ブレーク16・陪審制導入は慎重に!!(付記:死刑廃止に賛成) その6
(なんでも掲示板 07年4月〜 投稿済)
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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070512i1w6.htm?from=main1
どこまで証明されたら、被告を有罪と判断していいのか——。
2年後に一般市民が刑事裁判の審理に参加する裁判員制度。
裁判員が直面する最大の難問について、最高裁は検察官、弁護士らの意見も踏まえ、
裁判官が事前にポイントを解説する説明案をまとめた。
「常識に従って判断し、間違いないと考えられる場合に有罪とする」。
一見、当たり前に見える説明案の背景には、プロの裁判官でも悩む
判断の難しさがある。
刑事裁判では、被告は、有罪確定まで「罪を犯していない者」と推定される
大原則がある。有罪判決を出せるのは、検察官が、起訴した犯罪事実について
「合理的な疑い」が生じる余地のないほど、きちんと証明できた場合だけだ。
「合理的な疑い」が生じないために、必要なレベルの証明というのは、
どの程度を指すのか、市民が理解するのは難しい。
裁判員制度を見据えた模擬裁判が全国の地裁で行われているが、
検察官と弁護士がそれぞれの立場から異なる説明をして、
裁判員役の市民が混乱するケースもある。
昨年6月の東京地裁。被告が無罪を主張する強盗傷害事件の模擬裁判で、
「少しでも疑問があるなら無罪」と強調する弁護人に対し、
検察官は「鼻が長く、体が大きい、牙がある。こういった特徴をいくつも
集めれば、それが象だと判断できるでしょう。有罪の立証も同じ」などと説明。
裁判員は有罪としたが、「双方の言うことが違って迷った」との声が上がった。
検察官が必要な証明を行ったかどうかについて、プロと市民とで真っ二つに
分かれた例もある。昨年11月の千葉地裁では、裁判官3人全員が「有罪」、
裁判員6人全員が「無罪」と判断した。
あるベテラン裁判官は「『必要な証明の程度』が正しく理解されないと、
犯罪の立証にほとんど影響しないようなささいな疑問で無罪にする恐れがある」と話す。
このため最高裁は、審理の前に、検察官、弁護士も同席の場で刑事裁判の原則を
説明することにした。
説明案では、「過去に、ある事実があったか、なかったかは直接確認できませんが、
普段の生活でも関係者の話などを基に判断している場合があるはずです」と、
日常生活に引き付けて解説。「裁判では不確かなことで人を処罰できません。
証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が罪を犯したことは
間違いないと考えられる場合に有罪とします。逆に、有罪にすることに
疑問があれば、無罪にしなければなりません」としている。
・・・・・・・・・・
要は、有罪と無罪の線引きは
「法的能力があり」
「法的知識もある」
裁判官でも相当悩むのである。
それでも、裁判官は、何回も裁判を経ることによる
「オンジョブトレーニング」により、徐々に有罪にするかどうかの
線引きの「勘どころ」を押さえられるようになる。
(オンジョブトレーニングの最中の新米裁判官に遭遇した
被告人・検察は「悲惨」だが・・・)
能力×知識×経験の掛け算がそろって、ようやく一人前になる。
翻って、裁判員は
「能力ない」
「知識ない」
加えて
「一生に一回きりで、経験はほぼゼロ」、
何よりも
「強制参加で、やる気ゼロ」
の惨状である。
どんな珍判決が出るのか、今から楽しみ、もといコワイ。 | |
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| >「常識に従って判断し、間違いないと考えられる場合に有罪とする」。
>一見、当たり前に見える説明案の背景には、プロの裁判官でも悩む
>判断の難しさがある。
そもそも常識は1つなのか?
20歳のコギャル裁判員の常識は、「ケータイ持ってないなんて、化石じゃん」と
のたまい、75歳のじーちゃん裁判員は「ツーカーSの使い方が判らなくて・・」と
のたまう。
考古学者は、「歴史的遺産を後世に残せ!」と叫び、かたやどこかの
不良不動産会社社員、スルッと某は「考古学予算をカットしろ」と叫ぶ。
誘拐監禁された被害者がケータイの絵文字でSOSを発信した、と
いう事件がかつてあったが、
20代コギャル裁判員は「被害者に身の危険が切迫していた」と判断するが、
小生のようなオジサンは、「絵文字を使うような余裕があるんだから、
誘拐なんて茶番」として、そもそも被害者と加害者はグル、と判断する。
常識は1つである、なんてのは、世の中の多様性を知らない法曹界の
お坊ちゃまのあきれた空論であり、偏った常識に侵された裁判員が、
ヘンテコ判決を出す、というリスクの方がよりコワイ。 | |
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裁判員制度の問題
投稿者:まる 投稿日:2007年 5月12日(土)17時59分5秒 | |
| 松本サリン事件のとき、河野義行さんが警察とマスコミにあやうく犯人にされかかったが、
あれが素人の裁判員なら有罪と判断するだろうし、プロの裁判官なら無罪にしただろう。
ああいう例もあることを念頭に置かないといけない。
岩波新書の『特捜検察』っていうのを読んだことがあるが、ロッキード事件でもまだ
日時等に齟齬があるまま、有罪になっているケースがあるとか。 | |
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| 裁判官というには、「無私」が求められる。
裁判官Aと裁判官Bで、異なる判決となることは、許されない。
裁判官にとって、人格や個性は、できるだけ押し殺さねばならない。
裁判官の欠点は、
「他の一般ピープルも、個性や人格、特技能力は同値」という
架空の神話を信じていることである。
稀代の悪法、裁判員制度の模擬裁判が行われ、理髪店主も選ばれた。
理髪店主が「店を休めない」と辞退を申し出ると、
裁判長はナント「バイトを雇えばいいじゃないですか」と言い放った。
で、理髪店主は
「たとえ理髪ができるバイトを雇ったとしても、
常連のお客様は自分(店主)との会話等を楽しみで来店するのであり、
「髪が切れればバイトでいい」という問題じゃない。」と訴え、
辞退がなんとか認められた。
裁判長の感想
「自営店主を呼ぶのは難しい・・・」
裁判官の世間知らずも、ここに極まった、の感がある。
彼らにとっては、「自営店主A」と「アルバイトB」は、しょせん同値で、
代替しうる存在、としかみなしていない、ということである。
こういう裁判官に限って、行きつけの理髪店が
「裁判員のため、今日はバイトが散髪します」となったら
「なんでバイトなんだよ!!」と怒り出す気がする。
http://inokenblog.cocolog-nifty.com/inokenblog/2007/10/post_ecee.html
>もう一つのびっくりは、
>裁判長が、理髪店の仕事は、アルバイトで代替しうると思いこんでいた、という点。
>これは、あまりに認識が甘いのじゃないかしら。
>よほど、世間のことをしらないか、
>あるいは市民の仕事について、所詮アルバイトなどで一時的に代替しうるものと、
>見下しているのではないかと感じてしまった。 | |
| 日経に載っていたが、模擬裁判で「永年の刑事弁護の常識が崩れた」として
法曹関係者に衝撃が走っているらしい。
刑事事件の量刑の決定の際に、
「計画的犯行の場合は量刑を重く、衝動的犯行の場合は量刑を軽く」というのは
法学部で多少刑法を齧ったことがある人間にとっては
「空気みたいに当たり前の常識」である。
しかし、ある裁判員の判断は違っていた。
「衝動的犯行でカッとなって犯行に及んだ、ということは
『また出所すると衝動的犯罪を起こしかねない』ということである。
そのような危険人物の量刑は、むしろ重くすべきだ」
・・・そもそも量刑に判断まで裁判員にかかわらせようということ自体が
間違っていないか? | |
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| これ、まあ判例では結構ありますが、特に法律とかいう形で民主的に定められたルールで
しょうか?
そうでないのなら、裁判員により、新たなルールが作られたら、それでいいのでは? | |
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