このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
8月20日 同窓会の嵐
8月27日 分ける、繋げる
サイトが大きくなりすぎて、更新がしづらいと感じるようになりました。
今後どういったニーズが求められているか、などといったことが分かれば、この四方八方に散らばった方向性を収束させることが出来るのですが、なかなか皆さん語ってくれません。
とりあえず、『これは自分のためにやっておきたい』と考えている近代化産業遺産リストに着手します。将来的には出版も念頭に置きつつ(笑)ぼちぼちと動いていきたいと思います。
ここはこのくらいにさせて下さい。中身をもっと詰めたいので(苦笑)。
8月28日 窮
精神的にはかなりぼろぼろで、気力だけで行動しています。
何のために自分がここまで来たのか、などの根本的なアイデンティティが崩壊しかかっているので、
まともに論攷がかけるとも思えません。
「言いたい放題」などの論的コンテンツの更新は今のところ、望めません。
かろうじて遺産リストを少しずつ更新していくことで、自分を保っていきたいと思います。
打たれ弱いことは自分的に知っていましたが、裏切りに遭うとこうなるのか、と初めて知った次第です。
当分、人付き合いは控えめにしようと思いました。
9月6日 再起
人間の精神というものはまことに柔軟にできているものだとこの度実感しました。
あと一ヶ月は駄目だと思っていた精神状態も研究室の教授と前後の相談をしたり、学会の事務局長と話しているうちに何とか持ち直してきました。
ただ、自分がこれからどのような道を歩んでいくのか、最終目標だけははっきりしているのに、その過程がぼやけ続けています。
【中略・まったく愚痴が多すぎていけません。】
学ぶことを仕事にするための、長い道のりになろうとしています。何度も挫けてしまうかと思いますが、道を捨てることはないと自分自身を信じています。
どうぞ温かい目で(冷たくてもいいですけど)、見守って頂きたく願います。
9月10日 10月末には全国大会。
ぎりぎりの状態に自分を追い込んで論文や作品を仕上げるという事を私は良くやりますが、だいたいリバウンドが激しいので、終わったときの精神状態を考えて最近は慎んでいます。
が、どうしても間に合わないときなどは致し方なく、仕上げたときなどは本来はすがすがしくなりそうなものですが、私の場合は自分の愚かしさを情けなく思うばかりです。
夏休みの宿題を溜めてしまった小学生のようなものでしょうか。本来は作業をやっているときに後悔するもののような気がしますが、私は作業の際には精神が完全にトリップしているのでさして気になりません。
さて、今回の作業ですが、学会の全国大会用の予稿集作成でした。本当に、もうたくさん、という気持ちでいっぱいです。
来年の予定も決まらないまま、私はいったい何をしているのでしょうか。
9月16日 18年前、間違いなく小学生でした。
自分の事を祝えないので、少々残念ではありますが、阪神タイガースの優勝を心よりお慶び申し上げます。
日本経済にはプラスになる事、間違いないと思います。そう言った星のもと巡り合わせたのだと私自身は確信しています。何にせよ、中継から見る大阪の町は熱気に満ちており、見ていてこちらも嬉しくなってしまいます。
嬉しくなると言えば、先日の飯塚。一時は休演やむなしといわれていた座長大会も嘉穂劇場救援の下、急展開の後開催する事となり、またチャリティオークションも行われました。
私自身が一番嬉しかった事は、芸能人の方々をはじめとして多くの皆さんが嘉穂劇場の建造物としての「価値」を認めてくださった事です。
このことは近代化遺産の保護と産業考古学の進展に、重要な一歩を示すことだとと思います。町のシンボル、ランドマークに対する見方はこれから確実に変わっていくでしょう。
、、、とまあ、ビール片手に言いたい放題語る秋の夜長です。
9月19日 更新は都合の良い現実逃避
とか言う自分が嫌いなのですが(笑)、、。
最近の更新のメインである近代化遺産リストを作っていると、どうしても自分の語彙の少なさにうなだれてしまう事があります。
トタン屋根の「トタン」ってどういう材料だ? とか、セセッション式ってどういうものを言うんだ? とか(基本的でごめんなさい)。これで建築系所属と言うから、周りに怒られるんだろうなぁ(逐次勉強する日々です、反省)。
結局これも自分に対して学習意欲を高めるためにしている行動なのだと考えています。北九州市に直接関係するコンテンツには、いまはまだ何となく忌避感を拭えないので、当面はここを中心にやって行きます。
しばらくはこれと自分の事で手一杯な感じです。本館は当分開店休業が続くでしょう。黒崎の将来像は市の都市計画専門の方に任せます(苦笑・泣)。
9月25日 論文三本、執筆順調(嘘)
言い訳がましく、筑豊に恨みはないんですよっ!! と名称変更に関してここに書いておきましょうか(笑)。
今回産業考古学研究室にあえて「筑豊」の名前を外したのは、このコーナーの研究対象を大幅に拡げようという意図在っての事です。
筑豊を第一に考えている事は事実ですが、私自身がこの地域だけを活動拠点に考えられなくなった(就職の「失敗」が原因に挙げられる)ことと、他地域の近代化遺産に対する関心がかなり強くなった事が、看板から「筑豊」を外させました。
しかしいまの私は、恐らく去年の今頃からは想像もつかないくらい筑豊郷土史に近い仕事を請け負っています。これも勉強のうちだと思っていますが、とりあえず、生計を立てるために定職だけはどうにかしなければ、と思っています。
社会人博士課程を念頭に置いて、どこか私を雇って頂けるところ、ありませんか?(無理)
10月5日 記憶が飛んで暴れないように
私が呑みすぎると記憶が飛ぶ事は以前からここで述べているとおりです(困)。
研究室関連で呑みだすとさらにそれに「暴れる」の要素が付け加わるようです(さらに困)。
さすがに何回もそんな状態が続くと自分の生存範囲が維持できそうにないので、先日考古学研究室関連で呑み会があった際には、自己規制が大幅に働きました(笑)。
いや、あまり笑えない話ですが。
話をサイト関連に戻しましょう。
今回ようやく20000アクセス関連で準備していたコンテンツを公開できました。つまり、それくらい色々な準備が延び続けている事を顕著に表しているという、、、あまり自慢になりませんな。
さらに近代化産業遺産リストも北九州市以外のコンテンツが公表できました。これからは市内に拘ることなく、自分が調べた範囲で色々と資料提供できれば、と考えています。
ただ、付属データが北九州から離れると極端に不足してしまい、少々困っています(今回「愛媛県」関連が公表できたのも、参考文献が入手できたため)。当サイト管理人は「大分県の近代化遺産」と「熊本県の近代化遺産」の調査報告書を喉から手が出る程欲しがっています。入手先についてご存じの方はご一報下さい。いや、本当に。
10月7日 舵を切る
少しずつではありますが、意外と重大な方向転換を行おうとしています。
何かといいますと、地域情報サイトとは別の方向性を重要視しだしたという事で、産業考古学研究室が順調に成長し、北向(北九州〜委員会の略)と二本柱になっていくことが自分の中で決定づけられました。
自分の学問の汎用性を求めての事(悪くいえば地域から「お前は要らない」といわれた時の保険)で、ここ一ヶ月近くの体験がかなり色濃く影響しました。
確かにこのサイトは、、、グーグルに好かれているのか何なのか分かりませんが、検索順位でかなり好位置に付けており、以前に比べれば存在の必要性が増したのかな、と思う事もあります。
が、自分の今繋がっているリンク先から少しでも離れれば完全に孤立した自己満足だけが残る、空虚な世界となってしまいます。
ここで主張すべき方向性をもうひとつ作らなければ、私は地域から必要とされなくなった時、Web上に当てもなく彷徨ってしまう事でしょう。
という事で、産業考古学研究室、これから来年にかけて注目です。修論の忙しさのごまかし(現実逃避ともいう)にどんどん新コンテンツができあがっていく事でしょう。
北九州のことは、まあぼちぼちと。
10月14日 取材
自分の肥やしになるような活動に取り組んでいる、、、、はずです。
色々さぼりがちですが、論文作成のために頑張っている、、と思います(はっきりしない)。
自分の事で手一杯で、もう部活動だの、学会事務だの、本当はやってられないよ、といいたくなりますが、これも自分の肥やしになるための、とか何とか言って心の中で歯を食いしばりながら、生きています。
、、、、あ、俺余裕無いかも(困)。
近代化遺産取材(+文献資料収集)のため、県庁(の政府刊行物コーナー)巡りを暇ができ次第行っています。
サイト管理は、まあほどほどに(前回と〆がかぶっているなぁ)。
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