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書評(平成18年12月27日)

『人生は意図を超えて—ノーベル化学賞への道—』
(野依良治著・朝日選書)

  先日同じ野依さんの 『研究はみずみずしく』 (名古屋大学出版会)を読んだ時は、少し難しい化学的説明もあったが、この本はあまり突っ込んだ話もなく、非常にわかりやすい本であった。中学生くらいの化学の知識でも十分理解できる話であった。
 
 『研究はみずみずしく』ではノーベル賞受賞理由は、はっきり書かれていなかったので、多分こういう理由だろうと推測するしかなかったが、こちらでは野依さん自身がそれを書いていた。「私のノーベル賞受賞の対象となったのは、1980年から昨年までの長期にわたる研究で、不斉合成のうちでも「不斉水素化触媒反応」への貢献です。」とのこと。

 またその業績の説明も本当にわかりやすい。同じ人間が書いたものでも、一般向けに書かれるとこうも違うのだなと思った。あとは野依さんは、わからない人にわかるように説明することが慣れている感じもした。

 『研究はみずみずしく』の紹介の時、理解するのに多少苦労しながらもその業績を自分なりにまとめて書いたので(そんなにも間違った記述ではないので)、今回は特に記さない。本を読むか『研究はみずみずしく』の紹介記事を読んでもらいたい。

 この本の構成は、全体で4章(+あとがき)。第1章の10頁ほどが「ストックホルム」にてというタイトルでノーベル賞受賞式の時の模様などを野依さんが紹介した文章。第2章の「人生は意図を超えて」がノーベル賞をとるまでに至る著者の人生や受賞対象の業績の紹介がされています。

 第3章の「われわれはいつもフロントランナーだった」は、野依さんと同じ有機化学専門の方との間の座談会である。伊藤嘉彦氏、桑嶋功氏、村井眞二氏、村橋俊一氏という方々で、皆この方面では相当権威のある方らしい。なおかつ野依さんと同じ1961年に大学卒の方ばかりで、お互い親しく「61クラブ」を名乗っているとか。野依さんの話以外に、他の方々の発言も大変参考になるいい意見が多くこの部分も、ぜひ読んで欲しい。

 第4章の「科学教育を考える」はパネル討論で、村井眞二氏、齋藤幸一氏、毛利衛氏が大学、高校、中学、小学校などの教育、特に科学教育について発現している。2002年3月発刊の本のため、新指導要領によって小中高の学習内容が大幅に削減される前で、それについて(実施前に)どう思うかなども述べられている。村井氏などはかなり危惧された発現が多かったが、それに対して毛利衛氏はかなり楽観論というか肯定的な発現が多かった。

 表紙の帯紙に書かれた野依氏の言葉を紹介しておく。
 「私は常日頃、理科を学ぶのは、人生八十年を幸福に生きるためだ、と主張しています。
 また幸福に生きるとは、自らの力で生きることだ、とも主張しています。われわれはいうまでもなく、生き物の「ヒト」で、自然の中で進化してきました。それを忘れてはいけない。いまわれわれを取り巻く社会は、自然と切り離された、ある種仮想的な世界になってしまっています。そこから、さまざまな不幸が生まれているのではないでしょうか。(・・・・・)五感を磨いて自然から様々なことを感じ取り、そうして学んだ真理あるいは原理を科学として体系化し、あるいは技術として利用して、豊かな文明社会をつくるのが、人間としての理想ではないでしょうか。」

 最近読んだ科学者の方、養老孟司氏、田辺靖一氏、榊佳之、白川英樹氏皆よく似た事を言っていたのが思い出されました。21世紀のわれわれは、あまりにも電脳社会など、自然と切り離された仮想社会を、不快なものや邪魔なものは眼前から消したりできるせいか、それを肯定さえするような状況が現出していますが、やはり現実や自然からは目をそむけては将来が危ういということでしょう。自然や現実と真正面から向き合って、真理や原理を見出してそれを上手く活かして社会をよりよく生きる必要があるということだろう。

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