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■2004年04月17日(土)
▽駅発車メロディー
先日一番町のHMVに行ったら「JR東日本 駅発車メロディー オリジナル音源集」というCDを見かけた。発売元はテイチクエンタテインメント。JR東日本商品化許諾済。全87駅211番線早見表付き。気付けばレジのお姉さんに2,500円を支払っている自分がいた。我が家のCD/MDラジカセはCD部分が壊れてしまっており、必然的にパソコンで聞いているのだが、これ、案外奥が深い。こんなに曲があって、きちんとタイトルがついて演奏されていたんだな、という感慨もひとしおである。
主に関東圏のメロディがメインで、仙台で流れているメロディは残念ながら収録されていない。あの、何と言うかとにかく念を押すようなメロディも味わい深いので、少々残念だった。関東圏のメロディは幅広く網羅されている。山手線や中央線に始まり、武蔵野線、両毛線、高崎線、内房線、外房線まで入っているのだ。そして極めつけはこれ。新宿駅全14ホームで使用されている音源をメドレーにし新録音した「新宿STATION」と、それにハープをフィーチャーしたオーケストラバージョン「組曲 新宿STATION」。旅に出たいという気持ちもさることながら、駅メロディに荘厳さを感じてしまう曲に仕上がっている。
各トラックには同一ホームの2方面の発車メロディが収録されている。例えば「8」トラックには高田馬場駅の山手線外回り「鉄腕アトム Version1」と内回り「鉄腕アトム Version2」が収録されているわけだ。同一駅で全て同じメロディという場合もあるが、いくつかの駅のホームで同じ曲を共用している場合も多い。そうなると、この収録法をとる以上、同じ曲が何回か出てくる場合も結構あるのである。注意書きに「48種のメロディーが全87駅、約200番線で使用されていますので、重複しているメロディーがございます。」と断ってはあるが、エンドレスで流しっぱなしにしていると「あ、またコレか」という感じもなきにしもあらず。それを考えると、日がな一日同じメロディにさらされている駅員さんは半ば中毒のようになっているのではあるまいか、といらぬ心配をしてしまう。
ちなみに、ネットにつないだ状態でパソコンにCDを挿入すると、Media Playerあたりが勝手に検索してアルバムタイトルや曲名を表示してくれる機能がある。私も昔買ったCDなどを入れてみたりして面白がって使っていたのだが、この「JR東日本 駅発車メロディー オリジナル音源集」もきちんとタイトルは表示された。しかし「アーティスト情報なし」という表示や、トラック名が表示されないのは致し方ないのだろう。…と言うか、別にそこまでは求めていない。マニア垂涎のCD…というほどではないと思うが、話のネタや旅の思い出に、あると面白いと思う。
▽大学も3年目
今年度から国立大学が独立行政法人化された。教員が公務員でなくなったとか、研究費を自前で調達しなくてはいけないとか、取り巻く環境が激変しているのも確かだ。友人と「学内道路を有料道路化して、ETCで料金徴収すればいいんじゃね!?」などと話をしていたが、これ、案外本当に検討されていたりするのかも知れない。もっとも、学生生活自体はさほど激変したようには思えず、この季節は相変わらずの新歓活動が繰り広げられている。新入生に片っ端から声を掛け、片っ端からビラを渡し、片っ端から説明する、なかなか新入生には気の毒な面もある慣習である。
これにあわせてカリキュラムの改変や、各種学科の名称変更、様々な登録事項の様式変更などが行われており、新入生と上の学年ではうまく話がかみ合わない状況も生じている。しかしながら同学年内ではそう変化は見られない。私自身も学年が上がって、授業がより専門化したこと以外にさして変化はない。強いて言うなら、授業でやる実験の配布プリントに「各実験ごとの作業における注意」のような、微に入り細に入った注意書きが添付されるようになったことが挙げられるだろうか。TA曰く、「今年から独法化で厳しくなったらしいよ」とのこと。これまで行われてきた、悪く言えば通り一遍の「安全教育」では不十分ということなのだろう。
私も仙台に来て3年目になる。海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」(渋っ!!)を地でいっている気分だ。この2年、いろいろなことをやって来たような、そうでないような気分。日々忙しくしていると、時折長いスパンでものを見られなくなってしまうのが自分でもわかる。学生のうちだからこそできること、学生のうちだからこそやるべきこと、などなどを見極めながら、また今年度も単位を落とさないように頑張りたい(笑)
▽イラクの事件に寄せて
先週の日曜日、人質の解放宣言が大きく報道された。私は「人質3人『解放する』」「武装集団『24時間以内』」とでかでかと書かれた号外をもらった。バス停でそれを読んでいたら同じくバスを待っていたおばちゃんに「解放されるんですか? 良かったですね〜」と話し掛けられた。「アルジャジーラでしたか、あのテレビ局にそういう宣言が出た、ってことらしいですよ〜」とひとしきり話をするに至った。おばちゃんの乗るバスが先に着いて、話は終わりになってしまったが。
それから膠着状態になったり政府が批判されたり小泉首相が自衛隊撤退拒否宣言を出したりした挙げ句に突如解放に至ったわけだ。このことは喜ぶべきことで、まずはひと安心である。一方で家族への嫌がらせなども相次いで報じられ、事態がいかに国民に影響を与えたかを物語った。
様々な立場の人がいて、それぞれに賛同される面、批判される面があると思うが、私はやはり3人の行動にも問題があったのではないかと思う。非政府組織などが復興支援にたずさわることには異論はなく、やれる範囲で積極的な活動を行うべきだ。しかしこの「やれる範囲」が問題であり、それを逸脱して「個人」を主張し過ぎるのは問題が大きいと思う。政府が自衛隊を派遣したからこうなったんだ、という議論は根本から違うのではあるまいか。反米・反日感情を危惧した上で外務省は退避を呼び掛けていたではないか。恐らくは政治的目的でこのような事件が発生したのだろうが、その目的は犯人側の主張なのであり、その主張に同調する論調には疑問を感じる。
行きたい、という強い希望で行った3人。その覚悟には敬意を表する。私などにはとても真似できないと思う。しかし政府に猜疑的になるあまり、自分が日本のパスポートを持っていることを忘れていたのではあるまいか? 万が一の事態が生じた場合に「個人の美談」だけでは済まされない状況があることが見えていただろうか? 決して「たった一人」でいるわけではないことに気付いていただろうか? 何もかもを責任転嫁して、自分の都合のいいようにとらえてはいなかったか?
イスラム教の教えというのは私にはよくわからない部分も多いが、神の名の下においては紳士的なもののように思える。事実、今回の武装集団もそういった色合いが見られた。つまりは「話のわかる」集団だったのが幸運だったと言えよう。事情や状況がどうあれ、日本国のパスポートを保持した人間がこういった危険にさらされた場合、国家は総力を挙げて対応せねばならないわけだ。まずもってそのことを自覚し、屈折した「ヒーロー気取り」はご遠慮願いたい、と切に思う。国家予算は支出され、為替相場は下がり、株式市場も全面安になった始末である。経済的影響も莫大なものである。繰り返すが、その勇気は称えられるものに違いない。しかし、責任を放棄した、自由を吐き違えた行動は決して正しいものではない。
…言わずもがな、争いは尽きない。まずは当事者がよく状況を理解し、希望をつなぐこと。部外者が横槍を入れすぎるべきではない。…そう思う。
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