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ブレーク80-2・杉原千畝について、もろもろ
(なんでも掲示板 05年10月〜 投稿済)

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※当ページを読む前に
当HPの杉原千畝コーナー をお読み下さい。


反町千畝 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月 9日(日)21時42分9秒

小生は今日知ったのだが、火曜日に千畝がドラマになる
http://www.ytv.co.jp/rokusen/index_set.html

しかし、主役がソリマチ・・・
http://d.hatena.ne.jp/mixupup/20051007
にあるようにミスキャスト・・


(無題) 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月 9日(日)21時48分6秒

http://d.hatena.ne.jp/aman3636celsio/20051004
では、先日の根室沖漁船当て逃げ事件におけるイスラエルの素早い対応の背後には
杉原千畝の功績も影響しているのでは、と分析している


漁船当て逃げ事件についてのイスラエルの対応 投稿者:あじあ号 投稿日:10月10日(月)01時44分12秒

イスラエルは、同様の事件が起きたときにどういう対応をしているかを調べないと、
日本に特に友好的なのか、普段からきちんとしているのか、が判らないと思いますよ。
なお、ある報道によると事故船は、半分国が出資する会社のものだったとのこと。
国営企業の事故という面もあるかも知れません。

さて、イスラエルの対日感情はどうなんでしょうか?
千畝氏は、日本ではある程度有名ですが、イスラエルではどうなのかな?
というのは、ナチの虐殺から助けようとした人は各国に色々いたはずなので、
千畝氏のためで、対日感情がいいと言えるのでしょうか。
良ければいいのですが。こういうことは統計では調べにくいですね。
イスラエルの知り合いでもいればいいが、・・・


昨日テレビ見ていて思ったこと 投稿者: ムーンライト紀伊  投稿日:10月12日(水)09時43分22秒

本国の指示を無視して、領事が勝手に発行した査証の有効性ってどんなもんだろうと
疑問に思ってしまった。


杉原千畝 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月12日(水)13時14分2秒

さすがに昨日のドラマでブログでもカキコが増えていますが。

因みにGOOのブログ検索によれば、「杉原千畝」のキーワードのあるブログ数は
この1週間で487件です。

比較のため、恨みは無いのですが「杉」繋がりで「杉村太蔵」を検索すると
この1週間で657件。
まだまだ太蔵にも追いつかない・・


解釈の1つとして・・ 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月12日(水)23時20分55秒

http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1127827138/601-700

>杉原千畝氏は外務省からの命令に背いてユダヤ人にビザを発給したから
>外務省を追い出されたと言われていますが、本当の理由は別にあります。
>杉原千畝氏はリトアニアの領事をやっていましたが主な任務はソ連の動向を調査分析
>することでした。
>1940年当時、独ソ不可侵条約が結ばれており、日本も同様の条約をソ連と結ぶべく
>外務省は動いていました。
>北の憂いなく戦争を遂行するためです。
>しかし、杉原氏は独ソ不可侵条約があるにもかかわらずドイツとソ連が戦争を始めると
>いう情報をつかみ外務省に連絡しました。
>外務省にしてみれば日ソ不可侵条約締結という実績を上げたいところなのでこの情報を
>握りつぶし、条約を締結しました。これにより日本とソ連は闘わないことになりました。
>しかし、1945年8月ソ連が一方的に条約破棄して日本に宣戦布告を行い、
>地上戦が行われ北方領土のはソ連の実行支配となり現在に至ります。
>(現在はロシアですが。)
>つまり北方領土を失ったそもそもの原因は外務省の判断ミスなのですが、杉原氏が
>外務省にいたのではそのことが広く世間に知られてしまう可能性がありました。

>そこでこの大失態を隠蔽するために杉原氏をユダヤ人から金をもらって不正にビザを
>発給した悪人として不名誉をおわせ外務省を首にしました。


以前後輩のD井氏からメール来ていたな。 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月13日(木)08時43分56秒

ここで公開してみよう。
なにせ99年の時のメールだし、探し出すのが大変。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと前の話ですが、レビンというユダヤ系米人の書いた「千畝 in search
of Sugihara」(清水書院)を読みました。ものすごく面白かったです。これま
で杉原千畝に対して抱いていたイメージが、根底からひっくり返りました。

私がこれまで杉原に関して抱いていたイメージというのは、だいたい以下のよう
なものです。

(1)彼はバルト海の小国に「領事代理」として派遣されていた。→大使や、大
国の領事のような地位につけるだけの学歴や閨閥をもたない人であった。

(2)彼が発給したのは、「通過ビザ」であった。→正式のビザを発給できるほ
どの権限、調整力がなかった。

(3)戦後は外務省を追われ、職を転々とした。→やはり有力なつてがなく、資
産もなかった。

・・・こういったような事実を総合していくと、欧州の片田舎、カナウスの小さ
な領事館で、必死の形相で押し寄せるユダヤ人達を見るにみかねて、「なんで俺
がこんな貧乏クジを、、、」「処分されたらどうしよう、、、」とかなんとかぼ
やきながらも、やはり困っている人を放っておけず、一人で夜更かししながらユ
ダヤ人達のパスポートにサインをし続けた、”実直だけどうだつのあがらない、
さえないノンキャリの好人物”というイメージが浮かんできます。多分日本人の
多くが、彼のことをそう思っているのではないでしょうか?少なくとも、ヤマっ
けたっぷりの商売人で、ナチスの出入り業者として安い労働力としてユダヤ人を
使っているうちに、自らの歴史的使命に目覚めていったオスカー・シントラーと
は全く別のタイプだと思っているに違いありません。

とぉころが、とんでもない!!

千畝関係の年譜には全く載っていませんが、彼は徴兵されてすぐ、ロシア語を買
われて予備士官学校へ回され、少尉に任官、その後も陸軍が消滅するまで予備役
にも編入されず、現役士官のまま外務省にも籍を置き続けるのです。これは極め
て異例のことです。
そもそも、彼が学んだハルピン学院自体が、広く軍や外交官に「ロシア通」の人
材を供給し続けた、いわば満州の中野学校のような側面をもっていたようです。

さらに彼はハルピン時代に白系ロシア人と結婚、現地のロシア人社会では結構な
顔だったようです。そうした能力を買われて、彼は陸軍・外務省に加えて満州国
外交部にも籍を置くことになります。このころの直属上司は、後の外相松岡洋右
です。さらにやはり外相になる東郷茂徳とも関係がありました。「つてがない」
どころの騒ぎではありません。(まぁ松岡は病死し、東郷もA級戦犯ですから、
戦後の外務省にポストを確保するには役立たずの「つて」だったかもしれません
けど。)

そういう彼が、ソ連に併合される寸前のカナウスに領事として赴任したのは、ど
う考えても全く偶然ではありません。帝国の前途に大きな影響力をもつソ連の動
きを探るために、最前線に基地を構えたわけです。カナウスで彼は、亡命ポーラ
ンド人組織を手始めに様々な地下組織と連絡をつけ、ソ連の動きを探ります。し
かもカナウス領事館は、ベルリン大使館の指揮下にあり、時のベルリン大使は陸
軍の大島中将です。現役将校でもある彼がカナウスに赴任したのは、この点から
考えても、偶然どころの騒ぎではありません。彼は選ばれて、帝国の切り札とし
てカナウスに行ったのです。

そうした中で、彼は「命のビザ」を発給し続けたのです。そうすると、彼の行動
の全てに違った意味を見いだすことができるような気がしませんか?少なくとも
「うだつのあがらない実直な事務屋が、見るに見かねて・・・」どころの騒ぎで
はなかったことは明白です。

もちろんだからと言って杉原の行動の価値はまったく変わらないどころか、むし
ろもっとその真価を知られてしかるべきです。

風雲急をつげる欧州に渡り、ソ連、ナチス(彼が雇っていたポーランド人の運転
手はゲシュタポに消されます。)、亡命ポーランド人他の地下組織と丁々発止で
渡り合った、一世の快男児、これこそが、杉原千畝の真の姿であったのではない
でしょうか?

しかもこの男は、自分がやってきたことについて、ついに一言も語らず、また関
係者にも一言も語らせることなく、全ての秘密を抱えたままで、墓場へ行きまし
た。幸子夫人がことさら人道的理由だけに焦点をあてて本を書いているのは、妻
にも知らせなかった故かもしれませんが、ただ一人夫の真価を知るいわば「共犯
者」でもあった夫人が、亡き夫の韜晦術に最後の仕上げをした、あっぱれな内助
の功なのかも・・・と勘ぐってみたくなります。


杉原ビザの背後についての疑問 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月16日(日)16時13分57秒

1.ポーランド難民は他の東欧諸国・エストニア・ラトビア・フィンランド等には行かなかったのか?
  それとも他国にも流入していたが、他国領事館は見殺しにしたのか?
2.カウナスには日本領事館以外には存在しなかったのか?
  例えばアメリカ領事館に駆けこむことはできなかったのか?
  (もっともソ連>アメリカで直接行けないので、どのみち日本の通過ビザが必要だったのかもしれないが)
3.併合される先のソ連領内ではユダヤ人は迫害されていたのか?


(無題) 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月16日(日)16時33分29秒

http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei.htm
を見ると、ユダヤに同情的だったオランダ領事が、
「税関もないキュラソー島なら入国できる」と助け舟を出した、と
書かれている。

これで疑問のうち、「カウナスには他国領事がいないのか」という
疑問は解決。

てか、領事ってオランダ本国が占領されても機能停止しないんですね。


ついでに 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月16日(日)16時36分17秒

リトアニアは当初はスイス同様の中立国だったので、ユダヤ難民が流入しやすかった、と
あります。
これで第一の疑問解決。


リトアニアの遷都 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月16日(日)16時50分36秒

あと素朴な疑問として、
「現在のリトアニアの首都はビリニュス。
しかし当時はカウナス。
いつ遷都したのか?」というのがあります。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/sugihara.htm
によれば
8月3日にソ連はリトアニアを併合
>リトアニアの首都ビリニュスと定められ、リトアニアとソ連の国境は消え、
>カウナスにあった各国在外公館は不要となり、日本領事館が閉められるから
>杉原も退去しなければならなかった。
つまり、「資本主義国家の首都カウナス」を捨て、
「社会主義国家リトアニア=ソヴィエトの首都ビリニュス」を制定し、
リトアニア=ソヴィエトがソヴィエト連邦に参加する、ということです。

革命の象徴として、目に見える形で遷都が行われたわけです。


例のドラマで 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月16日(日)17時14分28秒

一番タヌキだったのが松岡洋右
「彼(杉原)のこと、嫌いではありませんよ」とつぶやきながら、
「在欧外交官は、ユダヤ難民に対して原則通りの取扱いをすること」
(=金のないものへの発給禁止)を通達する。

恐らく松岡の心情としては
「3国同盟、いやソ連を加えた4国同盟の樹立のためなら、
 反ユダヤ路線を取らなければならない」という大原則がますある。
しかし杉原については
「凄腕過ぎてソ連に入国拒否される程の外交能力」があったため、
「彼個人の行動(=ビザ発給)により、彼を首にするのはあまりにも惜しい」
ということがあり、ビザ発給当時は「不問に付した」のではないか?

松岡の究極目標は「4国同盟」なのだから、その為の片腕になる人材を
ユダヤビザ程度の問題で問責にはできなかったのであろう。
松岡の予想に反して独ソ開戦した後は、「ソ連が南進しないかどうか」の
情報分析の為に、杉原の重要性はむしろ高くなっていたと思われる。

ビザ発給直後に杉原が処分しなかった点について
「日本は杉原ビザを支持していたのではないか」という反論があるようだが、
「支持したくなかったが、そんなこと言ってられないほど
 日本(外務省)は杉原を必要としていた」というのが真相ではなかったか?

なので、彼がお払い箱になったのは日ソ中立条約破棄後、つまり終戦後のことになる。
戦後の外務省はGHQ支配下にあったし、そんな状況では
「対ソ外交のスペシャリスト」は不要である。
「必要としなくなった外交官」なら、過去の件を問責できる。

・・・とまあこれが小生の仮説であるが、ここまでをドラマに盛りこむのは
難しいだろうなあ。
伊東四郎に「嫌いではありませんよ」と言わせながら正反対のことを訓令させる、
これが精一杯の演出か。

つーか、松岡の登場シーン、せいぜい2分程度。
伊東四郎ほどのビッグネームに対してこの扱いか?


杉原がビザ発行後も外交官として活躍し、戦後解雇された理由 投稿者:あじあ号 投稿日:10月17日(月)01時14分32秒

理由は外務省にも記録がないとのこと。
(役所の公文書保存はいいと言われますが、公式文書できちんと残らない場合、
意外と訳が分からなくなるので、過去の経緯を関係者に聞いて回ることもあります。)
あとは関係者の記憶に頼るだけですが、杉原夫人の言を信じるとkanto氏の仮説くらい
しか浮かびませんね。
なお、戦後外務省は外交活動を一切停止し、中央官庁は、財政難から、定員を大幅に
削減したので、それに巻き込まれて、特段理由無く(職務がないので)解雇されたと
いう可能性もあります。
それを杉原氏は夫人に(又は夫人がマスコミ等に)ビザで非難されたからとウソを
何らかの理由で言ったのかも知れません。邪推だと怒らるかも知れませんが。

ただ、不思議なのは、杉原氏がGHQにユダヤ人を助けたことを訴えれば、解雇を
阻止できたのでは、とも思います。
もちろん、本人の性格からそのようなことをしなかったのかも知れませんが、
そこが不思議です。

>戦後の外務省はGHQ支配下にあったし、そんな状況では
>「対ソ外交のスペシャリスト」は不要である。
>「必要としなくなった外交官」なら、過去の件を問責できる。
>・・・とまあこれが小生の仮説であるが、


れ:併合される先のソ連領内ではユダヤ人は迫害されていたのか? 投稿者:あじあ号 投稿日:10月17日(月)01時19分21秒

革命時の首脳にはユダヤ人も多いのですが、ユダヤ人の中にはシオニストとして
スターリン粛正の対象となった人もいるようです。
ソ連の内部事情は、ユダヤ人には判らなかったのかも知れませんが、
ロシア帝国時代のポグロムという弾圧もあり、ユダヤ人はソ連には行きたがらなかった
のかも知れません。
知り合いにユダヤ人が1人でも居ればいいのですがねえ・・


ところで、ヤフーディレクトリで 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:10月21日(金)20時30分33秒

昭和時代の人物としてディレクトリがあるのは以下の人々

・賀川豊彦(3)
・杉原千畝(3)
・石原莞爾(2)
・田中角栄(2)
・徳富蘇峰(2)
・犬養毅(1)
・尾崎行雄(1)
・永原マツヨ(1)
・安岡正篤(1)
・山本五十六(1)

こう見ると「あれ、この人がいない・・」というのが結構ある。
例:東条英機、吉田茂、近衛文麿、岸信介、松岡洋右・・

つーか「昭和天皇」忘れてないか?
あるいは「マッカーサー」も。


第一次大戦 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:11月 9日(水)12時54分50秒

千畝ドラマで
「ドイツは第一次世界大戦の時と同じ過ちをしようとしている」
というセリフがあった。

これについて2ちゃんで
「第二次世界大戦が開戦される前では、当然「第一次」なんて名前が
 付いている訳がない」というツッコミがあった。

となると、1930〜40年代では、いわゆる「第一次世界大戦」は
何と呼ばれていた?
単に「世界大戦」か?


歐洲大戰 投稿者:時を娶ろ 投稿日:11月11日(金)08時43分43秒

> 1930〜40年代では、いわゆる「第一次世界大戦」は
> 何と呼ばれていた?
> 単に「世界大戦」か?

恐らく、欧州大戦ではあるまいか、と見当をつけて検索してみたら結構あった。

第一次欧州大戦という用法もあった。
これは1930年代末期の、ドイツ軍ポーランド攻撃以降を第二次欧州大戦と
呼んだこととの対比であろう。

> 「ドイツは第一次世界大戦の時と同じ過ちをしようとしている」
というセリフは、いつの時点の会話という設定なのかは、
ドラマを見ていないのでよくは分からないが。


ご存知、「はてな」
http://www.hatena.ne.jp/1100130215

サイト「WarBirds」内の質問コーナー
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000616.html

他にも色々ある。

久留米大学国際政治学科の平成13年度講義シラバス
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/law/syllabus/24840.html
西洋政治史Aの「講義の目的と概要」欄に、
「第一次世界大戦は同世代の日本で欧州大戦と呼ばれたように」との記述がある。

「岐阜県史 史料編 近代2」
http://www.library.pref.gifu.jp/library/mokuji/siryo_kindai_2.htm
第1章、第1節の範疇の史料38(大正3年9月12日)のタイトルは、
「島田知事より欧州大戦参戦につき訓令」となっている。

文京区立汐見小学校 沿革
http://www.tcn-catv.ne.jp/~shiomi-ps/Shiomi/ENKAKU/enkaku.htm
年譜の前の説明文の冒頭が「欧州大戦当時」で始まっている。
年譜を作成する際に参照した文献での用語をそのまま使用したのだろうが、
「今書くなら第一次世界大戦としませんか」との意見はなかったのか。

「菊池寛アーカイブ」内、
菊池寛が文藝春秋に連載した「話の屑籠」(昭和14年10月)
http://www.honya.co.jp/contents/archive/kkikuchi/hanashi/hanashi-14-10.html
「欧州第一次大戦が勃発したのは、僕たちの青年時代であるだけに」と菊池寛が
書いているということは、既に第二次の欧州大戦が始まっていたということになるし、
菊池寛の青年時代に欧州第一次大戦があったということは、それは取りも直さず、
今でいう第一次世界大戦を指すのであろう。

「対訳 ルーズベルト大統領への手紙 (昭和20年3月)」
http://www.chukai.ne.jp/~masago/index.html
原文は「第一次欧州大戦」とある箇所が、訳文では「the World War」とある。


因みに 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:11月11日(金)20時40分11秒

> 「ドイツは第一次世界大戦の時と同じ過ちをしようとしている」
>というセリフは、いつの時点の会話という設定なのかは、
>ドラマを見ていないのでよくは分からないが。

千畝婦人がヘルシンキで舞踏会でダンスを踊っていて、
千畝と同僚外交官のもとにドイツのポーランド侵攻が伝えられた時の
シーンです。


例のドラマのおかげで 投稿者: スルッとKANTO  投稿日:11月11日(金)20時56分51秒

千畝をぐぐると124,000件ヒットするようになりました。
殆どブログのオンパレード・・・

その中で、我がHPは、「何故か」8位をそのままキープ。
よみうりテレビHPより上だもんな。
さすがにページランク3は強い。

ところで、
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2005/10/tv_7b32.html
はなかなか鋭いところを突いている。

>前宣伝のわりには、安直なドラマになってしまった。
>一番の原因は、ユダヤ人迫害がいかに苛烈か、国を追われるという
>事実が厳しいことか、このドラマでは日本人にはわからない。
>それに対して、ドイツへの同盟に傾きつつあるプレッシャーから来る
>杉浦千畝の苦悩が言葉の表現だけで終わって、映像はビザ発給の
>シーンだけが印象に残っただけだった。

>これは郵政法案の採決と同じ構図になった。反対派の人にとっては、
>賛成という恭順を示して除名を逃れるか、反対を貫いて信念を守るか。
>野田聖子の立場は、恭順で自民党への復党を目指した。
>静岡7区で片山さつきに破れた城内実は自民党を離党した。
>郵政法案を賛成が3分の2まで増えた中で、反対者が反対を貫くことの難しさ。

>マスコミも、反対者の反対の理由を報道しなくなった。
>これは、特定郵便局の族議員としての反対だけでなく、法案の欠陥を知る立場から、
>じっくりレポートする必要がある。
>杉原千畝をヨイショするなら、時流に逆らう行動を同じ次元から目を向けよ。


あのドラマで 投稿者:スルッとKANTO@管理人 投稿日:11月12日(土)00時17分54秒

殆ど見せ場の無かった伊東四朗に、次のようなシーンを演じさせれば、
視聴者には判りやすかった。

(大久保満夫;伊武雅刀)
もっ、申し訳ございません!!
閣下の打電にも関わらず、杉原がユダヤ人にヴィザを大量に
発給してしまいました!!

(松岡洋右:伊東四朗)
・・・情に溺れる男よのう。。

(大久保)
至急、杉原を懲戒処分にいたします!!

(松岡)
いや・・・待て。
今は、ソ連を枢軸陣営に組み込めるかどうかの正念場だ。
南満州鉄道を値切った杉原君の能力が、帝国には必要なんだよ。

(大久保)
しかし・・・そうするとシベリア鉄道から日本に向かっている
難民達の処置は、いかがいたします?

(松岡)
仕方あるまい、通過させざるを得ないだろう・・

(大久保)
はっ!


質問 投稿者:あじあ号 投稿日:11月12日(土)23時42分57秒

>南満州鉄道を値切った杉原君の能力が、帝国には必要なんだよ。
なんですかこれ?ひょっとして、ソ連から東清鉄道(後満鉄が経営)を買収したときに値切ったのですか?

http://www.houko.com/00/01/S35/145.HTM#012


杉原千畝 投稿者:イスラエルのキリスト者 投稿日:11月16日(水)18時05分58秒

確かに、千畝の行動とその周辺には多くの謎がある。 実際の所、当時の外務省は彼の事をどう評価していたのか非常に興味深い。 先ず、戦後外務省から解雇を言い渡された職員の数は非常に多いのではないかと推測する。 私の故大叔父は陸軍中野学校卒業後、戦中旧ロシア大使館に勤務していた。 肩書きは恐らく下級の外交官として偽名で勤務していたのだと思うが、敗戦間際にロシアから一足先に帰国を命じられたという。 確かに、敗戦国のスパイが戦後再編された外務省に復帰可能であったかというと無理だと思わざるを得ない。 しかし、千畝が日本のスパイ活動を公に庇護する立場にあったとすれば、彼の解雇も又然りであるのかも知れない。 当時の下級外交官や在外軍属の民間人の中には多くのスパイが存在した可能性は高い。 そうすると千畝も多かれ少なかれスパイ活動にかかわった経緯があるはずである。 敗戦国のスパイ達は戦後、身を案じて慎ましやかに生活していた。 戦中の経歴を証明する物は何も残されていない彼等にはそうする以外に他の道は無かったのだろうと思う。 しかし、千畝はそうした第一線で動いていたスパイ達とは違い、正式に外交官試験に合格した正規の外交官であったのである。 しかし、任務遂行の為に偽名で戦中海外の大使館で働いていたスパイ達は皆暗黙の内に解雇されたのである。 大叔父は旧ロシア大使館における任務に関して詳細を話す事無くこの世を去ってしまった。 実は、それが彼に与えられた永遠の任務であり使命であったのだろう。


 

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