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雑記過去ログ

1月半ば〜2月20日  こばなしスペシャル2
更新が途絶えていたお詫びとして、だらだら過ごした日々にたまった出来事など、述べてみようかと。

1.自助努力
 ホームページのカウンターとにらめっこする日々が続いている。
 新館より本館の方がアクセス数が多いのは気のせいだろうか、、、で実際調べてみる事にした。

2000年9月時の統計を見てみる。
夏台文博・本館   303   新館−本館=1432
同・新館       1735

更に2001年9月の統計。
夏台文博・本館  2900   新館−本館=1604
同・新館       4504

で、最近のデータ(2月4日)がこれ。
夏台文博・本館  4460   新館−本館=1709
同・新館       6169

 結果、新館の方が栄えている、、という事が判るのだが、それよりまず考えるべき事は、良くちょこちょこと統計取っているよなぁ、という事。原因は「東筑関連リンク集」更新時にカウンター統計を取る癖があるからだが。
 今年はもっと宣伝しなきゃいけない、、と思いつつもう二ヶ月。そこで今から四月までを「相互リンク推進期間」と題しようと思う。
 個人系HPを対象に特別に目立つリンク集を作り、そこにまとめる。良い企画だ(自画自賛)。
てな感じでやっているのでリンク希望の方、今がチャンスです(笑)。どんどん希望してください。多少はあなたのページのカウンターアップに役立つ、、、かも知れません(弱気)。

2.大学院試
 大学院の試験というものを生まれて初めて受けました(当たり前か)。
 一つ目の試験で中国語を語学に選び、「まあ、ある程度は英語より簡単じゃないかな。」とか思って受けてしまいました。
 大・失・敗です。英語と同等、いやそれより難しい問題がべべーんと出てしまいました。
 一問目は小説。しかも文章に作者の癖がすっごくある奴。
 「な、ななななななーっ!!! 解けんぞぉ。」
 そして二時間。まるまる一問全く手がつけられない解答用紙は、試験官へと飛んでいきました(泣)。
 ああぁ、大学院二つ受けてて良かった。二つ目は絶対に英語を選択しよう。
 、、、で二つ目の試験。英語を選択して問題を眺めます。
 どうやらセンター試験レベルの問題。「をいっ、英語が中国語と同等のレベルでいいのか?」、、ま、解ければいいのですけど。
 後で聞くと、同じ大学内でも選考によって試験のレベルが(問題段階で)全く違うとの事。つまりは私自身の情報不足だったという事でした。ちゃんちゃん。

3.窮地に立たされるとき
 その大学院試ですが、まだ結果出てません(爆)。これだけ言って落ちましたってのは哀しいのですが、その可能性もあるわけで。未だ緊張の日々は続いているわけです。
 二つ目の院試ですが、建築系です。ええ、理系です。私は文学部史学科考古学、、、、そういう道もあるわけです。産業考古学ですから。駄目もとです。ですから、過剰に期待しないでください(泣)。
 やる気は十分にあるんです。まだまだ研究したい事は山程あるんですから。ただ、ついていけるかな? という一抹の不安はありますが。
 卒業後の予定が全くない現状から考えて、まさにのるかそるか、窮地に立たされていると言えます。考古学研究室の実質就職内定率、三割近くです。私含めて残りの方は、大変な状況に立たされています。国立ですよ?? 企業のみなさん、そんなに経済学部が好きですか?? 、、、ああ、暴走してる。だってこの研究室すっごく大変だったからなぁ。今度生まれ変わるときは、経済学部に進学しよう(かなり苦笑)。まったく、ひでい時代だ。

4.更に窮地に立たされるとき
 、、、、えぇっと、、先ほどは大変失礼しました。今度は暴走しないよう努めて参りたいと思います(礼)。
 二月某日、卒業論文の口頭試問というものを受けてきました。そこで教授から開口一番に言われたひとこと。
 「とてもよく調査されていますね、大変だったでしょう」
 ええ! おおかた一年以上かけて調べ上げ、かつ写真五百枚を参考にしたものですから。自分でも今回に費やした努力は賞賛ものですとも!! あぁ、やっと報われたかな。と思った次の瞬間。
 「しかし、調査報告書としては優れていますが、論文としては、問題がありますね」
 ぐさっっ、一番気にしていたところを、、、、
 そうなんです。いろいろと本を参考にしながら書いた文ですが、産業考古学の論文というものが手に入りにくい現状で、いろいろ試行錯誤した結果、歴史的考証を省いたものとなってしまっていたのです。素直に考古学のパターンを踏襲していれば良かった、と考えたのは後の話。
 この致命傷への攻撃は卒業論文発表会でも続きます。正確にはそのあとに開かれた「追い出しコンパ」での出来事でした。
 ある教授が私を呼ぶと論文について語り出します。教授の筑豊での思い出、産業考古学を進める上での今後の方法論、、、そして論文の致命傷部分の指摘。
 それがひとりで済んだらダメージではなかったのです。教授が助教授を呼び、さらに別の教授へと交代し、さらに大学院生の方へ。卒論はボコボコに言われていきます。まさに集中砲火です。わたし、そんなに悪い事、しましたか?、、、はい、いっぱいしました(泣笑)。
 しかし、これだけ言われると言う事は、それだけ私の事を気にかけているという事の裏返しとも言えます。卒業する身としては大変傲慢な話ですが、初めてこの研究室に所属して良かったと思いました。自分の居場所というものを感じる事が出来たのです。やはり、私には学問が向いているのかも知れません。先生の皆様方、本当に有り難うございました。私は心から感謝と敬意を表します。
、、、しかし、今更考古学をもう一度やる事はないでしょうが。

5.オリンピック、気合いを入れてみるものの
 どうでもいい話ですが、過去の「日常雑記」を眺めてみたら、オリンピックについて述べているものがありました。
 え? このページ四年以上続いてたっけ??
 、、、ダウトです。考えてみたら前のオリンピックは夏季でした。二年前ですね。四年前の長野の時は、私も大学受験でした。もっとも、オリンピックは無理して見てましたが。だって金メダルって学業の励みになると思いませんか? 、、ああ、このページも長く続いてるなぁ(苦笑)。
 今回のオリンピックを見るに、どうも日本選手団全体が流れに乗り切れないような印象があります。原因は、まあ、みなさんも見ていて判ると思いますが、「審判団」です。スノボ然り、ショートトラック然り。シドニーオリンピックの柔道・篠原選手の時の事件を思い出しました。
 何でもオリンピックの「東西問題」があるらしく、西側諸国は旧・東側の選手に採点が厳しい云々。私はそれに加えて「南北問題・欧米非欧米問題」も同時に存在するように感じます。国境の枠を超えてスポーツを競い合うオリンピックで、国境の壁の厚さを感じる。あぁ、クーベルタン伯爵も草葉の陰で悲しんでいる事でしょう。
 オリンピックを国威発揚に利用する事は、古来から使われた手段ではあります。でも、それをやってしまうと時代の生臭さを感じざるを得なくなります。完全に公正な審判など夢物語に過ぎないかも知れませんが、、せめてわれわれにその夢ぐらい見させてもらえないですかねぇ。

6.ごろごろしてれば風邪を引く
 突如風邪を引いてしまった。まさに突然、動けなくなってしまったのだ。
 それまでの数日間何となく眠れない日々が続き、家族からは「年取った証拠だね」と冷やかされていたが、今から考えるとそのことが予兆だったのかも知れない。
 風邪に身に覚えが、、、無いと言ったら嘘になる。多少無理しながら大学院試の準備やら、いきなりはまってしまったユーモア・ロジックに夜通し取り組んだり、、、風邪引いて当然か。
 しかし、この風邪の威力は絶大で、一週間近く下痢症状やら、頭痛やら、大変な状態だった。
 いや、これを更新が遅れた理由には、、、、ま、実はそうなのだが。それに対するお詫びの気持ちとして今回スペシャル第二弾という事で、だらだら長々と文章を書いているわけである。ま、これをお詫び代わりとして、、(苦笑)。

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