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■2004年06月11日(金)
どうも最近更新をサボりまくりで申し訳ありません。公私…の区別があるのかどうかはともかく、不必要に忙しい今日この頃です。ま、「不定期更新」と銘打ってありますので、気長にお待ち下さい。

▽携帯電話
 鉄道やバスの乗務員が乗務中に携帯電話のメールを使用して問題となるケースがあとをたたない。仙台市内を走るバスは留置する場所がないせいか、よく公道上に堂々と停車しているが、その車内で乗務員が一心不乱にメールを打っている姿もあまり感心したものではない。無論、営業運転中でないのであれば文句をつける筋合いのものではないが。
 インターネットのニュースで「地下鉄運転士が携帯メール」なる見出しを見て、どこのアホ交通局かと思ったら仙台市営地下鉄の話であった。ATOのおかげでさしてすることもない地下鉄の運転士がついついメールに走った…などと思われたくはないものである。地下鉄とは言えど、携帯電話各社の努力のおかげで駅構内では「電波がある」状態になる。それを狙ってメールを送信していたらしい。乗客からの通報でそれが発覚したというのだからお粗末な話である。「心臓ペースメーカー等に影響を与える恐れが云々」という車内放送もあってなきがごとしだ。交通局では乗務員が携帯電話を車内に持ち込むことを禁止する措置をとるらしいが、高校生や中学生ではあるまいし、禁止されなければ持ち込んで使う、という感覚自体が狂っているとしか言いようがない。仕事に対する真摯な姿勢はないのだろうか。
 以前少しアルバイトをしていた引越し業者で、強面のドライバーさんに言われた言葉を思い出す。「遊びに来てるんじゃないだろう、金稼ぎに来てるんだ。トラックに乗ったらそのことを忘れるな。メールがどれだけ大事か知らないが、仕事中は仕事のことだけ考えろ」。言われたときは頭ごなしに怒鳴りつけられたせいもあってむっとしたものだが、考えてみれば至極まっとうな指摘である。仕事中は、いかに仕事を効率的に、安全にこなすかを考えていればいいのである。もちろんそれ以外のことを考えることもあろうが、それはあくまで「考える」だけにとどめるのが正しい姿であろう。他の行動を行うという意味で、メール送信は職場放棄にも等しい行為である。
 社会の中で、相応の役割を演じるということがだんだんできなくなっているのだろうか。みんながみんな、わがままな子供になってしまったら誰がそれをただすのだろうか。公と私の境目が曖昧になって、社会がうまく動いていかなくなりそうで怖い。

▽世界の中心で、
 かなり話題になっているあの映画の話である。無理やり「イラクの中心で、」の話にもっていくつもりはない。浮世離れした感もある私であるが、一応世の中の流行ぐらいは知らないわけではないのだ。ただ、私は多少(…かなり?)ひねくれたところがあって、ブームに乗っかるのがとにかく嫌いなのである。話題になればなるほど、食わず嫌いになってしまう。なにがソナタじゃい、なにがヨン様じゃい、だいたい韓国なんて、いまさら注目せんだっちゃ福岡からすぐたい、という感覚の持ち主なのだ。
 仙台の映画館には「メンズデー」というのがあり、木曜日は男性が1回1000円で入館できる。そこで木曜日を狙いすまして映画館に足を運んだ。主な舞台は高松、という設定である。高松の高校生がこんなきれいな標準語で話すかいっ!とか、さりげなく路面電車が出てきたけどどう見ても伊予鉄道やろっ!とか多少の突っ込みもなくはない。しかし……泣けた。こぼれ落ちそうになる涙をかろうじてこらえる、そんなシーンがいくつもあった。CMで繰り返し流れている「助けて下さい!」というあの叫ぶシーン、あまりに何度も目にしているので「あ、コレか」と思うだろうな…と予想していたのだが、大はずれ。喉の奥からほとばしり出るような叫び声に、言葉を失ってしまった。極限状態で、どうすることもできない感情と現実のギャップ…人は、もろくて弱いと同時に強くてかしこい生き物なのだ。
 後日、講義の参考書を買いに行ったついでに原作を買い求めた。さらに友人からコミック版を借りた。今週末あたり、また泣いて過ごそうかと思う。

▽佐世保の事件に寄せて
 なんとも言いようがない事件が起きてしまった。被害者女児の父親の手記を目にして、涙が止まらなくなった。想いをどこにぶつけていいものかわかりかねるだけに、とてつもなくいたたまれない事件だ。私の世代は数年前に話題になった、いわゆる「キレる17歳」の世代である。あの当時も、教育環境だの地域社会の環境だのということが盛んに叫ばれ、ひいてはゆとり教育だの総合学習だのという話にまで論が展開したものである。しかしまたこうして、起こりうる確率がゼロではないと言え、なかなか想像を絶するような事件が起こってしまったのである。
 私は以前、とある経緯で紹介されていた「小学生が作ったホームページ」なるものを閲覧したことがある。率直な感想として、危険だと思った。歯止めが全くきいていないのである。暴力的な内容だとか、必要以上に装飾された内容だとか、はたまた何から引用したのかはわからないがおよそ小学校では教えられないような内容が羅列されているのである。そしてまた、そういった内容を愉快犯的に眺め、煽り、勝手な妄想にふける年長者たち。そしてさらに、そういった年長者たちの「煽り」を「好意」と勘違いしてさらに自分の世界にのめりこむサイト運営者。はっきり言って、そこにルールやモラルなどかけらも存在しない。
 ネットを使った教育というのは、そういった世界への入口を提示するという意味で諸刃の剣である。確かにインターネットの便利さは言うまでもないことである。しかしそういった、あまりに便利な方法を早くから提示すると、とかくそれに依存するようになるのではあるまいか。ただでさえ、「研究発表」をするに際して図書館を利用するという感覚が薄れてきているというのに、そういった「無法地帯」への手引きをしていることにもなる、と受け止められても仕方がない。好奇心なり探究心は、危険をかえりみない挑戦と紙一重である。そしてネットの世界には妄想を膨らませるだけの変態が大量に存在している。背伸びをしたい年頃の子供がそういったものを「大人の世界」と認識したら…もう、この国には将来はない。
 現実に起こってしまった事件から目をそむけることはできない。面白半分ではなく、真摯にこの事件を取り上げ、論じ、いくばくかの改善策を見出すことが、少なくとも我々年長者に課せられた課題ではないかと思う。架空の世界が作り上げる現実との大きすぎるギャップ…果たして、それをうまくバランスさせる方法があるのだろうか。前向きに、ひたすらに考えてみたい。
 被害者のご遺族にお悔やみ申し上げるとともに、被害者のご冥福をお祈りいたします。

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