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  能登の民話伝説

 今回は今昔物語集ほど有名ではありませんが、地元のことなどに関して書かれた古い本などを参考に、書かせてもらいました。現代語で書かれているものに関しては、一部表現や内容を要約させてもらっています。また擬古文や古文などの訳については、何分浅学な知識で訳すため誤訳も生じるかもしれません、またたとえ間違いでないにしろ、拙い訳と思える箇所が多々あることでしょう、その当たりはご愛嬌で容赦願います。また勿論、一部ではかなり意訳もしていますが、ご了承願います。
能登の民話伝説(奥能登地区-No.7)

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<能登町の民話伝説>
音無川の薬水の由来 
 能登町の猪平地区には、音無川という清流が流れています。昔々、羽根を怪我した鷹がこの水で傷を癒しているのを旅の僧が見つけたそうです。この鷹を見た僧はとてもこの水を気に入りゴクゴクと飲んでいたのですが、どうもこの水には傷を治す効果がある様子。さっそく地元の浮腫で悩んでいた老婆にこの水を勧めてみたところ、なんと翌日の朝には腫れがひいていたそうです。それ以来、この清流の沸かした水を飲むと浮腫が治るといわれているそうです。(能登町・猪平地区)
葭(よし)が池 (参考:「加賀・能登の民話」、「石川県鳳至郡誌」)
 鵜川の吉谷というところの話です。
 昔、ある晩、二子山の方に盆をひっくり返したくらいの篠つく大雨が降り、そこへ大木を引っこ抜くほど凄まじい風がおこりました。荒れ狂った挙句、恐ろしい山鳴りとともに、あたり一面を揺るがしたので、村人たちは一晩中生きた心地も無く、小さくなって震えていました。
 嵐が去った明け方、村人たちは早速外へ出て、周囲の様子を調べました。すぐわかったのは、東の裾野にあったはずの水神池が、山崩れのため跡形も無く消えていたことです。

 村人は、心配になって、数人づつの幾つかの組みに分けれてなおも周囲の方々の土地を見て周りました。そのうちのある組が、諸橋の竹田に行く途中、妙な事に出くわしました。
 村一番綺麗なヨシ(葭)という娘が、薄靄(うすもや)のかかった溜池の畔(ほとり)に恍惚な表情をして何故か座っているのです。よく見ると時々髪を梳(くしけず)りながら、わが姿にうっとりと見とれています。腰に鎌を差しているところを見ると、池の畔に生えている葭を刈りに来たようです。
 それを見て
 「ヨシ!」
と一人の男が叫びそうになったのを別の男がさっと口を塞(ふさ)ぎました。
 それから村人たちは、木の陰に隠れて、じっと様子を窺(うかが)いました。

 するとヨシは、池に櫛を落としたらしく、池の中に腕を入れて手探りしています。やがて櫛を拾い上げたヨシは、櫛を口に咥(くわ)えて、両手で髪を手挟みました。
 そして櫛を髪に差し入れることはせず、懐に仕舞い込むと、今度は、池の水を掬(すく)って、さも美味しそうに飲みはじめました。何度も何度も水を掬って飲むことをやめようとはしません。

 村人たちが気になって、ヨシの方に近づこうとした時です。
 池の中から、大きな龍が躍り出てきて、やにわにヨシを抱きこみ、ガバッと水底へ姿を消してしまいました。 
 村人は恐れ戦(おのの)きました。その場から逃げようとしますが、どうした事か足の自由が利きません。
 もたつく間に、池がみるみる大きく広がって、周囲3町ほどになったといいます。
狐に許しを乞うた間右衛門(まよもん) (参考:「加賀・能登の民話」、「石川県鳳至郡誌」)
 昔々のこと。穴水の兜村に間右衛門という樵(きこり)がおりました。
 ある日のこと、間右衛門は、奥山深く入り込んで、木を切り倒していました。
 すると間右衛門が、仕事に精を出している間に、人目を忍んで狐が現れ、木陰においてあった間右衛門の弁当を残らず盗み食いしてしまいました。

 さてお昼となり、間右衛門は弁当を食べに木陰にやって来てみると、笹皮の弁当包みが散乱しているだけで何も食いものは残ってません。見れば周囲に狐の足跡が残ってます。さては近くに棲む狐の仕業だなと知ると、彼は大いに怒りました。

 ある日、以前弁当を盗まれた場所に近いところで狐を見つけると、間右衛門は斧を置いて追いかけました。狐は巣穴に逃げ込み出てきません。そこで間右衛門は入口から枯れ枝や枯れ草を押入れ、火をつけて子狐もろとも殺してしまいました。

 実は、この時、牝狐(めぎつね)は出かけていて無事でした。夫、子供を失った牝狐は復讐して怨みを晴らそうと心に誓いました。

 彼女は、界隈一帯の狐のみならず、遠く珠洲は三崎の狐にいたるまで、応援を頼みまわりました。復讐を期したある月の満月の夜、能登一円から、牝狐のもとに何百頭にものぼる同志が集まりました。

 夜分に乗じて狐達は、間右衛門が住む村はずれの家を見下ろす山に移動しました。そして群れを引き連れた牝狐が「コーーーン」と一声鳴いて気勢をあげると、狐達は一機に駆け下り、間右衛門の家に押し寄せました。

 間右衛門の家は、何百頭もの狐に襲われたのでは、堪りません。まるで竜巻ににでもやられたかのように、あっという間に柱は折れ、壁、戸板、障子は破れ、屋根は崩れるといった見るも無残な有様となってしまいました。

 しばらく呆然としていた間右衛門でしたが、正気に戻ると大層後悔しました。そして夜が明けると、山深く分け入り、牝狐のところに謝りに行きました。
 それで牝狐も間右衛門を許しました。その上で牝狐は、また多くの狐達を動員して、間右衛門の家をすっかり元通りに修繕してやりました。

 この話を聞いた村人はそれから、野山の狐を決して苛(いじ)めなくなったといいます。
 それきりぶっつりなんばみそ。

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