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震災直後のメール集





■編集主旨

 東日本大震災の発生から既に半年が経過した。被災者の方々にとっては、痛手から立ち直る間もなく冬を迎えるわけで、まだ厳しい局面が続いているものと思われる。その一方で、(筆者を含めた)首都圏以西に住んでいる人々にとっては、「もはや過去の出来事」と早くも忘却が進んでいる傾向も認められる。

 これを好意的に解釈すれば、あまりに大きな天災だったがゆえに、意図的に忘却したいという「無意識の意識」が働いているのであろう。いちおう人情として理解はできるものの、「天災は忘れた頃にやってくる」を人間側から実践しては、「次」への対応が疎かになるのは確実、と危惧されてならない。

 筆者は何事であれ「後世に語り継ぐ」という立場は決して採らない。主観は時間が経てばいつか必ず消える。客観で鎧ってこそ、事実と真実が残っていく、と信じる。

 この記事では、東日本大震災直後の筆者及びその近親者のメールを時系列で並べてみた。家族にまつわる事柄のみだから、内容はきわめてローカルなものである。しかしながら、東日本大震災という天災に直面し、首都圏でなにが起きたか、概観できる一助になるはずである。





■安否確認期

 以下の記述において原文は極力そのままとしたが、改変した箇所ほかを【】で括り特記した。なお、誰が誰に送ったメールかについては、敢えて記していない。

月日時刻本文
3月11日14時58分大地震だ!大丈夫?
3月11日15時28分地震酷かったね。【娘】は帰宅した。【長男】は学校
3月11日16時34分かなりひどい揺れだったね。そっちは大丈夫か?
家そのものは大丈夫だろうが、本棚とか食器棚が心配。こっちの職場は書庫がメタメタだよ。ようやく仮復旧したが。
何度も揺れがきているから、船酔いもひどい。今もまだ揺れている。
電車が停まっているから、そもそも帰れるどうか疑問。家まではとても歩ける距離ではないし。おにぎり持ってきておいて正解だったな。
ともあれ、状況教えて。【長男】も【娘】も【妻】も心配だよ。
3月11日16時38分メール7件も今、一気に来た。【長男】はまだ学校だ。なんと引き取りなんだって。学校メールも今受信。
【娘】はとっくに帰宅。帰宅途中に地震に暖め【※「遭ったみたい」の誤変換?】
3月11日16時47分【長男】は心配だなあ。でも、申し訳ないが、そっちはまかせた。
たぶん、今日は帰れない。帰れたとしても、日付変更線を超えるのは必須。
3月11日19時57分横浜の方では帰宅困難者の受け入れ先があるらしいです。
今どこですか。すぐ返信して下さい。
太平洋がわは大津波警報です。注意して!


 既に 記事にまとめた とおり、地震発生直後から大地震になったということはわかった。震災直後は安否確認が中心となるのは当然としても、「メール7件も今、一気に来た」という記述から読みとれるように、トラフィックはかなり滞り、安否確認するまでに時間がかかった。

 最後のメールは長男から筆者宛のもの。ただし、筆者の携帯電話が電池切れで、当夜に受信することはできなかった。安否確認のためには、常に万全の状態を保つ必要がある。





■続・安否確認期(不安定期)

月日時刻本文
3月12日午後【石油火災事故に関するデマメール】複数件
3月12日【上記が誤報だと知らせるメール】複数件
3月12日先ほどのメール、友人からの転送ですが、かなり出回っている情報とか…
私も早まってメールしましたが、やはりテレビ新聞等の正しい情報をもとに冷静な判断が必要ですね。
昨日私は鎌倉のお墓の掃除中にグラッときて、帰りは高速道路閉鎖【しかめ面の絵文字】一般道路の大渋滞を8時間かけて帰ってきました。
お互い無事で何より!落ち着いたら是非会いましょう 【署名】


 大震災翌日にはデマメールが跋扈し始める。筆者は受信していないものの、妻は複数件の受信があった。筆者が夕刻に起き出してから、「こんな警告ありえない」と家族に伝え、デマメールをさらに増殖させることにはならなかった。ところが、訂正・打ち消しメールまでが続々とやってくるから、リソースの消費がおびただしく、苛立ちが募った。

 ただし、メールではないので掲載を見合わせているが、長男坊は自分のブログにこれらデマメールを転載する始末。こちらも訂正・打ち消しのコメントを書いているから、同様にリソースを消費してしまっている。

 これらメールの特徴は、最後のメールに端的に示されている。デマメールを送った当人は、善意でのお知らせのつもりというよりむしろ、「相手を心配している自分の存在」を知ってもらいたい意識に駆られていた、と推測できる。即ち、極端な孤独・不安心理の中に置かれていたのではなかろうか。

 筆者の推測が正しければ、この種のデマは再び起こると考えざるをえない。震災の規模が大きくなればなるほど、デマは大がかり・悪質なものにならざるをえないだろう。個人としての反省はできても、社会全体では繰り返し起こる事象になるはずだ。





■食糧確保期

月日時刻本文
3月13日11時35分アリオ西新井二階営業店舗たったこれだけ。
【・ZELE・サンマルクカフェ・デンタルクリニック・クリニック眼科・カラダファクトリー・オレンジボディリラックス】
3月14日12時00分懐中電灯、電池は売り切れ。保温のみのポット売れてる。カップ麺なし。パスタとソース購入。早めに食事作る
3月14日12時17分米売り切れ【涙の絵文字】やはり買いだめ必須。ティッシュペーパーとトイレットペーパーもだね
3月14日12時32分【米の備蓄は】まだ10kgある。カップ麺を箱で買っている人、ライフにいた。どこにあったんだろう。レジ待ち長蛇。早くに閉店らしい
3月14日12時39分【米】10kgあれば当面(一週間ていど?)はもつはずだな。いくらなんでも、店にもまったく補充がないとは考えにくい。
状況を見て、買出し方法を考えよう。
3月14日15時27分【御飯は】もう炊いた。鶏肉は保存がきくローストチキンにした。あと味噌汁代わりにゴマ豆乳鍋作った
3月17日11時51分今買い物した。プライス何もかも売り切れ
3月20日15時28分これからあちこちランプ【ランプの絵文字】を探しに出る
3月23日15時14分どーしろっつーのさ!
あまりにも無責任な報道で、頭にくるね。
ちなみに、大人の暫定基準値は、300ベクレル/kgだそうだ。
【以下金町浄水場から放射性ヨウ素が検出された旨の記事引用】
3月24日10時15分お茶ウーロン茶2ケース買った
3月24日11時05分【備蓄があったはずという指摘に対して】いや〜買いだめ
3月24日14時49分湯ざましを作ってる。ミネラル水と混ぜて薄めて使用できるし、半減期を目指すことも出来る


 大震災翌々日からは食糧確保に奔走することになる。食糧の供給が一時的ながら断たれ、しかも需要が一時に殺到したことから、小売店の棚がどこもかしこも空になったのは周知のとおりである。筆者宅では幸いにも米の備蓄が10kgあり、食糧不足期を乗り切ることができた。大震災を経て、米の備蓄は常時20kgとしたのは教訓である。水の備蓄は以前から確保している。そうはいっても先行きの不安感から、メールは食糧確保一辺倒となった。

  ※参考までにいえば、東日本大震災以降、「岡山県産きぬひかり」が店頭に出るようになった。
   筆者が知る限り、西日本産の米がスーパーに並ぶのは初めてである。

 食糧・水を確保していても、計画停電には振り回された。特に 太陽光発電を事実上活用できない 点は痛かった。せっかく食糧確保しても、冷蔵庫が機能停止しては、意義と価値を大きく減殺してしまう。それでも、カセットコンロがあったので、電気がなくとも料理は可能だった。

 後半は福島原発事故関連。筆者宅の行動は愚か、と嗤わば嗤うがいい、と開き直るしかない。放射能・放射線に関しては、現在に至るも、客観的に正しい情報が伝わっていない、と筆者は感じている。それゆえ、筆者宅に限らず、人々は皆不安におちいり、買いだめに走るのだ。無知・無理解は不安心理を惹起し、不安心理は自らの無知・無理解を助長する。激甚災害時における悪循環だが、平常時にその芽を見出すのは困難だろう。

 既に数多く指摘されているとおり、「ただちに健康には影響は出ない」という枝野官房長官発言は、「長期的には健康に影響が出る」の言い換えにすぎないと、多くの人が直感してしまった。これが事実であるか否かは今でも不明だが、それ以上に、この表現ぶりによって不安心理を煽動し、風評被害を拡大させた罪は甚大である。政府からは今日に至るも、「正しい情報」が発信されていない。

 そう。いくら忘却しようと努めても、東日本大震災は未だに終わっていないのである。もっとも、太平洋戦争ですら未だ終わっていない(=政府による総括がなされていない)ことを考えれば、やむをえざる仕儀だろうか。





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