このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

雑記過去ログ

9月7日  進路を決めるとき、決められるとき

 私は考古学研究室と言うところに所属しているのですが、この研究室は共同作業が他に比べ非常に多いところだといわれています。なぜかというと、「発掘」をやるからです。研究室生活の多くはこれの整理作業に割かれます。
 一年生の終わり頃、私は専攻決定の際に古代中国学をやりたいと思いました。私の大学は考古学とともに、「東洋史学」がありますので、当然そちらを選ぶべきだったのですが、「古代専門の先生が東洋史学の研究室にはいない」とのことで、私は中国考古学を行っている考古学研究室を選ぶことになります。ある意味、当時の私は希望と期待に満ちあふれていました。それに頼り、前を向くことで私は毎日を過ごしてきました。私は甘かったと今は思います。
 研究室は「そこに居続けること」を要求します。他の研究室はどうなのか分かりませんが、考古学研究室は共同作業があるせいか、夏休みでも前後は共同作業に費やされます。それ自体は決して悪いこととは言えませんし、私は自分の才能に応じたできるだけの作業を行いました。ただ、自分が専門にやりたい時代の作業が普段の作業と結びつきにくかったことや、研究室の雰囲気と私の性格が合わなかったこと、または人間関係、体力の問題から、私は次第に積極的には研究室に足を運ばなくなりました。
 それが間違いだと気づくのにそう時間はかかりませんでした。研究室にいづらくなり、また人間関係もますます悪くなります。大学卒業後、私は大学院にはいるつもりでしたけど、最近はそう感じなくなりました。しかし、それでも周りは「ここに居続けること」を要求しますし、休みの生活も普段の生活でも「考古学に関わり続けること」を要求します。私は、こういいたくはないのですが、プレッシャーとしてこれらの要求を受けざるを得なくなりました。この間は先輩にとんでもなく失礼なことをしてしまい、反省はしていますがその失敗を考古学の研究で返そう、とは考えられなくなりました。
 転部・転科を考えたことがあります。しかしそれを行うには人間関係や自分の並はずれた努力、財政事情など越えることが難しいハードルが数ほどあります。私は、今自分が置かれている状況を「何らかの試練」として受け入れることにしました。こう考えでもしなければ、今の私の研究室生活が全く無意味なものとなりかねないからです。
 今年も研究室の「発掘」が始まる季節になりました。少しでもここでの思い出をいいものにできるよう、できるだけの努力を行いたいと思います。
 、、、、、ごめんなさい。相当重いテーマとなってしまいました。読み流してください。

9月13日 自堕落とも言い切れる生活にはツケが来る

 夏休みのレポートのためとはいえ、実家でのだらだらした生活が続いています。
 「研究活動のため」と言っては、自分の心に張りを持たせているつもりだけれど、どうしてもだめなものはだめなようで。最近自分でも明らかに分かるくらいに太りました。これじゃあ、自堕落といっても仕方がない。何とも意志の弱い人間とは、哀しいものです。
 まずは、運動不足であることがそもそもの原因です。図書館に入り浸り、本を読んでは社会全体に、または地方経済に、近代社会の形成過程に思いを馳せます。これ自体は間違ってはいない、、、はずです。でも運動していません。運動嫌いだからでしょうか。出不精だからでしょうか。いくら言ってもきりがなく、体重計に足を載せるのが自分の罪を測っているかのようで嫌なものです。
 そろそろ国立大学にも試験のシーズンがやってきます。私は単位が取れるのでしょうか。取らなければならないことは間違いないのですが、語学にはさっぱり自信のない文学部史学科学生にとっては哀しい季節の到来です。
 とりあえず、テスト勉強が一段落つけば、香港事情のコンテンツが皆様の目に触れることでしょう、多分

9月24日 オリンピックを見せてくれ。

 テストは残り一教科、順風満帆に思えた今日この頃、それは忘れた頃にやってくる大地震のように襲ってきたのです。
 そう、考古学研究室の発掘作業です。私は元々体力がない方で、少々の肉体労働ならば気力で乗り切ってきましたが、これだけは、、、というもののひとつがこの発掘作業です。
 山のようなレポートも、難しい語学の試験もこれに比べたら簡単なものに思えてしまいます。気乗りがしないからか、日本考古学に興味が薄いからか、どうにもやる気が起きずいやになります。
 こうして文章を書いているときでも、、、、、、、、気力が奪われます。しかしなぜにこの時期なのか??オリンピックと重なった日程なのか?俺にオリンピックを見せてくれ!!!!
 叫べども声は届かず、9月25日から発掘作業は始まります。せめて生きて帰ってきたいと思います。祈っててください。

10月11日 掘る。

 ダイエーが優勝、ということで私の機嫌も絶好調!、、、、と言いたいところではあるのですが、もうぼろぼろです。
 
最近の身辺でよいことと言えばダイエーの優勝ぐらいで、後はどうしようもありません。私はどこへ行こうとしているのでしょうか。自分でも見当がつきません。体力がとことんまで衰えてたしまった状態で言えることなど、そんなものでしょう。
 佐賀県呼子町に行ってきました。発掘作業で「掘ってきた」と言った方が正しいでしょう。
 この作業、朝から晩まで発掘作業に従事します。最初の土上げ作業、俗に「ドカ堀り」というのですが、これに最初の数日間は従事し、遺物が出てきたらその部分の平板測量、平面図・見通し図などの図面作成作業に入ります。まあ、考古学研究室の学部生・大学院生達のみで掘るのですから、だいたいの人は図面を一回は取らなければなりません。何しろ勉強のためにいくのですから、バイト賃は当然出ません。この作業に出なければ「考古学実習」という単位をもらう資格を得られず、全ての考古学研究生が発掘を手伝います。
 ずいぶんへなっちょろいことをいう奴だと言われるでしょうが、私はこの作業自体にいく気がなかったのです。私の専門にしたいと思っている分野は中国古代考古学です。あまりここでの作業は得るものがないのです。学べることはせいぜい「集団規律を学ぶこと」ぐらいでしょうか。でも毎日作業後に行われる「ミーティング」後に行われる飲み会は正直閉口しました。ビールは嫌いです。うまくもない酒を毎晩飲まされることは何事にも耐え難い苦痛です。発掘作業よりもこの部分が嫌でいやで仕方がありませんでした。
 私は次の日に酒が抜けにくい体質なので、飲み会に行く場合には次の日の予定を考えて参加します。いくら「集団規律」とはいえ、参加者の体力・体調を考えない、体育会系的なスケジュールには嫌悪感を覚えます。こころが考古学から離れていくことを防ぎたいのは山々ですが、分かり合えない人たちと過ごすことは私自身を傷つけ続けているようなものだと思います。私はマゾではないので、こんなことはできる限りさけたいと思うのです。
、、、、、、このコーナー、どんどん暗くなってるなぁ。

10月21日 半実家暮らしの始まり

 この間折尾−博多間の定期券を買いました。遂に「半」実家暮らしの到来です。なぜにこういった状態になったかというと、、、実家で家庭教師をやらなければならなくなったからです。相手は高校3年生なので、週2〜3回は見ていかなければならない訳で、その間は北九州−福岡間を往復しなければならない、、と言うことでの定期購入です。実家でのこのページの更新がこれから増えていくことでしょう。、、実家のパソコン、モニターが15インチで少々見づらいけどなぁ。なんて言ったら贅沢でしょうか、やっぱり。
 私の箱崎でのマシンはモニター17インチでメモリ256MB、ビデオメモリ32MB、Athlon700MHzのセルフメイドの快適マシンです。えぇ、とっっても快適です。だから、実家のマシンは疲れます。買い直して欲しいです。無理ですか。むぅ。
 大学祭の季節が近づきました。何とかそれまでに「東筑高校文化祭史」を形にしておきたいです。、、、、でなければ、酒ばかり飲む季節が近づいているから、、、。いや、失礼。何とかしてみます。

続く(のか?)

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