このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

原御前(宝達志水町)の歴史

  羽咋郡旧志雄町(現:宝達志水町)原にある山で標高は342m。赤蔵山という。能登で「赤蔵権現」と呼ばれる信仰の拠点は、ここと、七尾市田鶴浜町三引(旧鹿島郡田鶴浜町三引)の赤蔵山の2箇所がある。ただし両者の間には、直接的なつながりはない。近世に入って、三引の赤蔵権現を「本宮権現」、志雄の赤蔵権現を「新宮」と称し、本宮と新宮の関係にあったように説くものもあるが、本来は全く別の系統のものだという。
 永享元年日記に、「五月十日飯尾美作守与 能登国一宮気多社雑掌相論同国赤蔵山草木事。就武衛御申内々達上聞畢。社訴之通急速可披露由自畠山匠作承之。使者使者イカウ主計允。」などとあるが、この赤蔵山はここの赤蔵山と考えられている。
 宝達志水町の赤蔵権現は、今日、新宮赤蔵権現として名残を留めています。新宮は遥拝所・登山口であり、もとの神仏の座は、新宮川上流の原御前(標高399m)に求められ、その東北斜面の赤蔵山に本宮があった。かつては山頂から標高330m付近の山腹に36坊もあったという。下から堂口、金剛坊、鐘楼堂、本堂などが斜面に建ち並び、その山容は、あたかも小石動山のようであっといいます。
 鎌倉後期の弘安年間に初見し、気多社の社領の一つに含まれていたが、16世紀中頃には、別当寺の赤蔵寺が浄土真宗に転じたことなどもあって衰退し、天正12年の 末森合戦 の時には、焼失してしまい、以後復興されることがありませんでした。
 現在、赤蔵山一帯には、約8ヶ所の礎石群と関連の地名(本堂平・金剛坊など)がかつての名残りを留めています。

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