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  能登の民話伝説

 この頁に取上げた伝説のうち田鶴浜地区の話は、「田鶴浜町史」(昭和49年3月31日発刊)の中の第3部第4章第7節「昔話」に書かれていたものを、私(畝)が、抜書きしたものです。町史に書かれているのですが、この中に出てくる話は全て、旧田鶴浜町・字吉田に住んでいた故・大畠ゆうさんが語ったものを収録したものだそうです。今回は、ゆうさんの語りの雰囲気をそこわなわない為にも、平仮名を一部漢字に直した程度で、修正などほとんど加えず、そのまま転載させてもらうことにしました。話の中身は、よく聞いたことのある話もあるので、必ずしも能登の話とはいえないかもしれないが、能登で伝えられてきた話ということで取上げた次第です。
能登の民話伝説(中能登地区-No.6)

<石崎・和倉地区の昔話>
魚太とお班
 (参考)「わくら物語」(北陸中日新聞七尾支局編)
 和倉温泉の起源は、里人の伝承によると、大同年間、奥原丘陵の薬師嶽の西、円山の渓間「湯の谷」(現在のホテルなおきの前)に湯が噴出したのが始まりだそうだ。記録では永承3年、地震で海中に転じるとあるが、記録ではその時代、同地方に大きな地震はないようなので、むしろ海中に湯が沸いたのを慶長年間に発見したのではないかと考えられているようだ。諸説は色々あるようだ。
 まあ真説は何にしろ、その永承年間(1046〜1053)に、湯が転じたことに由来する伝説が、今回紹介する「魚太とお班」である。

 永承年間に、湧浦(わくうら:和倉になる前の呼名)に、魚太とお班という夫婦がいた。魚太は漁師で働き者だったが、お班の方は多少ずぼらな性格だった。
 ある日、魚太が漁に出るのを見送った後、お班は薬師嶽(現ホテルなおきの前)麓の湯の谷へ洗濯に行った。ここには古くから次のような言い伝えがあり、守られてきた。それは「あの谷では、女物の洗うな、もし洗うと上湯川(七尾市の崎山地区の一集落の名)みたいに湯が水に変わってしまうぞ」というものだった。
 その言い伝えをお班も知っていたが、、お班は、単なる言い伝えに過ぎぬだろう、実際洗ったところでまさかそういうことはあるまいと考え、自分の腰巻を洗ってしまった。
 その途端、湯は水に変わるどころか、一滴も湧かなくなった。
 不浄のものを洗ったとしてそばに祀ってある少比古那命(すくなひこなのみこと)が怒ってしまったのだ。
 事情を知った村人は怒り、魚太夫婦をなぐりはじめた。途方に暮れた夫婦は、毎朝少比古那命が祀ってある祠に詣で、「元通りお湯をお恵み下さい」とお願いをした。
 その願いが通じたのか、今度は、磯近くの海の中から湯が湧き出してきた。
 だが村人たちは、一夜明けて、海の中からブクブク泡だっているのが、湧き湯だとは知らずに、「あれはお化け亀が息をしとるんじゃ」「お化け亀のうわさはオラも聞いとる。人が海へおちるともう体は浮かばぬそうだ。」「甲羅の幅は百間近くもあるそうだ」「そりゃー大変じゃ、泡が見える間は、に漁にも出られないわな」などと大騒ぎである。
 魚太もそのお化け亀の伝説は知っていたが、「そんな馬鹿なことはあるまい」と考えた。泡だっている海に、足の折れた白鷺が飛んで行き、しばらくの期間浮いて休んでいるのを見たからだ。白鷺は、言い伝えにあるお化け亀に飲み込まれることもなく、逆に足も湯治できたらしく、しばらくしてから飛び立って去っていった。
 確かめるため、魚太とお班夫婦は、二人して舟で泡が立つところまで漕いで行き、海へ手を入れてみた。すると熱かった。魚太夫婦は願いがかなってお湯が湧いたと知りました。信心深くなり、それからは夫婦は毎日の少比古那命の御参りをしたそうな。
 それから600年余り後、お湯が海水に混ざり、温度が下がるのを防ぐため、湯壷を海中に築いた。
 伝承によると、湯が湧き出ては工事が出来ないので、少比古那命の御神体を横にして休ませたところ湯が止まり、おかげで工事がはかどったといいます。そして工事完了後、ご神体を元通りに立てたところ、再び湯が湧きだしたとか。
 和倉温泉の由来に纏わる話でした。
<田鶴浜地区の昔話>
トンビとカラス 
 とんと、昔、トンビとカラスとおって、トンビぁ紺屋しとったとい。あっ時、カラスぁトンビのところへ行って、錦に染めてくれちゅうて頼んだら、トンビぁ意地悪やったもんで、真っ黒に染めてやったとい。
 そしたら、カラスぁ怒って、今がし、いさかいしとっとい。意地悪したら、駄目やぞの。
カンコ鳥
 とんと、昔、おったとい。立山にカンコ鳥ちゅうもんなおったとい。いつも巣を造らんと遊んでばっかしおったもんやさかい、住む家ぁなあて、それで、よさがたになりゃ、「スツクロ、スックロ」と鳴くわいの。遊んでばっかしおったら、駄目やぞの。
狐とタヌキと猿
 とんと、昔、狐と狸(タヌキ)がカイモチ(おはぎ)の入った重(重箱の重)を拾うたとい。ところが、重の中のカイモチぁ、九つやから、「おら、五つや、おら、五つや」ちゅうて、諍(いさか)いになったとい。
 そこへ猿が通りかかったもんで、どうすれぁいいか聞いたら、
 「ははあ、そこに書いたもんな入っとさかい、それに書いてあっかもしれんわい」と答えたとい。狐も狸も字が読めんもんやさかい、また頼んだら、猿ぁ、でっかい声して読み上げたとい。
 「一筆啓上 ダゴ九つ。狐や狸は二つずつ、御猿様に残る五つ候也」
 それけん、ぼっと、なんばめそ、なんば舐(な)めたら、辛かった。勉強せにゃ、だまさってもわからんぞい。
深グツ売りとウソ売り
 とんと、昔、あっとこに深グツ売りとウソ売りぁ、おったとい。深グツ売りとウソ売りぁ、さきになって「深グツ要らんか、深グツ要らんか」ちゅうて歩くと、そのすぐ後ろから、嘘売りぁ、「ウソ屋、ウソ屋」ちゅうて歩くもんやさかい、、どっちも売れなんだとい。
 それけん、ぼっと、なんばめそ、なんばなめたら、辛かった。
狐女房
 とんと、昔、おったとい。あるとこに、貧乏やが正直なバアサと息子とおったとい。「アンカや。かたいもんの、仕事するもんの、お飯食べんもんの、クソばっかしこく、いい嫁さ来てくれたらの」
 バアサがいつも息子に、そんな事を話しておったとい。そしたらの。ある日、雨のシブシブ降る日やったといい。赤いバア着た、美しい娘が訪ねて来て、おババの思わっしゃるとおりにすっさかい、そうか嫁にしてくさんせと言うもんやさかい、嫁にしたとい。
 子供が三人も出来て、家になじんでしもうたとい。
 ところがの、なじみ過ぎたもんやろか。あっ時のこと、うっかりしての、オンボ(尻尾)出いて昼寝しとったら、三人の子供が騒いでの、
 「おっちゃ、ジャーマ、オンボ出いて寝とるじゃ」「おっちゃ、ジャーマ、オンボ出いて寝とるじゃ」
と手を叩いてはしゃぎ回ったとい。
 そこへトオト(もう子供の父親だから)とバアサが外から戻ってきたから、
 「おら、子供に正体見られたら、恥ずかしておられんさかい、暇もろうわいけ。これから※信田(しのだ)の森へ行くさかい、誰でも会いたなったら、そこへ来てくさんせ」
と言って、止めるがを聞かんと出て行ったとい。
 それからの、田んぼすっ時がくりゃ、夜な夜な村へ戻ってきて、よさりのうちに田んぼしをして、信田へ帰るがやとい・今でも穂が出ると尾が出たちゅうやろ。とにもかくにもバアサと息子の家が、身代こしらえたのは狐の嫁さのお陰やったとい。正直もんに、福ぁ、来るぞい。
 それけんけん、ぼっとくそ。

※信田の森→信太の森:大阪府和泉市の信太山にある森。葛(くず)の葉稲荷があり、信太の狐の伝説地。[歌枕]
 (参考)信太妻浄瑠璃・歌舞伎・歌謡などの一系統で、信太の森の白狐(しろぎつね)が葛の葉姫に化けて阿倍保名(あべのやすな)と契り一子をもうけたが、正体を知られて古巣に帰ったという伝説を主題としたもの。浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」などがある。信太妻物。Yahoo辞書の記述利用。
猿地蔵
 とんと、昔、あるところに、いいジジと悪いジジがおったとい。
 ある日、いいジジが山へ行ってタクモン(焚き木)して、ぬくい(暖かい)とこに腰をおろしとったら、寝ぶってしもうたとい。そこへ猿どもがワンさワンさと通りかかって、「こんなとこに、地蔵様、休んどらしゃる。家へ案内してお参りせんか」
ちゅうて、ジジをかたんで川を渡ったとい。
 「猿のチンポぁ、ねれても、地蔵様のチンポぬらすな、ヨイショ、ヨイショ」
と川を渡ったとい。
 お参りがすむと、猿どもぁ、どっかへ行ったが、ジジぁお供えもんの銭でかいこともろうて、家へ帰ったとい。
 ジジとババがお祝いしとるちゅうと、そこへ隣の悪いジジが来て、わけを聞いて、おらもやってみようと考えて帰ったとい。
 あしたがくるちゅうと、隣のジジぁ、急いで山へ出かけ、温いとこに腰かけて、寝ぶる真似しとったとい。そこへ、例の猿どもがワンさワンさ通りかかったとい。悪いジジをかたんで、「猿のチンポぁ、ねれても、地蔵様のチンポぬらすな、ヨイショ、ヨイショ」、と川を渡ったとい。そしたらジジぁ、おかしがって、クスクス笑うたとい。
 そしたら猿どもが「こんなもんなお化けや。それ、川ん中へ、ほおりこめ」と言うて、悪いジジをほおりこんで逃げたとい。
 それけん、ぼっと、なんばめそ。なんば舐(な)めたら、辛かった。人のマネぁ、せんもんじゃ。
ノミの皮三枚
 とんと、昔、おったとい。日本のウソつきと、唐のウソつきがおったとい。
 あっ時、唐のウソつきあ日本のウソつきを試しにやって来たとい。
 「トッツァマ どこいったい」
唐のウソつきが聞くと、アンカが出てきて
 「浅間山がこわれたもんで、ハシ(箸)三本さげて、おこしに行ったわい」
と答えたとい。
 「そんなら、ジャーマどこ行ったい」
と聞くと、
 「空がこわれたもんで、ノミの皮三枚、シラミの皮三枚持って、ツギしに行ったわい」
と答えたら、唐のウソつきぁ、これぁ大したもんや、これにゃならん、と思うて、唐へ帰ったとい。
 それけん、ぼっと。なんばみそ。
子守の唄
 とんと、昔、ある山ん中に、隣りなか間の山賊がおったとい。儲けて家へ帰る旅人を泊め、殺いて銭とったがやとい。
 あっ時、一人の旅人が通りかかって泊まったら、やがて夜中時分になるちゅうと、子守りがわざと子を泣かいて子守り歌をうとうたとい。
 「一人旅はせんもんじゃ。隣りのじんとかのじんがどうづけ落としにするわいの。早う山に山をかぶさんせ」
 これまで、どの旅人もこの唄の意味がわからなんだけど、今夜の旅人は唄を聞いて不思議に思うたもんで、唄の文句を一字も落さずに胸に書いてみたとい。
 そしたら、こりゃ大変やとわかって、早速逃げ出したとい。勉強したお蔭や」
 それけん ぼっと なんばめそ。
死人の見張り
 とんと、昔、あるとこに、ホラ貝を吹くトオトがおったとい。
 ある日、田んぼ道を歩いとるちゅうと、狐が昼寝しとるもんで、ひとつ おどかして(驚かせて)やろかい思うて、そばへ酔って、ボーウと吹いたとい。そしたら、狐ぁびっくりして草陰へ逃げ込んだとい。そして、草陰からひょっこり顔出いて、ホラ貝のトオオトを恨めしげに見たとい。
 それから、またたく間に日が暮れて、トオトぁ野原の真ん中に立って、シドロモドロしとるちゅうと、向うにちっちゃい明かりが見えてきたとい。トオトぁそこへ行って、「頼むさかい、一晩、泊めて下さい」
ちゅうと、ジジぁ出てきて、
 「ババ死んでよわっとる。他へ知らせて来にゃならんが、おマンな、ババを番しとってくれりゃ泊めてもいいわい」
ちゅうから、見張りを引き受けて泊めてもろうたがにしたとい。
 はて、夜も更けてきたが、ジジぁ戻ってくる様子もない。しとるちゅうと、どうしたこっちゃ。死んどるはずのバアバが動き出いて、モッコリ、モッコリ、ホラ貝のトオトのとこへ、ズッて来るではないかい。トオトぁいっしょけんめになって、ホラ貝を地ベタに叩きつけて、「オドレ、あっちへ行け。オドレ(こいつめ)」と追い返そうとするけど、やっぱり、モッコリ、モッコリ、ずって(這うて)来たとい。
 実はそこぁ橋の上で、まだ昼過ぎやったとい。村のもんな、あのトオトぁ、今日ぁおかしいぞ。いったい、何しとるがやろ。アレアレと言う間に、ホラ貝のトオトぁ川ん中にドボーンと落ちて正気に戻ったとい。
 それけん、ぼっと、なんばめそ。舐めてみたら辛かった。
どうも言われん
 とんと、昔、あるとこに、ホージョ様と小僧とおったとい。ホージョ様は卵が好きで、毎晩、小僧を寝かいといて、うでて食べたとい。
 ある日、檀家にお勤めがあったもんやさかい、小僧にお伴さして、馬に乗って出かけたとい。あるとこを通りかかったら、軒下メンドリあおるもんで
 「ホージョ様、あっちに、あんたの好きなもんの親おるぞね」と小僧ぁ言うと、ホージョ様ぁ、「要らんこと、要ること、しゃべんな」、ちゅうて叱ったとい。
 ちょっこしっ経った時、ホージョ様子供に聞いたとい。「小僧や。帽子と袈裟(けさ)を知らんかい。いつの間にやら落ちてないがぁ」、するちゅうと、小僧ぁ、
 「知っとるけども、ホージョ様ぁ、さっき、こう言わっしゃたでねいかいね。要ること要らんこと、しゃべんな」と答えたとい。ホージョ様はミミッて(睨んで)言いつけたとい。
 「馬から落ちたもん、みな拾うてこい」、そしたら、小僧ぁ、「これも馬から落ちたもんどす」、ちゅうて、帽子と袈裟の上に馬のクソを載せて差し出いたら、ホージョ様は口をモグモグ、どうも言われんかっこうしたとい。
 それけん、ぼっと、なんばめそ。
への子の親
 あっ時、ホージョ様ぁ、仕返ししてやろうと思うて、「小僧、小僧、こっちへ来て、ワシぁ、今、屁をこくさかい、それをにがめ」
と言いつけたとい。そこで小僧ぁ鉢巻締めて、ホージョ様の後ろで構えとるちゅうと、やがて、ブブッと屁が出たとい。
 「小僧、どうした。にがんだら見せ」
ホージョ様が言うと、小僧ぁ、
 「屁の子の子ぁ逃げたれど、この通り、親はつかみました」
ちゅうて、ホージョ様の尻をにがんだとい。
 それけん、ぼっと、なんばめそ。
アワタの橋杭
 とんと、昔、アワタちゅうとこに、身代のいいダンナさんがおったとい。
 毎年、大水が来て、橋が流され、田んぼも畑もだいなしにされるもんで、村のもんな、どうするこうすると相談したとい。
 そん時ダンナさんが立ち上がって
 「それぁ 橋杭(人柱)を打つにこしたことぁない」ちゅうたとい。
 「そんなら、誰が橋杭になるかい」
ちゅうことになったら、みんな黙ってしもうて、あげくの果てぁ、言い出しもんがなることに決まったとい。
 こんな事があって、何年経ったやろか。ダンナさんのターボぁでかなっったもんで、嫁に行くがになったとい。嫁に出る時、オカッツァマが言うには、
 「行っても、必らず、なんじゃかい しゃべらんとけや」ちゅうて出したとい。
 そやさかい、嫁に行ってから一言もしゃべらんもんで、とうとう暇を出されたとい。
 下男たちが籠を担いで家を出たが、途中で一服した時、雉(きじ)がカンカーンと鳴いたと思うたら、ドカーンと鉄砲の音がしたとい。
 そしたら、しゃべったことのない嫁さが、
 「わが父はアワタの橋の橋杭に
        雉も鳴かずば射たれまいものを」
と唄うたとい。唄のわけを聞いて、みんな涙を流いて嫁さをかたんで戻ったとい。
 何事も先んじて言わんもんじゃ。それけん ぼっと なんばめそ、舐めてみたら 辛かった。

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