このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
日本語では、文の主体が行う動作及び状態を敬語で表現することにより、その主体に対する敬意を表すことができます。 動詞を尊敬表現にするにはいくつか方法があります。
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「書いている」「見ている」など進行中や継続中の動きを表す「ている」がついた形の動詞の場合には、 「いる」を「ござる」に変えて尊敬を表すこともある。 共通語の「-ていらっしゃる」に対応する形として、「-てみえる」「-ておいでる」が見られる。 また、「書いている→書いとる、書きょうる」「見ている→見とる、見りょうる」という形にした上で、 基本表現の形をあてはめる方法もある。他の表現もまとめると以下のとおりである。
五段動詞 | 一段動詞 | 備考 |
書いている | 見ている | 基本形 |
書いていらっしゃる | 見ていらっしゃる | +いらっしゃる(改まった場) |
書いてみえる | 煮てみえる | +いらっしゃる(改まった場) |
書いておいでる | 見ておいでる | +いらっしゃる(改まった場) |
書いてござる | 見てござる | +ござる |
書いてござりる | 見てござりる | +ござる+(イ) |
書いてござらっせる | 見てござらっせる | +ござる+(ロ) |
書いてござりんさる | 見てござりんさる | +ござる+(ハ) |
書いとりる | 見とりる | (とる)+(イ) |
書いとらっせる | 見とらっせる | (とる)+(ロ) |
書いとりんさる | 見とりんさる | (とる)+(ハ) |
書きょうりる | 見ようりる | (ょうる)+(イ) |
書きょうらっせる | 見ようらっせる | (ょうる)+(ロ) |
書きょうりんさる | 見ようりんさる | (ょうる)+(ハ) |
一部で一段動詞の五段動詞化が観察される。
敬語の人称暗示的性質
共通語の敬語でも言えることであるが、敬語には動作の主を暗示させる機能がある。 それは恵那弁においても同様である。 「-iる」「-っせる」は、相手や第三者の動作を丁寧に言うときに多用される。
(1)の場合は「持ってかっせる」と相手の動作になっているので、 甲が白菜を持っていくことがはっきりわかる。(2)の場合は、甲が持っていくとも 乙が持っていくとも両方の解釈ができる。(3)の場合は話し手の意志が「持ってこ」 に含まれているので、多分乙が持っていくと考えることができる。
絶対敬語 相対敬語
共通語の敬語遣いでは、身内を高めないというルールがある(相対敬語)。 恵那弁においても、共通語の形式で敬語にする場合には、ほぼこのルールに従う。
一方で、恵那弁の敬語である「-iる」「-っせる」は、どちらかというと 親しみを込めたい場合、丁寧な言い方にしようとする場合に使うことが多いせいか、このルールは あまり厳格には適用されていないようである。例えば、
恵那では、人や動物の存在を表す動詞は「おる」が通常使われている。 例えば、
ときどき「先生がおる」というと注意されるが、それは敬語を使っていないことを注意されている のであって、おとしめていることを注意されているわけではないはずである。
「おられる」が誤用と言われるのは、「おる」は謙譲語で自分の動作を低めるときに 用いる語で、その「おる」に尊敬の「れる」を付けて「おられる」とするのはおかしいという理屈である。 同じような例としては、「食べる」は本来「賜ぶ」に対する謙譲語であるから、「食べる」に「られる」を 付けて「食べられる」を尊敬語として使うのはおかしく、「召し上がる」とすべきというものがある。
「おられる」のかわりには「いらっしゃる」を使うということになるが、使いすぎると文がくどくなってしまう。 また、「-している」を一々「-していらっしゃる」にしていると更に文が長くなってしまう。 「いる」に「れる」を付けた「いられる」は使われない。
よって、「おる」が謙譲語でない地域では「おられる」を必要に応じて使うのは自然なことである。 ただ、「おる」を謙譲語として扱う地域の人は違和感を感じるようであり、また、 敬語のマニュアル本を読んで賢しげに標準語では間違っていると指摘する人もいるだろうという点には 注意が必要なようである。
なお、恵那弁では「おらっせる」「おりんさる」「おりる」で十分に表現することができる。 (対して、「いる」については対応する形はない。)
菊地康人『敬語再入門』 (丸善ライブラリー 1996)
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