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上野から太平洋沿岸を経て仙台に至るルートです。取手までは電車特定区間で、上野始発の快速と、北千住から営団千代田線に入る各駅停車が運転されています。上野から取手以遠に至る列車は「中電(中距離電車)」と呼ばれ、現在でも415系の堂々たる編成を見ることができます。近距離の直流電車は取手以北には入れません。これは、地磁気の研究所がある関係で中電区間でも直流電化ができず、電車特定区間を出ると交流で電化されていることによるものです。
もともとは上野から東北方面に至る幹線ルートの一つとして整備されており、太平洋戦争前後で東北本線が電化・複線化されるまでは東北方面へ向かう優等列車は主に常磐線経由で運転されていました。そのためいわきまでの区間は複線化されていますが、以北については東北本線の改良に力を注いだ結果、単線のまま残っています。「時刻表」を見ると常磐線は上野〜仙台間が1つのページで掲載されています。これを見ると一目瞭然、仙台近郊の区間列車を除くと、首都圏から遠ざかるにつれ「先細り」の運転形態になっていることがわかります。
なお、首都圏寄りで運転される緩行線は綾瀬から東京メトロ千代田線に入り、代々木上原へ直通します。
上野から日暮里までは東北本線と並走します。北千住で東武伊勢崎線・東京メトロ千代田線、金町で京成金町線に接続し、次の松戸駅までの間に都県境を越えます。松戸で新京成電鉄、馬橋で総武流山電鉄、新松戸で 武蔵野線 、柏で東武野田線、我孫子で成田線に接続します。ここまで千葉県です。茨城県に入って取手で関東鉄道常総線、佐貫で関東鉄道竜ヶ崎線、石岡で鹿島鉄道、水戸で水戸線・鹿島臨海鉄道、大甕で日立電鉄に接続します。茨城・福島県境は有名な「勿来の関」。浜通りをたどり、いわきで 磐越東線 に接続します。新地〜坂元間で福島・宮城県境を越え、岩沼から東北本線に入ります。
2004年3月13日、茨城県多賀郡十王町大字友部にあった川尻駅が町名の「十王」に改称されました。
<乗車記>
2003年3月も終わりのある日、常磐線始発220M電車は終電を逃したらしい若者を飲み込み、澱んだ空気を漂わせて仙台駅を発車した。正午に新橋集合。それが、今日の目的である。新幹線で行くテもあったが、常磐線を18きっぷでたどり、途中から「ひたち」に乗る方が安いと踏んだのである。220Mは、東北本線区間の岩沼までに結構客が降りてしまい、常磐線に入った。単線を快調に飛ばし、6時50分、鹿島着。車内は通学途上らしい高校生たちで賑やかであった。交換待ちで停車した車内は福島・浜通り訛りの大合唱であった。定刻の6時52分を過ぎても発車しない。女性車掌が「対向列車が遅れておりますので」とアナウンス。多少は遅れもあるだろう、とばかりに悠長に構えていた私。
ほどなく列車無線が入った。女性車掌が仙台訛りで受け答えをしているのが聞こえる。この701系はワンマン仕様車なので運転台が併結時以外は開放されているのである。対向列車であるいわき発仙台行き231Mがこの先の踏切で事故ったようである。車内アナウンスは「対向列車踏切事故のためしばらく止まります」に変わった。下りホームにも制服姿の高校生がたくさんいる。やがて動揺が向こうにも伝わったようだ。7時半になり、8時になったが電車は動かない。足を確保した高校生などが下車して車内が少しずつ静かになっていった。私の傍らでは男子高校生3人組が「電車事故ったつったらいいんでね?どーせ課外だべぇ」「んだねぇ」などと喋っていた。諦めムードが漂い、サラリーマンがホームで煙草を吸っていた。
列車無線で通告が入った。231Mは事故発生箇所から原ノ町まで退行運転。そしてこちら220Mは当該箇所で一旦停車の後徐行で通過し、原ノ町の空いたホームに入るよう指示が出た。220Mの運転士がしきりに「現場には何らかの標識で停止指示があるんですか?」と指令に質問していたのだが…あるワケないやん、と思うのは私だけだろうか。92分遅れて8時24分、電車は動き出した。単線区間を走り、汽笛を派手に鳴らしてトンネルを抜け、車窓に畑が見えてきたところで制動。VVVF音とともに減速していく。一旦停車。汽笛一声、再び発車である。見れば、こちらの進行方向に対して右側手前の畑地に大破した小型乗用車と踏切装置が転落しているのが見えた。踏切装置が作動しないがゆえの一旦停車だったのである。原ノ町到着、94分遅れ。待ちくたびれた顔の乗客が乗り込んできて発車。下りホームには455系6連が満員で停車していた。事故車らしい車両はホームの反対側にいた。こちらも455系であった。
さて、ここからが大変である。時刻表を見ると、「スーパーひたち18号」が仙台を定刻に発車したとすればすぐ後ろに迫っていてもおかしくはないダイヤである。しかし単線のこと、相応に遅れているはず、220Mもすぐ発車するようだし、いわきまでは抜かれまいと判断する。対向の特急が変なところで停車していたりして、乗客の苛立った顔が覗いていた。結構回復したようでいわきに10時前に到着。いわきでは乗り換え案内で「特急スーパーひたち」を案内していたが、駅員に聞いた感じ、それが仙台発の18号かどうかはともかく、いわき10時17分始発の「スーパーひたち22号」のスジまで特急は走らないようであった。そうと決まれば各駅停車である。定刻9時45分発の水戸行き632Mが接続待ちをしていた。415系1500番台に飛び乗ると、12分遅れで発車。
水戸でも勝田でも、東京山手線内行きの乗車券は同額である。私は手前の勝田で下車し、ダッシュで「みどりの窓口」に行った。定刻通りなら乗り継ぎ時間が9分ある。各駅停車は10分ほど遅れていたが、後続特急が5分以上遅れていたので余裕で乗車券も特急券も購入できた。やがて651系が進入してきた。「22号」は通常なら勝田で付属編成を併結することになっているが、すぐ発車したということは18号だったのだろうか。私自身なかなか焦っていてそこまで確認できなかった。運良く自由席に座ることができた。列車に乗れたのはいいが、定刻でも上野着12時34分である。正午の新橋待ち合わせには到底間に合わない。やれやれである。
[03.07.01更新]
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