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書評(平成19年06月29日)

『自然界の非対称性−生命から宇宙まで』
(フランク・クローズ著・紀伊国屋書店)

  この自然界の対称性・非対象性の問題は、最近、生命の神秘と並んで、私が最も感心ある科学のテーマである。勿論、科学界でも今最も注目を集めているテーマの1つである。
 このコーナーでも、非対称性と関わりのある科学本を何冊か紹介している。化学面では、不斉合成の方法の開発でノーベル化学賞を受賞した野依良治氏の本、物理面では同じくニュートリノの研究でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏の本を紹介したし、他にも何冊か関連本は紹介している。この本には登場してこないが、自分では反重力などにもかなり興味がある。

 私としては15,6年ほど前、初めて陽電子という名を聞いた(高校の物理で習ったのかもしれないが記憶がない)。陽電子は、負の電荷を帯びた電子とは対称的に、正の電荷を帯び、スピン方向が逆の他は、ほとんど性質が瓜二つだと聞いた時、そんなものが本当に存在するのか?では陽電子が流れることによって創られる磁場はどうなる?フレミングの法則も全く逆かなど初歩的疑問が浮かんだものだ。
 
 その後、陽電子にかぎらず素粒子や、陽子、さらには原子などでも反対の性質をもつものがあり、これら地球上に自然に存在する物質と対称的な性格を持つ反物質と、物質が遭遇すると、大きなエネルギーを放出しながら対消滅するという話を聞いた時には、この宇宙というものの底知れぬ神秘さを感じたものだ。

 最近、この本にも出てくるCERNなどの素粒子研究機関が成果を次々と出したおかげで、急速に色々なことがわかるようになってきた。陽電子も、気づけば今春、うちの近所の恵寿総合病院にPETスキャンを用いた施設が出来、非常に身近になった感じがする。

 欧米ではしかし日本以上に、かなり前から反物質などが社会の興味を集めていたようだ。最近改めて気づかされたことだが、昔よく観たスター・トレックにおいても、エンタープライズ号の武器として、物質反物質の反応による高エネルギーを利用した光子魚雷というものが出てくる。
 また最近読んだダン・ブラウン(あの 『ダ・ヴィンチ・コード』 で注目を集めた)の『天使と悪魔』でも反物質が、事件が展開する大きな鍵となっていた。
 (日本のSF作家や漫画家などは、色々未来ものを描くが、ほとんど反物質が出てこないのは、やはり理系的能力が落ちてきたのが、大きな影響を及ぼしているのかもしれない。残念なことである。)

 話が、最初から本の内容からそれてしまった。本の内容を簡単に紹介。
 第1章でまず、この本の考察を行うきっかけとなった非常に左右対称的に設計されたパリのチュリルー宮にぽつんと置かれたルシファー(神に反逆して地獄に落ちた堕天使たちを率いる魔王)の像のことが、述べられる。今は取り払われて左右対称の像に置き換えられたようだが、この作者がおの本を書き始める前の頃は、人をあざ笑うかのように、そこだけが非対称的な像だったという。この本の原題は“Lucifer's Legacy---The Meaning Of Asymmetry”である。直訳するなら「ルシファーの遺産(またはルシファーが残したもの)・・・・非対称性の意味」とでもなるだろうか。

 2章から4章までは、自然界にみられる対象性のなぞが色々と述べられる。鏡は左右逆に見えるが、なぜ上下逆にならないか、など科学者も悩ました有名な謎などが紹介されている。
 5章から7章までは、その謎を解く上で中心的な役割を果たしてきた道具が色々出てくる。偏光、X線、DNA、陰極線管・・・・。そして科学史的に多くの人物を紹介。アントワーヌ・ラボアジェ、ルイ・パストゥール、ヴィルヘルム・レントゲン、マイケル・ファラデー、ハインリッヒ・ヘルツ、フィリップ・レーナルト、ジェイムズ・クラーク・マックスウェル、アインシュタイン、ウィリアム・クルックス、キュリー夫妻、アンリ・ベクレル、ケルヴィン卿、ジョセフ・ジョン・トムソン、アーネスト・ラザフォード、ジェイムズ・チャドウィック、・・・・。私は科学史的な本が大好きなので、大変興味深く読めた。

 8章から13章までは、先に説明した道具を用いて、現在科学者が自然界の構造と非対称の根源と考えているものを明らかにし、科学者が新世紀早々にどのような謎をとくつもりかを述べている。
 ビッグバンの超高温の状態における対称性の可能性から、ここでは力の統一理論などを説明したりしている。CERNなどの加速器などを用いてわかってきたクオーク、電子、ニュートリノ、K中間子などことや、ポール・ディラックの方程式の考えやヒッグス場などの説明は、かなり難しいが、読んでいてさらなる興味を惹かれるものだった。
 
 そして質量というものが、非対称性を大きくしたというか、もたらした大きな鍵であることが述べられているが、宇宙の原理に必須要項のように思われる質量が、非対称性と大きく関わりがあると知り、意外な感じを受けた。 

 この本を通して考えさせられたことは、この世の中は、均一で一様でなかったから、つまり、“ゆがみ”がなかったら、反物質と物質がもっと反応して、今のような世界がなかった可能性である。この世に存在する非対称性こそが、この宇宙を(おそらく)物質のみの世界(反物質が存在しない)世界たらしめ、今ある宇宙にわれわれを生かすことに至らしめているのだと。
 今の宇宙の姿は、ビッグバン後の宇宙の拡大の結果、というよりそれによって起きた核反応の残骸なのだ。しかしそれが現在地球上に生きている我々人間などの生物にとって、幸運をもたらしたのだと。

 とにかく科学、宇宙の神秘などに興味のある人には、とっておきの一冊になると思います。難しいテーマを扱っていますが、ほんの簡単な方程式が2,3出てくるだけで、難解な数式などは出てきません。物理や化学を選択履修している人には、恐れずにアタックしてもらいたい一冊です。

 最後に、巻末に書かれた著者(フランク・クロース(Frank Close))の略歴など紹介。
1945年生まれ。セント・アンドリュース大学卒業。
オックスフォード大学D.Phil(電弱相互作用の研究)取得。
その後、カリフォルニアのSLAC、ジュネーブのCERNに留学、
相次ぐ新しい素粒子発見の主要舞台での研究を経て、
現在(2002年)、ラザフォード・アップルトン研究所の上級研究員で理論物理部門のヘッドを務める。
93年英国王立協会でのクリスマス講演を行う。
また一般への科学の啓蒙の貢献で、1996年に物理学協会ケルヴィン・メダル受賞、2000年に英国4等勲爵士。
著書に『宇宙という名のたまねぎ』他多数。

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