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福岡VS熊本 雄都対決

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都道府県よもやま話 西日本編に戻る


都道府県よもやま話「熊本県」の記載について、ご指摘を受けましたので転載します。
   

1.都道府県よもやま話の事で 投稿者:Tossy 投稿日: 5月 2日(火)02時29分49秒

 

 

 

KANTO様はじめまして

ふとしたことで都道府県よもやま話西日本編拝見し
大変面白く読ませていただきました。
実は私は日本各地の戦災や九州に関しては仕事の関係で
調べる機会がありまして、その点から熊本県編に関する
記述について、関連するデータを提供するとともに
一部の記述の表現でお願いしたいことがあります。

戦前の九州で一番人口の多い都市
最初は長崎で賛同します。その後西南の役で
薩摩に対する押さえとして国策上、熊本に軍事上の拠点と
国の出先機関が置かれますので熊本が最大都市となります。
その後、正確には1932年まで熊本市が最大で1933には福岡市に
首位を譲ります。従って戦前(昭和16年以前)で人口第一位の
九州の都市は熊本という表現は正確ではありません。

もちろん戦前の行政の中心は熊本です。
福岡と熊本の人口逆転理由としては、福岡の戦略的
都市基盤整備にあると思っています。熊本の行政都市、
軍都ではなく、商都/学都としての戦略的な都市基盤
を整備し続けたこと及び北九州工業地帯の隆盛による
県勢増加によると思われます。
では都市基盤の例及びそれに関連するイベントを
具体的に両都市で比較して見ます。

               福岡          熊本
鉄道 1889年:博多駅開業       1891年:熊本駅開業
大学 1903年:京都帝国大学
        福岡医科大誘致
             (後の九州帝国大学)
市電 1910年:福博電気軌道開業    1924年:熊本市電開業

博覧会1927年:東亜勧業博覧会

航空路1929年:水上機による
               東京−大阪−福岡
               (定期旅客航空便開設)
   1936年:雁ノ巣飛行場(陸上)
       (日本初の国際空港)

但し、ラジオ放送はさすがに郵政/通信の省庁が
ある熊本が九州初で1928年、福岡が1930年で九州2番目と
なっていますが、
鉄道、市電は常に先発し、航空路線開設、国立大学誘致、
経済効果のある博覧会開催といった面で完全に都市基盤
増強を行っています。
このように見ると戦前の1933年の時点で熊本と福岡で
人口の逆転の原因は都市基盤及び都市機能集積に原因
があるものと考えます。
官公庁の福岡移転については、おそらく都市の規模の発展
速度が先に示しましたような理由ですでに戦前で差がつき
始めていて、それが戦後の官公庁の福岡集積につながった
ものと思います。

次に熊本は軍都で大空襲を受けたが福岡はあまり空襲が
なくて官公庁の疎開先になり、戦後そのまま定着したので
はないか(この辺は断定しておられませんのでよいのですが)
との記述に関してもお願いがあります。

米軍が1945年に戦略爆撃目標とした都市リストがあり、

HP名:「日本空襲と原爆」の1ページ目の
「市街地空襲の目標となった180都市」を

ご覧ください。目標都市の順位があります。

米軍はまず継戦能力の要たる京浜、中部、阪神の主要工業地帯
及び旧6大都市及びその周辺の空襲を行います。
その次の段階で人的資源を損耗させるべく全国の主要都市を壊滅させる
べく爆撃目標リストを作成していたことが分かります。
(無断転載禁止のため、上のHP名で検索してください)
米軍が1945年時点で認識していた九州の主要都市の
全国順位と人口は次のようになっています。

No.8  福岡市 30万人
No.11 八幡市 26万人
No.12  長崎市 25万人
No.16  熊本市 19万人
No.26 小倉市 17万人

空襲の実態は次のようになります。
福岡大空襲の記録は
1945年6月19日(B-29 221機)に空襲
死者902名、行方不明244名、負傷者1078名
市街地焦土化、上水道60%漏水(福岡の場合、
地下水のある熊本と比べて意味するところは
重大です)、電気・ガスなど公共施設被害甚大
となっています。
ちなみに戦後の博多港への外地からの引揚げ者は
埠頭から一面焼け野原の先に博多駅のビルだけが
がさえぎるものなく見えて非常に驚いたとの話を
聞いたことがあります。

熊本空襲(注:大空襲を含む数次にわたる)
死者469名、負傷者552名、罹災家屋11000戸、
罹災者数43000名、市街地1/3消失
(注:熊本大空襲1945年7月1日、B-29 154機)

熊本も福岡もともに人的にもライフラインも
甚大な被害を受けており、福岡が疎開先という
表現は当てはまりません。
死者、罹災者の方のことを考えますと先の記述に
ついてぜひともご訂正をお願いいたしたく。

 


2.九州帝国大学は何故福岡に? 投稿者:あじあ号 投稿日: 5月 2日(火)15時40分28秒

 

 

 

帝国大学の設置は不思議な点がある。当時の都市の人口順に設置されたわけではない。
(札幌農学校→北海道帝大という明らかに人口とは別の設置もあるが。)
東京の次は、大阪ではなく、京都である。大阪生まれの私も当然と思っていたが、冷静に
考えれば、不思議である。京大設置の明治30年の京都はそんなに権威があったのか?
意外と大阪や、名古屋(戦時中に設置)はずっと後である。
帝大設置については、誘致もあったらしいので調べないといけないが。
また、九州帝大も福岡というのは、今なら当然かも知れないが、当時としては必然ではないようだ。

設置順は次参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 


 

 

3.九州全体を管轄する国の出先機関の設置場所 投稿者:あじあ号 投稿日: 5月 2日(火)15時49分35秒

 

 

 

熊本にあるものを探したが次のとおり。他にもあるかも知れません。
郵政公社九州支社(九州郵政局)
九州通信総合局
九州農政局
九州森林管理局
九州財務局
陸上自衛隊西部方面総監部(これも出先というのかな?)

 


4.福岡にある九州全体を管轄する国の出先機関の設置場所 投稿者:あじあ号 投稿日: 5月 2日(火)16時08分46秒

 

 

 

(探して見つかっただけですが)

公正取引委員会事務総局九州事務所
経済産業省九州経済産業局
国土交通省九州地方整備局
人事院九州事務局

なお、国税局は、福岡と熊本にそれぞれあります。

 


5.九州一円を管轄する国の出先機関の設置場所 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 3日(水)01時03分17秒

 

 

 

福岡市
◇人事院九州事務局◇公正取引委員会九州事務所◇九州管区警察局◇福岡防衛施設局◇九州管区行政評価局◇福岡法務局◇九州厚生局◇九州漁業調整事務所◇九州経済産業局◇九州産業保安監督部◇九州地方整備局(港湾空港部を除く)◇九州運輸局(海運部門を除く)◇福岡管区気象台◇福岡高等裁判所◇福岡高等検察庁

熊本市
◇九州総合通信局◇九州農政局◇九州森林管理局◇九州地方環境事務所◇日本郵政公社九州支社◇(旧)日本電信電話公社九州電気通信局

北九州市門司区
◇九州運輸局(海運部門に限る)◇(旧)日本国有鉄道九州総局
※九州運輸局は福岡陸運局と九州海運局とが統合した局だが庁舎は統合されないままである。

下関市
◇九州地方整備局(港湾空港部に限る)
※旧運輸省第四港湾建設局の当時から下関市所在だった。

九州を複数の局で管轄しているケース
◇財務局
福岡財務支局+九州財務局(熊本)
※九州財務局が名称からして九州一円を管轄しているように見えるが、福岡・佐賀・長崎の3県以外しか管轄していない。北九州財務局と南九州財務局との統合を余儀なくされたとき以来の事情がある。
◇国税局
福岡国税局+熊本国税局
※管轄は財務局に同じ。
◇税関
門司税関+長崎税関
◇海上保安本部
第七管区(門司)+第十管区(鹿児島)
◇海難審判庁
門司地方海難審判庁+長崎地方海難審判庁

 


6.熊本にある九州一円を管轄する国の出先機関の設置場所のその理由 投稿者:あじあ号 投稿日: 5月 3日(水)05時17分40秒

 

 

 

時を娶ろさん、有り難うございます。さすが!
さて、やはり圧倒的に福岡が多いですね。むしろ、熊本にあるものの理由について
考えてみましょうか。
まず、旧逓信省(後、旧郵政省と旧電電公社に分離)系の
◇九州総合通信局◇日本郵政公社九州支社◇(旧)日本電信電話公社◇九州電気通信局
がありますね(福岡にはないようです。)。
理由は不明ですが、日本で郵政制度を作ったときに、熊本に九州管轄する出先を作った
ということが推測されますが、本当かどうか不明です。

農林水産省の出先機関:◇九州農政局◇九州森林管理局◇
後者は、明治以来の機関ですが、理由は今ひとつ分かりません。
農政局は、戦後農地解放のために、農地事務局として各地に設置されたのが、前身です。
聞いた話ですが、戦後日本の都市部がほとんど焼け跡になっていたため、まともなビル
があるところに設置した(例 近畿農政局は京都にある)らしいので、旧熊本営林局の
所在地であることも相まったのかも知れません。熊本は戦争中の被害は少なかったので
しょうか?

◇九州地方環境事務所
近年の設置で理由は不明。阿蘇に行くのに便利だからかなあ?

 


7.九州一円を管轄する国の出先機関の設置場所(続) 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 3日(水)16時42分30秒

 

 

 

> さすが!
とのお言葉でしたが、入国管理局やら公安調査局やらを失念していたことに気が付きました。
cookieを残してあるのでteacupの編集機能を利用して元の書き込みを訂正することもできますが、まあそのままにしておきます。

<逓信省の場合>
以下のとおり、大正2年以降、九州一円を管轄するブロック局は熊本市に所在。
なお明治期の大半はブロック局を置かず一等郵便電信局が他の局を監督。
* 明治26年11月、熊本郵便電信局は熊本県の他に、福岡・大分両県を管轄区域に追加。
* 明治43年4月、熊本逓信管理局を設置。熊本郵便局が所管していた熊本・福岡・大分3県と、鹿児島郵便局が所管していた鹿児島・宮崎・沖縄3県の計6県を管轄。
* 大正2年6月、熊本逓信管理局を九州逓信局に改称。長崎逓信管理局が所管していた長崎・佐賀両県の管轄事務を統合して、九州・沖縄8県を一元的に管轄。
* 大正8年5月、九州逓信局は熊本逓信局と改称。
その後、逓信省→ 運輸通信省通信院 → 逓信院 → 逓信省 と中央の名称は変遷したが、九州一円は一貫して熊本逓信局が所管。
これが昭和24年6月の2省分離に伴い、郵政省・電気通信省の双方の地方局は引き続き熊本に設置され、公社化後も継続。

<大蔵省の場合>
以下のとおり、大正2年から昭和23年まで九州一円を管轄するブロック局は熊本市に所在。
* 明治42年11月、熊本・福岡・大分3県を管轄していた熊本税務監督局に、長崎・佐賀両県を管轄していた長崎税務監督局を統合。熊本税務監督局は5県を管轄。
* 大正2年6月、鹿児島・宮崎・沖縄3県を管轄していた鹿児島税務監督局を熊本税務監督局に統合。熊本税務監督局は九州・沖縄8県を一元的に管轄。
* 昭和16年7月、税務監督局は財務局に改組。熊本財務局は引き続き九州・沖縄8県を管轄。
* 昭和23年12月、福岡・佐賀・長崎3県を管轄する福岡財務局を新設。熊本財務局は熊本・大分・宮崎・鹿児島4県のみを管轄。
* 昭和24年6月、国税庁が大蔵省から分離独立。地方組織も同様に分離し、福岡国税局と熊本国税局を設置。旧財務局の残余事務は局を名乗る規模ではないので、福岡財務部と熊本財務部を大蔵省自体の地方組織として設置。
* 昭和25年5月、福岡財務部を北九州財務局に、熊本財務部を南九州財務局に改組。
※財務部を財務局に格上げさせる機会に、ブロック名を冠称することに変更。国税局は所在地名の冠称を維持させることにより両者の混同を回避するための措置。
* 昭和56年4月、北九州財務局と南九州財務局を統合して九州一円を管轄する九州財務局を熊本に設置。ただし、従前の北九州財務局の管轄区域を引き続き管轄する福岡財務支局を設置し、昭和60年3月末までに廃止するサンセット条項を設置法附則に追加。
※政省令では「財務局長(福岡財務支局の管轄区域にあつては福岡財務支局長。以下同じ。)」などの表現が用いられ、九州財務局の管轄区域は事実上従来どおりの南部4県に限定。
* 昭和60年3月、サンセット条項を削除。

 


8.九州地方環境事務所の設置経緯 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 7日(日)02時35分3秒

 

 

 

「九州地方環境事務所」は、平成17年10月に、「九州地区環境対策調査官事務所」と「九州地区自然保護事務所」とを統合し、熊本市内に設置された。

このうち、「九州地区環境対策調査官事務所」は平成13年10月、福岡市に設置。
旧環境庁では地方における環境保全に関する調査事務は自らの職員を置かず、旧行政管理庁(旧総務庁)の管区行政監察局に委託。中央省庁改革直後も環境省は自らの職員を置かず、総務省の管区行政評価局に委ねる体制を続行。
しかし、平成13年10月に環境省自身でこの事務を行うことになり、総務省から関係職員を地方環境対策調査官として受け入れるに際して、その移籍を円滑に実施するためにも管区行政評価局の所在地である福岡市に事務所を設置したと推測される。

これに対して、「九州地区自然保護事務所」は熊本県阿蘇郡阿蘇町に設置されていた。
これは発足の由来からして当然で、経緯をたどると次のとおり。
昭和54年7月、「阿蘇国立公園管理事務所」に九州地区の国立公園管理統括業務を付与。九州地区内の他の事務所を傘下におさめる。
平成6年7月、野生動植物保護業務が追加され、「九州地区国立公園・野生生物事務所」に改称。
平成12年4月、鳥獣保護業務が追加され、「九州地区自然保護事務所」に改称。
平成13年1月、国立公園管理業務以外の業務を担当させるため「熊本支所」を熊本市内に開設。

 


9.熊本営林局が九州ブロック局となるまで 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 8日(月)17時15分44秒

 

 

 

> 農林水産省の出先機関:◇九州農政局◇九州森林管理局
> 後者は、明治以来の機関ですが、理由は今ひとつ分かりません。

九州森林管理局の前身、熊本営林局は確かに明治以来の機関ですが、九州一円を管轄下におさめたのは、大正末期になってからのことです。

* 明治19年に大林区署(営林局の前身)と小林区署(営林署の前身)とが設置されましたが、この当時はまだ官林が府県から政府への移管がすんでいなかったために、どこの大林区署の管轄にも属していない地域もありました。
* 明治22年9月になってやっと、福岡大林区署(福岡・佐賀・長崎3県を管轄)、熊本大林区署(熊本・大分2県を管轄)、鹿児島大林区署(鹿児島・宮崎2県を管轄)という体制が整備。
* 明治26年11月、鹿児島大林区署が廃止され、福岡大林区署(福岡・佐賀・長崎・大分)、熊本大林区署(熊本・鹿児島・宮崎)の体制に変更。
* 明治30年6月、元の福岡、熊本、鹿児島の3大林区署体制に復帰。管轄区域も元のとおり。
* 明治36年12月、福岡大林区署が廃止され、その管轄区域は熊本大林区署に統合。
* 明治41年7月、沖縄県に国有林野法が施行され、鹿児島大林区署の管轄区域に編入。
* 明治43年4月、大分県の一部(大野郡の小野市村・重岡村)を熊本大林区署から鹿児島大林区署に移管。
* 大正13年12月、大林区署・小林区署を廃止。営林局・営林署を設置。
熊本営林局が九州・沖縄8県を管轄。
* 平成11年3月、熊本営林局を九州森林管理局に改組。

 

 


10.NHKの九州での拠点 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 8日(月)19時02分15秒

 

 

 

九州初の放送局が熊本に設立されたのは逓信局のお膝元だったからではなさそうだ。
大正15年8月、東京・大阪・名古屋それぞれ別々の社団法人だった放送協会を大同団結させて単一の日本放送協会が発足したが、このとき3都市以外の各地にも放送局を設置することになり、1逓信局管内に1放送局という方針のもとに、九州では福岡と熊本が争った。
熊本に軍配があがったのは、その前年、急遽辞任した犬養毅の後任として逓信大臣に就任した安達謙蔵が熊本県人だったというのが最大の理由となっている。
昭和2年5月、社団法人日本放送協会の九州支部が熊本に設置。
昭和3年6月、熊本放送局開局。
昭和9年5月、九州支部を熊本中央放送局に改組。
昭和46年7月、熊本中央放送局を九州本部に改組。
昭和55年7月、九州本部を熊本放送局に改組。
こののちも暫くは熊本放送局が九州地区の基幹局としての機能を果たしていたが、現在では福岡放送局が基幹局となっている。

 


 

11.レス 投稿者: スルッとKANTO  投稿日: 5月 9日(火)08時38分45秒

 

 

 

ご無沙汰です。
福岡&熊本の件はどうもです。
よもやま話の書き換えは少し先になると思いますのでご了承下さい。
 

 


 

12.よもやま話 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 9日(火)09時38分9秒

 

 

 

> 福岡&熊本の件はどうもです。
> よもやま話の書き換えは少し先になると思いますのでご了承下さい。

よもやま話の書き換えとはすなわち5月2日(火)の未明に書き込まれたTossyさんからの
> 戦前(昭和16年以前)で人口第一位の九州の都市は熊本という表現は
> 正確ではありません。
> 熊本も福岡もともに人的にもライフラインも甚大な被害を受けており、
> 福岡が疎開先という表現は当てはまりません。
という要請に対応するご回答だと思います。

しかし、よもやま話についてはそういう誤認だけでなく陳腐化も存在します。
現在、「まち・むら掲示板」のほうでさかんに論議が行われている静岡市の合併方式に
ついても、元々の発端は、よもやま話を読んだ方から日本最大の面積の市はいわき市と
されているのに対して今は静岡市ではないかとの指摘があったからなのです。
(実は高山市が最大ですが)
その際に、静岡市が今日の面積を有するにいたった経緯を修飾した表現が静岡の地元の
方からすると不適切と判断されたことにより、議論がそちらのほうに流れていったのです。

実は私も陳腐化が気になったので、1月7日(土)未明に指摘したことがありました。
群馬県の3つの東村という話題、徳島県の市の数は4つ、村のない県は兵庫県と香川県、
などなどです。
このとき書き換えを促すように書き込んでも受け入れていただけないだろうから、
> 平成の大合併が決着するまで、合併の進捗で情報が変化していくページについては
> クローズするのもありではないでしょうか。
と裏手から申し上げたところです。
これに対して、管理人さんからは1月8日(日)の正午すぎに
> 閉鎖はしたくないのですが、「平成大合併により記載の一部に齟齬があります」
> の注釈は必要ですね。
とのご返答をいただいたのですが、なかなか道は遠いですね。

 


13.Re:九州帝国大学は何故福岡に? 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月 9日(火)19時06分12秒

 

 

 

> 帝国大学の設置は不思議な点がある。当時の都市の人口順に設置されたわけではない。
> (札幌農学校→北海道帝大という明らかに人口とは別の設置もあるが。)
> 東京の次は、大阪ではなく、京都である。大阪生まれの私も当然と思っていたが、冷静に
> 考えれば、不思議である。京大設置の明治30年の京都はそんなに権威があったのか?

京都というのは既に第三高等学校という母体があったから。
当時、高等学校は大学進学準備機関から専門教科教授機関への移行を志向していた時期で、
第三高等学校も大学予科を廃止しており、法学部、工学部を置いていた。
この三高の法学部・工学部が京都帝国大学の前身となったようだ。
なお医学部もあったがこれは岡山に置いていたので、後に岡山医専、岡山医大を経て
現・岡山大学となった。

> また、九州帝大も福岡というのは、今なら当然かも知れないが、当時としては必然ではないようだ。

熊本も誘致はしたが既に第五高等学校の所在地であるという実績がありタカをくくっていたのに対して、福岡の誘致のほうが数倍熱心だったということらしい。

 


 

14.大阪 投稿者:あじあ号 投稿日: 5月 9日(火)22時04分7秒

 

 

 

考えてみると大阪は高等教育機関の設置が、その規模(経済では戦前は東京以上だった)
からすると意外と時期が新しいようだ。
旧制高校も、ナンバースクールの京都や岡山、名古屋にまで先んじられた。
郷里ながら、不思議なところだ。おまけに、大阪の人間が京都に先んじられたことに
余り反発していないようだ。京都と大阪で一体と言うことか。上手く分担しているのか。

 


15.Re:大阪 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月10日(水)19時06分31秒

 

 

 

> 郷里ながら、不思議なところだ。おまけに、大阪の人間が京都に先んじられたことに
> 余り反発していないようだ。京都と大阪で一体と言うことか。上手く分担しているのか。

第三高等学校の前身、第三高等中学校は元々大阪にあったのが京都に移転したとのこと。
大阪洋学校・大阪開成所以来の東区大手前之町に構えた校舎が狭隘となり、移転先を
模索していたところ、京都府が10万円(当時の総工費の半額以上)を寄付するなどして
誘致し、愛宕郡吉田村の現在地に移転した。
大阪府側は府内の候補地を検討した形跡もないらしい。

第三高等学校を母体に京都帝国大学を創設したときも、設けられた分科大学(後の学部)の
うち、医科大学だけは大阪に設置する案が有力だったが大阪府会が拒絶して実現しなかった
のだとか。

 


 

16.団結するとき 投稿者:八幡 投稿日: 5月14日(日)01時34分33秒

 

 

 

 団結するとき「大同団結」と「一致団結」がありますが
私は後者のほうを好みます。大同って中国や朝鮮の陰謀が
見え隠れしますから。

 

 


17.大同団結じゃなかった、合同だった 投稿者:時を娶ろ 投稿日: 5月16日(火)14時32分48秒

 

 

 

5月8日(月)19時過ぎの書き込みで、NHKの発足時の経緯を略述した際に、
東名阪それぞれ別々の社団法人として鼎立していたのを単一の社団法人に
組織統合した様子を形容する言葉として「大同団結」という言葉を使用した。

しかしよく考えてみると、法人の統合・合併に「団結」という言葉を使用するのは
マッチしないなあということに気がついた。
この当時の、大正期・昭和初期に使われていた言葉遣いに合わせようと考えたあげく、
間違った言葉を使用して自滅したかっこうだ。
調べてみると、NHKの発足に際しての組織統合を指す言葉としては、
3局合同とか放送事業統一とか呼ばれていたようだ。
この「3局合同」というときの「合同」は今現在通常に使われる「合同」とは
意味合いが異なる。
日米合同とか、衆参合同とか、そういう「合同」ではない。
今日でいうところの、合併、組織統合を「合同」と呼んでいたようだ。
実はこの用語法は戦後も使用されている。
昭和30年(1955年)に日本民主党・自由党の両党が統合して自由民主党を結党した
ときにも「保守合同」と呼ばれ、「合同」という表現が使用された。

なお、三角形ABCとDEFとは合同であるというときの「合同」も、
日常語の合同とは意味合いが異なる。

 



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