このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





「未曾有の天災」は批判できない





■安物の時代劇よりひどい

 安物の時代劇でも、ここまで安易な筋書にはすまい。小手先の詐術・虚言を弄するだけで窮地を切り抜けられる、と確信していた悪代「菅」はあまりにも不誠実というものだ。悪人と評すのも勿体ないほどの小悪党にすぎない。その詐術・虚言に丸めこまれた波戸屋の三代目は、交渉下手というか、世間知らずというか、それとも無知蒙昧というべきか。こんな三文芝居を見せられる観客は、たまったものではない。

※ただし、現状は近々の解散総選挙がなくなったため、「誰も困らない」状況になった点に留意すべきである。現首相は選挙に弱く、総選挙を避けられて一安心。前首相はかつての出資金がきちんと返済されるか否か、焦燥する場面を回避できた。現幹事長は、前首相から「出資金を返せ」と迫られると原資がなく、対応に苦慮して立ち往生すべきところを救われた(※いずれも不信任案賛成→除籍という場合を想定)。前幹事長は選挙になっても困らないが、きたるべき総選挙では大多数の子分が落選したであろうから、勢力温存に成功した。
 旧与党の片方は、あくまで政権に参加することが目的なのであって、組織の疲弊を招く総選挙などは避けたいはずである。旧与党のもう片方は、現与党を追い詰める迫力に欠け、選挙準備をしていたようには見えない。
 今回の茶番劇は、大山鳴動して鼠一匹も出ない結果となった。内閣不信任案否決は、全関係者の利害と一致している(と思われる)のだから、当然の結果である。阿吽の呼吸による未必の談合ではないか、とすら疑われる。


 怒りよりもむしろ、驚きや呆れを覚える。まして、現首相を批判している場合ではないし、批判できないとも感じる。

 かくもとんでもない現首相を戴いているのは、日本国民の積極的な選択の結果である、というようなことを 以前の記事 には記した。本稿ではさらに踏みこまなければなるまい。現首相は存在そのものが天災であり、最悪の災厄が首相の座にあるという事実を受け止め、それを所与の前提条件として行動を律さなければなるまい、と。

 相手が人間だと思うから腹が立つのである。天災だと思えば、天災そのものを批判している場合ではなく、淡々と粛々と対応せざるをえない現実に気づかざるをえないであろう。ただしこれは、批判できない理由にはならない。単に「批判している場合ではない」理由を挙げているにすぎない。以下、批判できない理由を敢えて記してみる。きわめて不本意な話ではあるが……。





■日本人が望む「小さな独裁」

 迂遠に思えるかもしれないが、ここで一旦話題を変える。東日本大震災発生直後、以下のようなニュースが報道されていた。記憶に頼る再現のため不正確だが、物販店の店頭でかような会話が展開されていたはずである。

 TV  これから何をされようとしているのですか?

 店長  いま店に残っている灯油を、無料で皆様に配ろうと思います。

 TV  何故無料なのですか?

 店長  いまの時期、まだまだ冷えこみが厳しく、皆様凍える思いをしているからです。
     社長には怒られるかもしれませんが、私はやります!




 ……美談である。この若い店長には惻隠の情があり、思いやりがあり、行動力がある。「いま自分が為さねばならぬこと」をこの店長は知っていたといえる。この店長の機転により、過酷な状況から救われた方も少なくないであろう。その意味において、この店長は実に立派なことをされた。

 また、このエピソードは日本人が最も好む感動話の典型にもなっている。まさに「いま自分が為さねばならぬこと」を、土壇場において実行できるほどの人物は少ない。我が身に置き換えて考えさせる、という観点でも、素晴らしい逸話を残してくれた。

 しかしながら、この店長の行動には僅かながら瑕がある。読者諸賢は気づかれただろうか?

「社長には怒られるかもしれませんが、私はやります!」

 要するに、独断で無料配布を決断したわけだ。震災直後の大混乱ゆえ、連絡不通という事情があったのかもしれない。おそらく、実態は連絡不通だったのであろう。もっとも、それを前面に出す必要は実はまったくないのだ。淡々と無料配布を始めればよいだけの話ではないか。繰り返しながら、敢えて再録する。

「社長には怒られるかもしれませんが、私はやります!」

 この若き店長は、社長に対して甘えている。独断で無料配布しても、事後承認されると確信しており、その確信が前提条件となり行動を律している。為していることは立派でも、根底には「甘え」がある(※)。大多数の日本人は若き店長に共感すること間違いなく、それゆえこのエピソードは美談たりうるのである。

  ※まずTVで公表されてしまえば、社長の選択肢はただ一つしか残らない点にも留意すべきである。
   店長の独断を追認する大度を示す以外にないではないか。

 日本人は現場の裁量という類の「小さな独裁」を好む。それは前述したように、「機転」「融通無碍」「柔軟」といった単語で称揚の対象にさえなる。「独断専行」「我儘勝手」「越権」などのネガティブな単語はなかなか出てこない。そして、「小さな独裁」とは、上司はもとより第三者から賞賛されることを求めている。

「私のやっていることは立派でしょ? 認めてください! 誉めてください!」

 要するに若き店長は、言外に以上のようなことを意志表示している。もっとも彼を批判の対象にするのは忍びない。なぜなら、日本人の大部分は彼と同じようなマインドを共有している、と思われるからである。そもそも、若き店長は人道に即した「正しい行動」を為しているではないか。結果が良ければ、動機を云々しても始まるまい。





■「正しくない行動」そして

 しかしながら、「正しくない行動」を採ったならば話は別である。それこそ動機がなんであれ、行動とその結果は厳しく指弾されなければなるまい。甘えに基づく「正しくない行動」の典型例といえば、なんといっても二・二六事件を首謀した将校であろう。彼らの動機や目的に純なものが含まれていたとしても、行動は紛れもなく叛乱そのもので、昭和天皇が叛徒鎮圧を厳命したのは当然であった。彼らの悲劇は、昭和天皇の明確かつ峻厳な判断基準を知らず、「自分たちの行動は天皇に赦されるはずだ」と思いこんだ点にあった。彼らは無意識ながら「承認の欲求」にとらわれ、天皇陛下に甘えていたのではないか。

「私たちのやっていることは立派でしょ? 認めてください! 誉めてください!」

 二・二六事件の首謀者たちは、言外に以上のようなことを意志表示している。今日でもなお彼らに共感し、その行動を擁護する向きが決して少なくないのは、日本人の心に最も共鳴しうる「感動的な」行動形態を採ったからではないか。

 日本人の心に基礎がある以上は、歴史が古く、根も深い。同様の事象は「忠臣蔵」にも認められる。赤穂浪士の目的を是としても、行動形態は私的な仇討ちにすぎず、「正しい行動」とは決していえなかった。赤穂浪士たちは恬淡と裁きを受け、潔く死に赴いたが、世論の大勢は赤穂浪士の味方であり、助命嘆願が山のように寄せられた。日本人の心は、赤穂浪士を殺すに忍びなかったからである。理由は既に記した。日本人はたとえ「正しくない行動」を起こしても、それを認め誉めてほしい「甘え」の心を持っているのだ。赤穂浪士はその典型に擬せられ、深い共感の対象になったと思われる。



 問題はここから先だ。

 現下の日本は「大きな独裁」に晒されている。総理大臣が単独で突っ走り続ける状況は、日本史上稀有な事態というべきであろう。まさしく「独断専行」「我儘勝手」「越権」であり、「未曾有の天災」たる所以である。ところが、現首相を批判する声は、いまひとつ迫力に欠ける。何故か。

「私のやっていることは立派でしょ? 認めてください! 誉めてください!」

 現首相は、言外に以上のようなことを意志表示しているからである。しかも、あざといほど巧妙に、この意志表示を続けている。本人はあくまでも「正しい行動」を為しているつもりでいるから、かえってたちが悪い(※)。一国の首相が国民への「甘え」を示している、という点でも歴史上稀有というしかあるまい。精神の幼児性を如実に示す首相とは、実に珍奇と評すべきであろう。こんな倒錯(あべこべ)は本来許容されるべきではない。断じてない。

  ※ナチス幹部の如き、敢えて悪を為すという覚悟と確信があるならば、初めて批判を加えるべき対象たりうるだろう。
   もっとも、それはそれで更に深刻な大問題になるのだが……。

「私のやっていることは立派でしょ? 認めてください! 誉めてください!」

 筆者が知る限りの歴代首相は、自らの行動に確信を持っていたか、せめて確信を持とうとしていた。要するに、心が大人であったか、かなわずとも大人であろうと努力していたはずだ。

 阪神淡路大震災に直面し「こんなこと初めてだから」と口走った村山首相でさえ、自己の経験と能力を客観化できる程度の「大人」ではあった。漢字の読み間違いなどでとかく批判されがちだった麻生首相でさえ、良き首相たるべしという気概はうかがえた。

 首相が等身大の自己を認識できず、行動の結果に確信を持たず、正当な手続を践まず、ひたすら国民に甘える姿を示すとは、まったくもって「想定外」の事態というしかない。これは皮肉でもなんでもない。繰り返し何度も書かざるをえない。「未曾有の天災」たる所以である。

 ところが、自ら「甘え」たい日本人は、現首相の、

「私のやっていることは立派でしょ? 認めてください! 誉めてください!」

 というメッセージを敏感に受け止め、共感を覚え、あまつさえ行動を是認してしまっている。それゆえ、現首相への批判は弱々しくならざるをえない。相手の姿が自分の鏡像であるならば、批判を加えるのは難しくなるのが道理というものか。

 以上、きわめて不本意ながら、現首相を批判できない理由を記してみた。現首相は日本人の心理をよくよく知悉している、と評さなければなるまい。だからといって、現首相が偉大な政治家かといえば、まったく別次元の話であろう。最悪の災厄という筆者の評価は、今後ともけっして揺るがないはずである。





■補遺

 東京電力福島第一原子力発電所の吉田所長は、前述した「小さな独裁」を十全に発揮し、最悪の災厄たる現首相による被害の度合を軽減した、と伝えられている。( 「現代ビジネス 経済の死角」 より)

 日本の伝統的行動形態は、「最悪の災厄」を些かなりともしのいだらしい。もっとも、その結果として、「日本政府の発信する情報は信用ならない」という風評をも確定させてしまったわけで、弊害もまた甚大であった。あちらが立てばこちらが立たない。こたびの震災はそれほど甚大なものであった、という裏づけといえよう。





元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください