このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

能登島の蛸祭
 能登島町の蛸祭は、向田の愛宕神社で行われます。祭神は火の神・火結命(ほむすびのみこと)で、祭日は10月17日と11月3日の2回あります。
 10月17日の方は、甘酒祭と云い、向田の人は甘酒を作り、この日を祝い、特に、三郎助の家(中屋家)では、屋敷神として崇敬されており、愛宕神社で甘酒を作ります。それで、この日を蛸神社の祭とも、別名甘酒祭ともいってます。

 11月3日の祭は、神官本家から飯櫃に2升の飯を盛り、蛸の頭の形にして、3日の未明に三郎助のカマドの上へ黙って置いてくる。三郎助の家では1人だけ起きていて、この2升の飯で握り飯を作り、これを隣近所に配る・・・・・・・というものである。

 伝承では、三百年の昔、神様(火の神・火結命)が、アイ(饗)の風(北東風)に吹かれて蛸に乗って向田の「サブロスケのツキジマ」に漂着し、カマドの上に現れたといいます。これが11月3日の朝の出来事であった。そこで愛宕山に祠を作って祀ったのが蛸祭の由来といいます。防火の霊験があらたかで、中屋家では常に類焼を免れたといいます。現在は火伏の神として村人から仰がれ、向田の地域神に発展しています(鹿島郡誌)。
 本堂内の神像は高さ30cmほどの立像で、蛸の上に乗っている。現在のものは新しく造り替えられたものだが、古い元の型と同じものを造ったものである。以上は向田の古老の話だが、幾つかの古い文献でも、蛸祭について触れています。

 『能登名跡志』では、「向田村は大村にで、伊夜比姫の神社立給う大社なり。御神体は八幡宮なり。昔御神体12月3日蛸に乗りて此の村の三郎助という百姓の前なる平石という所へあがり給うを高なる愛宕という山へ移し奉る。今の蛸のごとくいひて、12月3日に毎祭祭あり」とあります。

 『能登誌』では、「昔12月3日蛸に乗じて、この村の百姓三郎助というものの前なる平石の上へ上らせらる。夫よりこの山の高なる愛宕山へ移す。故に蛸祭とて12月3日祭礼あり」とある。

 『能登志徴』では、「伊夜比咩社 向田村 式に能登郡伊夜比咩神社、能登神明記に在能登島庄向田村。所祭一座大尾津姫命亦大尾姫命とあり。按ずるに越後国蒲原郡伊夜比咩神社と雌雄の神なるべし。神名式に豊後国直入郡建男霜凝日子神社とある神の姫神は対馬に鎮座しけむ。続後紀巻十三に対馬島建男霜凝并比咩神に奉
従五位下とありて、比古・比咩の両神国を隔て鎮座せり。但し出雲本延喜式考異に伊夜比咩一本作比古と見えたり。比古神ならば越後と同神なるべし。今は式社記にいへる如く、大屋媛命を祭神とす。御社はむらの南腰にありて、社地千歩計といへり。例祭六月晦日神輿出て八町計隔たる崎山と云所へ神幸ありて、胎内くぐりの神事という事ありとぞ。『能登誌』に昔此神12月3日に蛸に乗って此村なる平石という上へあがり給うと。高なる愛宕という所へ移し奉れり。其後今の社寺へ移し奉るといへり。祠官舟木氏奉仕す。」とあります。

(参考)
 「蛸」(刀禰勇太郎著・法政大学出版局)

  「能登の民話伝説(中能登地区)-No.4」 の中の「蛸神」の話にも、上記の伝説が別の形で書かれています。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください