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【戦評】二十三枚の切符(カード)【南アフリカ大会版】





■戦評

 さて、遅れ馳せながらの戦評である。いまさら屋上屋と知ってはいても、敢えて書かずにはいられない。

 よくやった!
 素晴らしい!


 ……というのが本音である。今回の日本代表は、前回ドイツ大会のみならず過去三大会のモヤモヤ感を吹き飛ばした。過去三大会においていずれも、日本代表は力を出し尽くせなかった。ほんらいの力を発揮する前に、なす術なく敗れたようなものだった。それゆえ「もっとやれたのではないか?」と、いわば「過去期待未来形」の文法で悔恨を引きずる形となった。これは精神衛生にきわめて悪い。

 同様の感覚は実は広く共有されているらしい。平成22(2010)年 6月30日付の讀賣新聞一面には、このような記述が載っている。

「世界に初挑戦した1998年フランス大会を除けば、日本は、2002年日韓大会、06年ドイツ大会と、不完全燃焼の『終戦』を迎えている」

 もどかしいモヤモヤ感は、筆者ひとりだけが持っていたわけではない、ということだ。

 今回日本代表は、準々決勝に進めず敗退した。しかしながら、全力を出し尽くした結果としての敗退には、すがすがしいものが残る。 日韓大会の際、筆者は既に書いている。

「そしてアイルランド。鉄壁の堅守を誇る準優勝国ドイツと互角に戦い、試合終了直前に追いついた粘りには、圧倒された。決勝トーナメントでも強豪スペインと延長戦まで戦い抜いた。PK戦で惜しくも敗れたものの、これはスペインGKの好セーブを誉めるべきであろう。アイルランドが全力を出し尽くしなお及ばず敗れたという結末は、人生における普遍的な課題を示した」

 同じ感動を、わずか八年後わが代表で味わえるとは、思ってもみなかった。





■なぜ勝てたのか?

 今回日本代表が八強をうかがえる寸前まで至ったのは、ひとえに選手起用が的確だったことに尽きる。特に初戦カメルーン戦が顕著で、松井と大久保が縦横無尽に大活躍、本田・長谷部・阿部・川島らが目覚ましく動き回っていた。大久保に代えて矢野、という起用には意表を衝かれたが、その矢野が前線からの守備に貢献し、時間を巧く消費した姿には、ほとほと感服した。

 その一方、大会直前まで重用されていた中村俊輔・内田・楢崎が主力から外されている。しかも、代表から外すのではなく、ベンチに残したという措置が、またおそろしく絶妙だ。ただしこれは最も非情なる措置ともいえ、悪い方向に転げる可能性を秘めていたはずだが、岡田監督が打った手は結果として有効に機能した。

 岡田監督はさらに、戦術まで大転換している。攻撃的布陣から守備的布陣へと変更し、阿部をアンカーに据えて守備の人数を増やし、中村俊輔を外し、岡崎もサブに回し、本田をFW起用し、さらに闘莉王の攻め上がり(常時パワープレイ)をも封印し、まず守備を固めることに徹した。守備重視の戦術・選手起用はまったく有効だった。

 大会直前まで囂々たる批判にされされていた岡田監督ではあるが、実は「勝つ」という一点に関しては、世界に伍せる炯眼を備えていたのである。





■岡田監督が戦っていたもの

 この岡田監督の変化をどう見るか。少なくとも筆者は、監督が一朝一夕にして化けるとは考えない。もともと勝てる素養があったはずなのに、理想を追求せざるをえなかったがため、「現実的な」守備重視の戦術を本大会直前まで採れなかった、と筆者は考える。

 なぜなら、現実に勝ったというのに、それでも岡田監督への批判がやまないからである。これら批判を、どう受け止めるべきか。

   批判1
   批判2
   批判3

 以下、かなり穿った見方になる。これら批判を展開する方々がいるからこそ、岡田監督は攻撃的布陣を採り続けてきたのではないか。

 攻撃的布陣は確かに理想。でもそれで世界に通じるか。W杯本戦で通じないのは明らか。さりながら、強化試合段階ではそんな布陣では面白味が全くないわけで、「客を呼べない」「金を取れない」ことになる。

 協会は強化費獲得を大義名分に興行を考える。よって監督は現実路線を採れない。そもそも現実路線を採ろうにも、強い相手とは滅多にあたらない。格下・一軍半相手の試合が圧倒的に多い。そんな相手に守備的布陣で行けるかといえば、行けないのが道理であろう。

 岡田監督は、そういう呪縛のなかで強化試合を続け、本番直前になって「現実路線」に舵を切ったのではないか、と思われてならない。なぜならば、本番では「勝てば官軍」だからだ。勝てばこそ、マスメディアも誉めそやす。筆者は従前、岡田監督を迷将・凡将とみなしていたが、この点に気づいて以降同情を感じるようになった。





■勝って焦土の住人か

 だからといって、岡田監督の手法に批判の余地がないとはいえない。特定選手の偏重という悪癖は本戦でも変わらなかった。もしパラグアイ戦に勝てたとしても、次戦では遠藤・長友が出場停止になっていたはずで、ならば誰を起用したというのか。

 守備重視の戦術・選手起用をしたというのに、長政・内田に出場機会がなく(このほか森本が出場していない)、今野の出場時間も極端に短かった。フィールド・プレイヤーには20枚のカードしかないというのに 3枚ものカードを余すとは、発想が固陋である。

 既に記したとおり、偏重により主力選手の疲弊を蓄積させ、控え選手の士気を阻喪させ、戦術の硬直化(望ましくない事態における対応能力の低さ)を招いた岡田監督の責任は、決して軽くはない。

※対パラグアイでのPK戦で、駒野が外しただけではなく、それまで美技を連発していた川島が一本も止められなかったのは、疲労の影響が大きかったからではないか。精神力で体力を補うのは、当然ながら限界がある。特定選手偏重の影響がなかった、といいきれるかどうか。そもそもあの場面では、キッカーには中村憲剛などより妥当な選手がほかにもいたはずだ。そこを敢えて駒野を指名した真意は如何に。

 今大会では勝ち上がれたからまだよい。この貴重な経験を誰が体現していくというのか。長谷部ですら既に26歳になっている。二十代前半の選手は本田・長友・岡崎・内田・森本のみ。次回大会でどのような選手起用をするか、次期監督はいきなり苦悩する羽目になるだろう。

 ベスト16に勝ち上がった功績は相応に顕彰すべきとしても、そこに至るまでの過程には批判の余地がおおいにあることは、忘却されてはならないと考える。





■付記

 今大会の白眉は、やはり本田であろう。試合での活躍はもとより、以下の発言には感心した。

「大会前に多くのファンが応援してくれたことだけじゃなくて、多くの人が批判してくれたことも僕は感謝しています。批判してくれる人がいなかったら、ここまでも来れたかどうかも分からない出来だったんでね、W杯前は。ガッカリした人もいるかもしれないけど、真剣に応援してくれた人には『ありがとう』と言いたいです」

 本田の器量は尋常にあらず。応援者だけではなく、批判者にも感謝の念とは、たいしたものである。この発言は、熱戦のあとに残る一幅の清涼剤となった。



 また、前回大会後をまとめた記事で、「浦和レッズのフロント陣を協会に招聘すべき」と記した。しかも、これは現実化している。しかしながら、この措置がうまく機能した、とまではいえなかったようだ。日本サッカー協会は、W杯で好成績を挙げた直後だというのに、会長が交代する。なんらか軋轢があったことは間違いなく、今までもたついたのは当然、今後どうなるか不安、と考えざるをえない展開となっている。





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