このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

雑記過去ログ

7月2日  夏、夏ですねぇ。卒論の準備が、、、

多枝選択式の試験が終わりました。
北九州市は何ともいえませんが、他は終わりました(泣)。
市の試験、論文が書き足りなかったのです。地方文化の都市への影響について深く掘り下げることをすっかり忘れて、夢中で取り組んじゃいました(笑)。
試験ってそんなものですよね。

もうすっかり夏です。北九州博覧祭もまもなく開催します。さて、、、、東筑高校文化祭ももうまもなく始まります。
何でも今年は特に準備が遅いらしく、期待できないそうですが、毎年恒例の企画はまた行われるようなので、まずは一安心といったところですか。私としてはもっとドラスティックに生まれ変わった革新的な企画を望んでいる(例・ミュージカル、ビデオ映画、リサイクルバザーなど)のですが、先生や生徒が総入れ替えしないと無理と言われると、もう諦めざるを得ません。
文化祭ってそんなにつまらないものでしたっけ??私は、辛かったですが、それなりに仕事を楽しめましたけど。他の高校では考え方も違ってくるのでしょうね。
だらだら愚痴を書き始めそうなので今回はこの辺で。次回は卒論のテーマである筑豊地域の産業考古学について書いてみましょうね。

7月20日  産業考古学って何でしょう?

まあ、私の専攻であることは間違いないのですけど(笑)。
要は近代以降に遺された、鉱工業をはじめとした産業遺跡の保存と研究を専門とした学問です。
分かりづらいですか。そうでしょうね。
北九州市周辺で例を挙げるならば、東田第1高炉や堀川の水門、河内貯水池や西部地域のボタ山の研究をする学問だと思ってください。
さて、私の専攻は考古学研究室だと言うことは、今までさんざん愚痴り倒してきたのでご存じでしょう。
考古学とは、、、、、具体的な仕事をあげると土掘り、図面書き、土器などの接合、トレース、等々です。学部生レベルでは、自分の研究よりも研究室全体での遺跡調査の手伝いがメインです。
、、、私が今やっていること(産業考古学)と接点が無さそうに見えますね、ところが!、、、、その通り接点は殆どありません。共通点は「もの」に則して研究するという姿勢くらいでしょう。
それでも私の最近の趣味傾向、学問的な関心とぴったり一致したので、多少の勉強・出費には目をつぶって懸命に取り組んでいます。
卒論のテーマとして「筑豊炭田の産業遺跡とその現状について(仮の仮)」と言うようなテーマで炭鉱について調べる予定です。
何か参考になるような意見、またはこのようなところを調べるといいなどのアドバイスがある方、是非是非管理人に お知らせください
、、、、てな感じで就職戦線の現状から逃げていると言うことは公然の秘密です(苦笑)

8月11日  たまにはだらだらと自分の心情でも。

・時々、、、本当に時々思うことなのですが、自分という人間が要らないもののように考えてしまうことがあります。
それは就職戦線で敗北を繰り返すときに考えることであるし、ホームページに何の反応もなくなったときに考えることでもあります。
私は情報の垂れ流しだけはしたくありません。それは誰にでもできることですし、私にしかできないことをやることで、私は社会に貢献したいと思います。それでも、、、、なんと言いますか、反応、といいますか、手応えを感じられないと肩を落とします。私も人間ですから、当たり前のことなのでしょう。

・社会は大人の関係を要求します。それはかなりドライなものだと思います。そんな世界で自分の能力が問われることは、悪くはないなと考えていました。今となっては甘かったと思います。
就職という目標を制するためには、四の五の言わずに経済学部にはいるべきでした。語学が苦手な文学部青年には、今の戦線は厳しすぎます。節を曲げても生活の安定を優先すべき時代です。「私の卒業する頃には景気もよくなっている」なんて言った人々、責任とってくれますか??

・私には友達が居ます。そして実家には家族が居ます。とても恵まれた生活を送っているはずなのですが、やはり何か足りないと考えることが多いのです。それは、、、自分の中では納得できる現象なのですが、なかなか説明しづらいものだと思います。
隣の芝生はいつまでも青いものです。私もいつも誰かを羨んでいます。自分が持っていない才能を欲しがっています。例えば、、、アウトドアを愛する才能とか、あと、女の子と仲良くなる才能とか(笑)。いつまでも無い物ねだりです。悩みは数多く、私はまだまだ若僧です。

・私が高校文化にこだわる訳、、、きっと高校時代にやり損ねたものが多すぎたからだと思います。勉強もその一つだと思いますが(苦笑)。恋とか、友達づきあいとかももっとやりたかったですね。最初の1年間は部活動、後は生徒会活動に打ち込んでいました。今考えると、、、すべて中途半端に過ぎていったような気がします。
もしもう一度高校生活をやり直すならば、どちらか一つをやり遂げたいと思います。音楽部で合唱に3年間を費やすもよし、化学部やラジオ部にいても良かったかなと思います。、、、、、でも運動部系にいる自分だけは想像できないのですが。

とりとめのない文章になってしまいました。誰か読んでいただけると、、、、いや、読まなくていいです。恥ずかしいから。

8月19日  風景写真は命懸け

この間、写真撮影の為に小倉南区に行ってきました。もともと不案内な所なので、撮る所にいろいろと迷うかなと思っていたら、、、案の定、ひどい目に遭いました(自業自得の結果とも言えますが)。
今回の主な対象は、
 ・城野駅周辺
 ・下曽根駅、、、特にザ・モール小倉
 あとは自分の気力が保つ限りに撮る
この3番目の項目が自爆への道を指し示していました。時は8月上旬、昼間の最高気温は35度近くになっていたのです(注・これから解説する道のりは、全て歩きにて移動しました、気力のない方は夏頃には真似しないように、、、って普通しないか)。

 まずは小倉南区役所から北九州市立大学へ。ここらへんは真上を走る都市高速が日除けになって楽でした。しかも序盤ですし。

次、モノレール城野駅からJR城野駅までの散策。ここは辛かったです。何しろ、モノレールからJRへの案内板がない(しかもけっこう離れている)から、完全に感覚で移動しました、、、結構迷ってました。

そして、、最大の悪夢。下曽根駅から北九州空港、引き返して曽根サティ、そしてザ・モール小倉までの行程です。3〜4kmくらいの散策(むしろ彷徨)ですか、午後2時くらいの、一番暑かった時間帯。めまいがしました。疲れました。炎天下の中の発掘の次くらいに死にかけましたね。本当、就職も決まらずに何やってるんでしょう、私

最後に、、おまけでJR志井公園駅からモノレール企救丘駅までの移動です。心身共に死にかけたので、ここらへんは軽く流してしまいました。

とまあ、苦しんで撮った小倉南区の諸写真群、これらは北九州風景写真館・北方編第二部・曽根編・徳力編などの形で紹介することになるでしょう。どうぞ、お楽しみに。

8月25日  何も書くことが無さそうな時が一番幸せのような

つい先日、関門地区の写真取材を敢行しました。前回のような危険な状況となることもなく、、、平和に済みました。人間そう何度も危ない橋を渡りたくないですから、本当に。
さらにその2日後には北九州博覧祭の見学に行って参りました。
感想としては、、、面白いんじゃないですか?だって唯一難点だと思ったのが人がいないことですから(苦笑)。あ、でも子供向けのパビリオンが少ないように感じました。テーマが重く感じるのもそのためではないでしょうか。
みどころとしては、、、、
グローバルアジア館(本格的にお茶を楽しむというコンセプトが素晴らしいです、、タダのみできるからとか言う不純な動機ではなく)
センタープラザ(北九州の歴史が分かります。やすらぎ健康館でゆっくりするのもいいでしょう。館内で上演している『銀河鉄道999』は、北九州紹介ビデオと考えてください)
新日鐵条鋼パビリオン(北九州市以外の来場者にお勧めです。工場見学なんて、人生の内で何回もやらないでしょうから、見ておいた方が得です)
、、、、企業パビリオンはほとんど巡ることができなかったので省略します。一つ言うならば、郵便局のパビリオンは、、、よく分かりませんでした。
あと、行きたいパビリオンを予め決めておいた方がいいです。一日かけてやっと全部のパビリオンを見ることができるかな?といった規模ですから。
ただ、博覧祭で不満に思ったことも何点か有りました。それについては特集ページを作って紹介したいと思います。まずは行ってみましょう。評価はそれからです。

9月1日  コンテンツ増強に今回は力を入れたと言うことで。

いよいよ産業考古学コンテンツを作り始めました。もう止まりません。これからは卒業論文作成に向けて突き進むのみです。夏もいよいよ終わりに近づき、学生生活の集大成に向けて頑張るつもりです、、、、もしかしたら、来年も学生をやるかもしれません。いや、留年の危機とかそういったことではなくて、大学院に行く可能性が強くなったということです。就職を諦めかけています。研究を続けざるを得ないのでしょう。金にならないものですが、需要を求めて探し続けるほか有りません。
更新スピードが夏休みらしくハイペースになっています。今回はこの日常雑記は軽めに流したいと思います。
、、、、だって疲れるじゃあないですか。いや、失礼。

9月8日  筑豊15市区町、移動距離3日で300キロ前後

卒業研究のために筑豊を歩いたり車を使ったりしました。今日は自分自身のご褒美をかねて休息日です(笑)。
私自身の筑豊地域の定義は、旧遠賀郡・鞍手郡・嘉穂郡・田川郡の領域内と考えています。今回は第3次実地調査とドライブをかねて各郡の町役場や郷土資料館を巡って産業考古学・筑豊炭田研究の調査に行きました。
結構行き当たりばったりの計画だったので、アポ無しです。えらい目に遭いました。同じところをぐるぐる回ったり、役場内でたらい回しにされたり、、、、しかし突然の訪問に親身に対応していただいたところばかりでした。本当にありがとうございました。たぶんまた行きますので、その時はよろしく(苦笑)。
この手の話はとりあえず卒論が書き終わり次第、スペシャル版で記事を組みたいと思います。今回はご報告までで終わりたいと思います。
相変わらず疲れています。休息に専念、、、、と。

10月1日  単位は取ったけど、、、

卒業したあと、どうなるのでしょう?? 不況の嵐の中、私は不要な考古学ですからねぇ。
山口きらら博が終わったそうです。来場者数は251万人ということで、県知事さんは「大成功だ」と喜んでいるそうです。
さて、北九州博覧祭は、、、(略)
それにしても世の中うまく立ち回らないことばかりです。
テロが起きて経済的な負担は広がる一方です。マイカルも倒産しました。門司サティはどうなるのでしょう? 徳力は? 曽根は? 戸畑は? 今回は福岡市も笑ってばかりではいられません。ビブレや福岡東サティはどうなるのでしょう。
井筒屋は黒崎そごう跡に入居しましたが、それで黒崎の景気がすぐに回復するわけではありません。小倉そごうの後継テナントも決まりません。
北九州市域で唯一元気印を見せているのは、陣原駅周辺だけではないでしょうか。空き地だったところには次々とマンションができて来ています。ゴミ発電による銭湯には多くの客が訪れています。スーパーは相変わらず特売ばかりです。

最後に私にとってしょげた出来事をひとつ。
私の福岡にあるマンションのすぐ近くにあるコンビニが潰れました。業績は悪くなかったはずですが、
会社自体(その名もニコマート)が倒産してしまったのです。
合掌。それにしても世の中うまく立ち回らないことばかりです(泣)。

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