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その後のオーズボン一家の年表

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(1871年以降)

西暦

日本暦

事  項

日本及び世界の動き

1871

明治4

1月14日(新3月4日)パーシヴァルが岡山藩学校の語学教師に雇用され、一家岡山に移る。

(日本)3月6日、オーズボンの後任リトヴァルドが大聖寺で天然痘の為、病死。

1872

明治5

パーシヴァルが岡山県普通学校教師に変わる。4月、一家は岡山を去って横浜へ帰る。

10月11日パーシヴァルが神奈川県訳官に仮雇いとなる。

(日本)岡山県は学生を改革し普通学校を設立。8月3日政府が新学制を発布。

1873

明治6

横浜山手乙142番地に土地を借り住宅を新築して移る。

11月17日パーシヴァルが神奈川県で本雇いとなる。

(日本)太陽暦を採用し明治5年12月3日を明治6年1月1日とする。

1876

明治9

4月7日長女アグネスが生まれる。

 

1877

明治10

パーシヴァルが横浜居留地外国人取締官廃止後の残務整理を委任される。

 

1882

明治15

1月17日内務大臣より瀬戸とパーシヴァルとの結婚が許可される。

 

1883

明治16

6月1日パーシヴァルが勲四等旭日小授章を授与される。

 

1885

明治18

長男ジョージがパリ手形割引銀行横浜支店に勤める。

 

1887

明治20

10月2日パーシヴァルが訓三等旭日中授章を授与される。

(日本)4月25日鹿鳴館で伊藤博文首相主催の舞踏会

1888

明治21

長男ジョージが英国の商社コーンズ商会横浜支店に勤める。

 

1889

明治22

10月19日、一家が横浜出帆の英国船アンコーナ号に乗船して帰国の途に就く。帰国後、住居をデヴォン州のドウリッシュに定める。

(日本)2月11日大日本帝国憲法発布

1890

明治23

4月15日神奈川県がパーシヴァルを依願免官とする。

 

1897

明治30

この頃より長男ジョージが大倉商事のロンドン支店に勤務する。

1905

明治38

5月13日パーシヴァルがスイスのヴヴェイで死去する。(享年63歳)

(日本)9月5日、日露講和条約調印

1912

明治45

ジョージが大倉商事のロンドン支店長となる。

(日本)7月30日、明治天皇崩御、大正と改元。

1917

大正9

ジョージの妻ドロシイが長女マーガレットを生み死亡する(31歳)。

 

1930

昭和5

後にジョージの後任支店長となる門野正二氏がオーピントンのジョージ家を訪るが、病臥中の瀬戸には会えず帰る。

 

1931

昭和6

9月13日、瀬戸がオーピントンで死去し、ドウリッシュの共同墓地に葬られる。(享年78歳)

 

1933

昭和8

日本人造肥料株式会社七尾工場長の山賀氏が訪英中ジョージと会い、彼が七尾で生まれた事を知る。

 

1935

昭和10

ジョージが大倉商事ロンドン支店長を辞し、顧問となる。

 

1937

昭和12

2月6日、日本化学工業株式会社・田中取締役と日本硫曹株式会社・西岡技師がオーピントンにジョージを訪ねる。6月27日、前記両氏に託されたパーシヴァルの写真2枚が七尾に到着する。

(日本)7月7日日中戦争勃発

1938

昭和13

ジョージが子供とともに、ヴヴェイに父パーシヴァルの墓参をする。

 

1939

昭和14

2月15日ジョージがオーピントンで、死去し、妻とともにドウリッシュの共同墓地に眠る(享年69歳)。

9月3日、英仏対独戦線。第2次世界大戦勃発。

1942

昭和17

マーガレットは兄ピーターの結婚を機に叔母のアグネスとともにロンドン郊外のショートランドに移る。

(日本)昭和16年12月8日ハワイ真珠湾攻撃、マレー半島上陸、米英に宣戦。

1944

昭和19

ピーターの長女ローズマリーが生まれる。

(日本)昭和20年8月15日、昭和天皇「終戦」詔勅放送

1956

昭和31

アグネスがショートランドで死去する(80歳)

 

1966

昭和41

10月七尾市矢田新町にパーシヴァル・オーズボンの顕彰碑が建てられる。

 

1970

昭和45

マーガレットが勤めを辞めサセックス州アクフィールドに転居する。

 

1981

昭和56

ピーターが死去する。

 

(参考文献)「オーズボン紀行—侍の娘と結ばれた英人一家を追って」(北國新聞社)

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