自分のまわりの人々を見てみてください。圧倒的に右利きの人が多いことに 気づきます。というより,「右利きがあたりまえ」という意識を持っている 人もいるのではないでしょうか。それでは,なぜ,左ではなく右なのかという 疑問を抱きます。
左手に鉛筆を持って字を書いていたら,親や先生に矯正されたという人も これを読んでいるなかにもいることでしょう。「なぜ右なのか」この疑問に 対する答えを,野球との関連も合わせ探っていきたいと思います。 人はいつから利き手を持つようになったのでしょう。最も古い利き手の痕跡は, 300から200万年前の石器に認められるという主張があります。時代が 降ると,洞くつの壁に残された手形,絵画や彫刻から利き手を知ることができる ようになります。これらの調査結果からわかったことは,時代や文化を超え, 常に右利きの割合が90%前後を占めるということです。
さて,人々が「左」をどのように考えているかを,言葉を通して考えてみましょう。各国語 | 左・左利き | 「左」に隠された意味 | 英語 | left | 不格好な,邪悪な,不器用な | アメリカ俗語 | left | 行きづまった,失敗する | | left hand | 不正な,いんちきの,ホモの,レズの | フランス語 | gauche | 悪い,歪んだ,こまった,へま | ドイツ語 | links | 不器用な,不作法な,誤った | イタリア語 | mancino | いつわりの | スペイン語 | izquierda | 曲がった | ポルトガル語 | sinistra | 不吉な,無意味な,危険な,災害 |
上の表からわかるように,どこの国の言葉をとってみても,「左」はあまりよい意味で 使われていません。宗教においても,キリスト教をはじめ,仏教,儒教など, 左に対して,悪い意味での特別な価値を持たせています。
それではなぜ,あらゆる宗教や文化が左に対する共通の概念を取り入れたの でしょうか。カ−ル・セ−ガンは,次のように推測しています。
「機械文明以前の状態にある未開社会では,排便の処理が衛生上重要な意味を 持っていた。食物を排泄物による汚染から守るためには,排便を処理する手を 決めて区別しておく必要がある。この手の区別は,個人の問題ばかりではなく, 仲間を汚染しないという社会的ル−ルへと発展したのであろう。」
つまり,左手と排泄行為との結びつきが,左手に対するマイナスの価値観の始まり だというのです。事実,東南アジアの一部では,今なお右手に桶を持ち, 水を流しながら左手で処理しており,左手と不浄が結びついています。 脳には,右脳と左脳の2つがあることは皆さんご存じでしょう。それらの 働きについてみると,右脳は全体的な精神活動と関係し,空間における方向の 判断,絵画鑑賞,彫刻などの芸術的努力,身体動作,他人の顔の認知などと 関係しています。一方,左脳は物事の分析的,論理的思考,特に言語的,数学 的思考能力に深くかかわっています。まとめていえば,右脳は「図形情報」を, 左脳は「言語情報」を処理するのがそれぞれ得意なのです。
ところで,右脳は体の左半身を,左脳は体の右半身を支配しています。つまり, 右手は左脳に,左手は右脳に支配されているわけです。そう考えると,偉大な 芸術家や音楽家に左利きの人が多いことにうなずけます(例えば,レオナルド・ ダ・ビンチ,ピカソ,モ−ツァルト)。芸術的能力が優れているということは, 右脳が優れていることを意味し,左利きであることも右脳の優位性を意味しています。
一方,左利きの詩人や小説家が少ないことに気づきます。彼らの才能は, 絵画や彫刻など,ものの形や位置にかかわる分野で発揮されていますが, どうも左利きと文学的才能とは疎遠のようです。 |