このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成19年02月7日)

『ヤマトタケル—尾張・美濃と英雄伝説
 第2回春日井シンポジウム 』
(森浩一・門脇禎二編・大巧社)

 日本の古代史に関しては、学生の頃、江上波夫氏の遊牧騎馬民族説などに凝った時期もあったが、それ以外ではあまり読むことがなかった。しかしここ数年、徐々に興味が沸き、いろいろと読むようになった。
 この春日井シンポジウムの本も、昨年10月、 「第3回 壬申の乱 -大海人皇子から天武天皇へ-」(森浩一・門脇禎二編・大巧社) を先に読んでいる。

 ヤマトタケル(日本武尊)と白鳥伝説に関しては、邦光四郎氏だったと思うが、建部神社との関係を指摘。建部神社などヤマトタケル関係の神社の周囲に建部(武部)という軍事的役割を果たす民を配置し、大和朝廷の前線基地としての役割を負わせたというような内容だったと思う。その本を読んだ頃から興味がかなり出てきている。
 以前近畿を自動車一人旅した時、亀山市のノボノ神社にたまたま立ち寄ったが、当時はあまり興味がなくトイレ休憩だけして立ち去った記憶があるが、今思うと勿体無いことをしたと思う。

 最初からまた余談が長くなってしまった。この本の紹介に入る。

 この本では、各学者がそれぞれの基調講演で、それぞれのヤマトタケル像というか、ヤマトタケル伝説がどのようにして形成されたかを推測し述べている。
 たとえば門脇氏などは、実在した一人の人物を英雄化したようなものではなく、各地のタケルがそれぞれの地に残した色々な英雄伝説がこのヤマトタケルの伝説の中に盛り込まれているのではというようなことを言っている。
 また和田萃(わだあつむ)氏などは、かなり具体的な想像を述べている。5世紀前半に大和王権が勢力を伸張していく過程で亡くなった非命の皇子の伝承がきっとあって、それが6世紀になって雄略天皇(ワカタケル大王)のイメージが加わって、原ヤマトタケルの伝承が出来上がった。そしてその伝承に、各地に設置されていた建部の間で伝えられていた伝承が加わり、また河内の土師連に関する伝承なども付け加えられて、最終的には壬申の乱後の『記』『紀』に見られる伝承になったのではないか、と。
 それ以外にも色々なヤマトタケル像が紹介されていたが、皆そろぞれにかなり面白い考えであった。 

 私としては、このシンポジウムの話で改めて気づかされ事、知った事が結構多い。ヤマトタケルは征西では華々しい活躍をしているが、東征ではほとんど戦いらしい戦いはしていないとか、クマソ(熊襲)の地は、『記』『紀』でいうような野蛮な地ではなく、大和王権も恐れるような高度な文化を持った地域であったとか、伊勢湾は昔は大垣あたりまで海が入り込んでいたとか、ヤマトタケルの伝説は、弥生時代の頃の話かと思ったが、案外5世紀中ごろから6世紀前半あたりの話の可能性が高いらしいなど。
 また森浩一さんはどうやら、北西九州に邪馬台国があったと考えているらしく、卑弥呼死後、大和に移ったと考えているらしいこともわかった(私の考えとほぼ同じ)。

 本の内容としては、各学者の基調講演の後、参加した学者同志による討論会で締めている。

 こういうシンポジウムをまとめた本は、ある問題に関して、その時点で、関連各分野で活躍している学者が色々な角度から考察した最新の成果が述べられるので面白い。この本も、現代日本考古学で最もポピュラーといえるお二方・森浩一氏と門脇禎二氏と、さらに数人の碩学を迎え、非常に贅沢な講演者陣であるだけでなく、森氏のうまい司会進行で、十二分にシンポジウムの良さが活かされて内容の濃いものになっていると思う。
 春日井市は、こういうシンポジウムを何年間かにわたり連年開催できたとは、本当にうらやましい市である。
 できれば、今後もこのシンポジウムの他の本を探し出して読んでみたいと思う。勿論、皆さんにも、お薦め一冊である。

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