 として、地方社会の衰退は深刻な域にまで達している。JOCが選手育成・強化を旗印に掲げるだけで改善するほど、状況はなまやさしくない。この現状に次の詩の一節が思い浮かんでしまう。

「ふるさとは海の村にはもう若者を育てる力がないという」(岩間芳樹作詞 「海の匂い」 より)

 トリノ五輪の結果に地方社会の衰退を嘆く筆者は、想像力が逞しすぎるのであろうか。長野五輪が地方社会最後の輝きだった、ということにならなければいいのだが、どうやら現実はその方向に転びつつあるように思われてならない。メダル獲得数の予測がはずれたことが些事のように思えてきたほどである。





元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください