このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名鉄瀬戸線 大曽根〜矢田間の旧線跡をたどる

2000年2月13日 撮影

瀬戸線の大曽根〜矢田間は、現在の高架になる前、国鉄(JR)中央線の下をくぐる地上線でした。 その頃は、中央線の下は急カーブと浸水の名所、大曽根駅北の踏切は渋滞の名所で、 深刻な交通問題を起こしていました。
当時の旧線は、現在より近道の別ルートを通っていました。 その廃線跡は、今では区画整理と再開発が進んだため、ほとんど見分けがつきません。
ところが… 詳細地図 を探してみると、なんと瀬戸線の旧線跡にほぼ沿って、町名の境界線が残っているではありませんか!!
この地図を手がかりに、旧線の走っていた跡をたどってみました。 昔見覚えのある風景は、少ししか残っていませんが…


写真 1 :
高架の現瀬戸線。大曽根駅ホーム瀬戸寄りから北方(瀬戸方面)を撮影
JR中央線の上を瀬戸線が越えて行きます。

写真 2 :
昔、地平の大曽根駅があった付近。
名鉄瀬戸線大曽根駅2階から北西向き
現大曽根駅の西側、旧駅跡地(?)は、洪水対策の調整池工事のため大穴が空いています。

写真 3 :
大曽根駅北西、JR・瀬戸線高架の西側にある、「三菱電機」の看板があるビル。
旧線はこのビルの 左側(西側)を通っていました。
写真左は、高架化後の旧線跡地に建った「名鉄AUTO」自動車販売店です。

写真 4 :
旧瀬戸線が国鉄(JR)中央線の下をくぐっていた所。 東向きに撮影
大曽根(右方)から中央線に並行してきた旧線は瀬戸方面(向こう)に向かって、ここで右に急カーブしていました。
現在は瀬戸線(手前)とJR(奥)の高架が並んでいます。


写真 5 :
旧瀬戸線が国鉄(JR)中央線の下をくぐっていた所。 西向きに撮影
ここは土地が特に低く、浸水の名所でした。 「曽根」という地名は低湿地の意味で、「大曽根」は大きな低湿地であり洪水に弱い所です。

写真 6 :
JRの橋桁を拡大。 現瀬戸線高架の真下で東向きに撮影
瀬戸線の旧線がくぐっていた、JR中央線の高架です。 大曽根寄り(南側)2本の橋桁が、ズレた位置に立っています。 瀬戸線が斜めにくぐっていた名残です。
瀬戸線の列車から見たのをよく覚えています!

写真 7 :
旧線跡地付近に建った新しいマンション。 旧線跡は区画整理されて、あとかたもないです。
瀬戸線は南西(大曽根方面)〜北東(矢田方面)と斜めの方向に走っていましたたが、 現在あるのは東西・南北方向の道路ばかりです。

写真 8 :
旧線が通っていた時代から旧線沿いに建っていたと思われる、古い建物。
他にはほとんど残っていません。
瀬戸線が通っていたのは、その手前あたりです。


写真 9 :
旧線からもよく見えた白山神社。
旧線はこの神社のすぐ左側(南側)を通っていました。
現在の高架線はここの右側(北側)を通っています。

写真 10 :
白山神社の森の北側を通っている、現在の高架線。
旧線は、目の前の横断歩道付近を通っていました。
北向きに撮影、左が大曽根、右が矢田方向。

写真 11 :
名鉄瀬戸線矢田〜大曽根間の栄町方向。
旧地上線と現高架線の接続点でした。
大曽根へ向かう旧線はここから左へカーブし、 オレンジ色の屋根の家があるあたりを通っていました。
ここより東(手前側)に高架が伸びるのは、いつのことでしょうか?


名鉄瀬戸線 大曽根〜矢田間の旧地上線が通っていた付近の地図です。 廃線跡にほぼ沿って、町名の境界線(紫色、大曽根駅付近は区境)が残っています。
図中で、矢印の根元がそれぞれの番号の写真を撮った位置、 矢印の向きが撮影方向です。

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