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東日本大震災から一年を経て
■日本社会の変調
東日本大震災から一年が経った。記憶はいまだ生々しいというのに、時間だけは冷厳に過ぎていく。筆者個人の思いとしては、時間をいたずらに空しく費してしまったという感が強い。
相手は、天災だ。
先に記したとおり
、如何なる激甚災害といえどもニュートラルな自然現象に過ぎない。だから、自然現象を恨んだところで始まらない。それよりも、自然現象からなにを学んでいくかがよほど重要だ。
しかしながら、人間といえども生物の一種にすぎず、大自然の一部を構成する。いくら近代社会の文明に鎧われているとはいえ、である。それゆえ、人間は大自然の変調に影響されざるをえない。
厳密な検証をしているわけではないので直感的な話になるが、東海・東南海・南海地震の前後には必ずといっていいほど大政変が連動している点が気になっている。
直近では、昭和東南海地震と昭和南海地震の間に敗戦を迎え、日本は最も劇的な政変を経験した。
安政東海地震・安政東南海地震の13年後、幕末の動乱を経て、江戸幕府から朝廷に大政奉還された。
宝永地震が起きてから 9年後、徳川吉宗が征夷大将軍の座に就いた(徳川吉宗が享保の改革を進めたのは周知の事実)。
慶長地震の 2年前には、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を樹立した。
天正大地震の前年には、豊臣秀吉が関白・太政大臣となった。
明応地震の前後には、11年前に永享の乱、 8年前に嘉吉の乱があり、18年後に応仁の乱が始まった。
建武の新政から南北朝時代、室町幕府成立という、30年ほどの政治的大混乱の後、正平康安地震が起きている。
大地震の前後には、間違いなく地磁気が変調する。人間は大自然の変調に影響されざるをえない、と書き切れるのはそのためである。そう連想していけば、次なる東海地震発生が間近に迫っているまさに今、政変に向けて日本社会が変調しているのは当然であろう。否、表現としては逆だ。日本社会の変調をまさに今、リアルタイムで肌で感じているからこそ、政変が起こる、即ち次なる東海地震発生が近いと確信できてしまうのだ。
■如何に歴史に刻んでいくか
しかしながら、と二重に否定語を継がなければならない苦しさがある。いくら地磁気が変調しようとも、人間という生物の基本構造は変わらない。それゆえ、人間の本質は変化のしようがなく、愚かな行動もまた周期性を持って繰り返されることになる。その予兆ともいえる報道が、最近になって散見される。
東日本大震災の津波で流され、宮城県石巻市の雄勝公民館の屋上に残されたままになっていた観光バスが10日午前、撤去された。震災の爪痕として後世に残すべきだとの意見もあったが、市は「悲惨な記憶を呼び起こす」という住民の声を尊重し、撤去を決めた。
時事通信 平成24(2012)年 3月10日付記事より
3・11爪痕残す被災遺構 保存か解体か 揺れる被災地
一本松を含め震災モニュメントの候補になっている被災遺構は少なくない。ただ、つらい記憶を思い出したくないという被災者の声に配慮し、撤去される例もある。保存か、解体か。被災地の判断は揺れる。
(中略)
……町長は「震災を風化させないため」と保存の意向を示したが、犠牲になった職員の遺族らは「いつまでも残っているのはつらい」と反発。……
……被災者や遺族の感情に配慮するケース以外にも、津波で内陸に押し流された船などは二次災害の危険があり、早々と撤去された。
(後略)
産経新聞 平成24(2012)年 2月24日付記事より
悲惨きわまりない大災害のことを思い出したくない、という心理じたいは痛いほど理解できるから切ない。とはいえ、これは合成の誤謬の典型なのだ。個々人の心理として受容できても、社会全体がその方向に流れてしまっては、経験から学ぶべき事実を歴史に刻めなくなってしまう。
ただし、筆者は
「後世に語り継ぐべき」などとは決して主張しない
。主観を押し立てたところで、意味があるとは思えない。歴史という客観に刻んでこそ、事実は普遍性を持つはずである。
そのためには、「思い出すのが辛い」という感情は明らかに邪魔になる。しかし、人間が感情の生物である以上、感情に引きずられるのは避けられない。それゆえ、人間社会は同じあやまちを繰り返すことになるのである。近世に限ってみても、東北地方は過去何度、津波の惨禍に遭ってきたか。客観化・普遍化を図らなかった事実は簡単に風化してしまう例証といえる。
風化させず如何に客観化・普遍化していくか。激甚災害に関していえば、日本社会のみならず、世界全体を見渡しても類例がないから、きわめて困難な課題であることは間違いない。否、「困難」ではむしろ楽観的で、達成不可能と断定しても差し支えない難しさではある。
それでも、不作為はまったく許されまい。そして同時に、どれほどの努力を払っても、悪い結果が出てしまえば、努力の中身は評価されない。そんな厳しい隘路に、我々日本人はさしかかろうとしている。
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