このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


思い出の京津線
と 叡山電車



この場所は、沙叶の思い出深い電車の写真を置いています。
載せるには、申し訳ないようなヘタな写真ばかりで、、
普通の写真集じゃ面白くないので、沙叶のコメント付きにしました。

この電車の事をご存知だったら、懐かしいと感じて頂ければ嬉しいです。
(あんまり難しい用語使うとわかりにくいかなぁ〜?)


サムネイルも展開しますので画像をクリックして下さい。



思い出を話す

いつのころからでしょうか、子供の頃の沙叶は休日になると、
親父と一緒に出掛ける事が多かったです。
決まって隣りの県である滋賀の大津市へ行きました。
べつに何をしに行くというのはなかったのですが、、
浜大津から出港する船を眺め、夕方になるとスーパーで買い物をし、
帰ってくるものでした。
その行き帰りに利用していたのが、京阪電車京津線なのです。
その頃から沙叶は電車が好きになり、今でも一番好きな電車でもあります。

それは、線路の状態をダイレクトに受けてガタガタ揺れる車体、
車体の幅を狭く設計し、パンタグラフも大きい独特の雰囲気、
クーラーもなく窓から風が車内に吹き込む気持よさ、
強力な発電ブレーキ(回生制動)で66,7‰の峠を下る面白さ、
(自動車で言うエンジンブレーキの事)
カントの付いたR40の急カーブを車輪を擦りながら曲がる感覚、
引っ切り無しにゴトゴト鳴り動くコンプレッサー、
独特の低音と高音の出る警笛、
渋滞中、軌道に進入する車を巨体が追い払う併用軌道の区間、
アテにならない時刻表、信号待ちをする電車、
2編成が渋滞でダンゴ状態になる不思議な感覚。


しかし、今回載せている写真の場所のほとんどは、
地下鉄へ移行され大部分の古い型の車両と共に廃止されました。
京都側の路面電車の区間はすべてなくなってしまいました。


新幹線のようなスピードを追求したものよりも、
アップダウンや急カーブを力強く走り抜ける電車が好きです。
ダイレクトな感覚が好きでした。乗ってるぞ!って感じするし、、
新幹線は子供から嫌いでしたね、
ブルートレインや普通の私鉄っぽい感じのが好きでした。
四角い形の青や緑、肌色系が好み。阪急はあまり好きじゃない。
京阪派です。(なんてマイナーな地域ネタなんだ、、、)





画像をクリックすれば大きな画像が展開します

旧京津三条駅
旧京津三条駅

三条駅到着
到着の普通電車
三条駅ホーム
旧京津三条2番線ホーム
旧京津線三条駅での撮影です。上でも書きましたがこの駅はすでにありません。
京津(けいしん)とは、京都の「京」と滋賀県大津の「津」を走る事から
こう呼ばれています。
三条駅には京津三条と京阪三条駅の2種類が存在し、
昔は繋がっていたらしいですよ。下の方で旧京阪三条駅も紹介していますよ。

この駅は京都側の終着駅です。
この駅を出発すると、三条大橋をバックにすぐに路面区間へ出て東へ進みます。
乗車専用ホームと降車専用ホームに分かれていますね。

右側の画像の電車は各駅停車で大津までは行かず、折り返す事になっています。
沙叶がちっちゃな頃は、大津まで走っていましたけどね。
1両編成を改造し、完全2両編成にされたタイプもあります。



いざ!併用軌道へ
東山三条
東山三条付近
三条神宮
三条通平安神宮交差点付近
東山三条
すれ違い
三条駅を出ると、このような軌道に出ます。

車と一緒に走るため、パンダグラフを大きくし、
架線が車の邪魔にならないようにしてあります。
軌道の白線より車は進入禁止になっていますが、右折などの場合は
仕方ないので電車の方が待たされるんですよ。
走行ルールとしては自動車の交通ルールに準じていますので、
もちろん制限速度も法定内(もちろん鉄道会社側でも制限は設けています)
自動車信号で停止、歩行者の保護は言うまでもありません。

普段は左上のように、車いっぱい!
バスにタクシーにごちゃごちゃです。
レールの上とはいえバスの横をすり抜けるのは乗っていても怖いですよ。
遠くに見えるのは、電車です(笑)

他の写真は、こんなに交通量の少ない写真
あまりないんじゃないでしょうか、、

深夜、飲酒運転で電車と接触したりする事故が多くあったりしました。
あと親父の昔話では、当時の自動車だと線路にハンドルを取られ
かなり走りにくかったらしいですよ。少しカントも付けてあるので。
へぇ〜とかいってたら、沙叶の愛車はモロにハンドル持っていかれました。
インチアップタイヤでサス硬いし、ステアも重い。
線路の上だと手放し運転でも大丈夫なぐらいはまってました。


東山
坂を登ればもうすぐ蹴上
東山地下鉄工事
東西線工事で・・・軌道変更
東西線工事風景
東西線工事の中を
準急とすれ違い
準急とすれ違い
左上の写真は沙叶のお気に入りです。
独特の車体の形や、パンタのデカさ、、、ん〜美しい、、
そして東山を登り切った付近で、路面がわずかに丘のようになっています。

右上の写真は、地下鉄東西線のために軌道を変更し、S字に変えた後です。
不自然に線路が迂回しているのがわかります。
車体がわずかに外へロールしてる傾き加減に注目してほしいですね。
両側では東西線の工事も行われています。
左下の写真は、まさに軌道を変更し、地下鉄工事を行っている様子。

右下の写真は、80系の運転台の横から撮影したものです。
80系は、運転台との遮るガラスもなく、仕切棒が1本通っているだけです。
運転士の様子や、周りの景色がフロントから見れるのが好きでした。
「交通停止」や「制限30」などの運転士さんのかけ声も聞けます。
マニアや子供には特等席でしょうね。(席ないけど、、)

昔のチンチン電車の雰囲気そのままですよ。
よく見ると、前方で車が進路を塞いでいますね。
こんなのが日常茶飯事で発生しています。


写真にクォーツデートが入っていますが、これはわざと入れてあり、
懐かしくなってアルバムを開けた時でも、いつの写真かわかるように
したかったのです。普通は入れない人が多いですが、、、
92年のものですね。
ここにある大半の写真が80〜90年代のもので、
沙叶が中学生の時の撮影です。だからヘタくそなんですが、、、。


蹴上駅へ
もうすぐ蹴上駅到着


蹴上5月の一般公開
蹴上駅
蹴上カーブ
蹴上カーブ
駅から撮影

微妙に窓が違う
600型
東山を越えると、蹴上に到着!

左上の写真は、もうすぐ蹴上げ駅に到着する様子。
電車の右側には、おもいっきり車が並んでいます。
前方に見えるブロックのような物が蹴上駅です。
人少ない(笑)

右上の写真は、蹴上浄水場のツツジの一般公開の時のもの。
ブロック積んだだけのホームなのに、、こんないっぱいの人が!
この駅でこんなに人が多いのは滅多に見られない貴重な写真?
ちなみに歩道橋から300mm望遠で狙っています。
もちろん切符は運転士さんか車掌さんに渡す無人駅。
この80型車両は、なんと路面のセンサーでステップが開き、
階段が出るようになっているんです。
車両の扉までは高いので、ブロック駅ではステップが自動で出ます。

下2枚は蹴上のカーブ、ここの交差点は非常に複雑なために
いつも車が大渋滞していました。
電車が通る時のみ、突発的に信号が変わり、それ以外は待ちぼうけ。
この交差点では歩行者の次に電車優先なのです。
白線内に入ってきた車は電車の警笛で注意されてしまいます。


蹴上をしらないあなたへ
蹴上とは京都に市電を通すために、水力発電所を設けた場所です。
琵琶湖からの水を疎水でここまで通したのですね。
社会の教科書にある水力発電所や船を運んだインクライン、
水路閣なども未だに残っています。
京都人なら、まず知っていなければ恥ずかしい場所です(本当に)
京都が発展したのは、琵琶湖のおかげ!疎水のおかげ!
そして蹴上浄水場&発電所のおかげなのです。
小学校の頃に沙叶もかなり叩き込まれました。



準急通過
準急は通過します。
(ステップ出ないから)
九条山を走る
九条山カーブへ・・
九条山
九条山

九条山駅から
蹴上を越えるといよいよ九条山の峠に!

左上の写真は
夜の準急通過です。特急や急行は存在しません!準急のみ。
このようなブロック駅をいくつか通過していきます。
通過時はホーム乗ってるとめちゃくちゃ怖いよ、、
降りたら降りたで車の餌食です(笑)

右上の写真は九条山の峠。
この画像、目の錯覚でひし形に見えますね。
自動車のエンジンブレーキのような電気制動で、
普通の電車とは一味違いますね。
とにかくこの電車は強力なモーターを積んでいるんですよ。
当然、つり革なしで立っているのは難しいです。

左下の写真は、一気に急勾配の下りをするところ。
見て欲しいところは、カーブの様子と、アップダウンの頂上付近で
線路が再び一気に下り始めている。
4%のアップダウンは普通です。この先は長い4%の下り坂になってます。
もちろん一般の電車のブレーキでは、とても走れる場所ではありません。
カーブも曲がれない、この車両だから走れる場所なんです。

右下の写真は、駅から撮影。
600型初期の601番。九条山の登り坂を上ってくる様子。
カーブのカントで車体が右へ傾いている。
あまりに坂が急で線路が最後まで見えてませんね。

下に白い楕円形のものが線路にありますが、これがATCで
車速を読み取っています。
オーバースピードで突入しても、自動的にコントロールされる安全装置。
これがなければ、どんなベテランでも、安心して走る事は出来ないでしょう。
昔は何度か脱線して転倒した事もあったそうですよ。
カーブ中は、車輪から「キキ〜〜」っと擦れる激しい音が峠に響いていました。
京津線の一番面白い見所の区間でしたね。



〜ここで沙叶の鉄道マメ知識〜
電車用語での勾配の表記は、パーミル(‰)という単位を使います。
廃止された信越線横川・軽井沢間や、この京津線では最大で
66,7‰の勾配があります。
これは電車が物理的工夫をせずに登れる限界と言えます。
JRでは専用の補助機関車を連結しなければ登り降りが出来なかった
鉄道ファンなら誰もが知る有名な名所の区間です。
補助なしでアップダウン出来るのは、この京津ぐらい。

さらに急カーブはいくつも存在しており、最大R=40の曲線。
Rというのは、カーブ(曲線)の半径です。
これは自動車で言う低速コーナー並の曲線になります。
鈴鹿サーキットのヘアピンがR=20
タイムアタックでよく使われる筑波サーキットのヘアピンがR=25〜30。
京津線のRがいかに急かがわかりますね。
まさに急勾配、急カーブの2拍子揃った難所がいくつも存在すると言えます。

さて、パーミル(‰)の単位ですが、、1000分の1で表記されます。
66,7‰なら、1000mに66,7mの高度差があるという事。
つまり、6,67%の坂道って事ですね。
車なら難なく登れそうですが、電車にとってかなり厳しいですね。
いや、むしろ限界。特殊な機関車か、特殊な車両が必要です。
なんせ自動車みたいに、低いギアとか変速機ないでしょ?
重量2tの自動車がハイトップギアのまま、坂を登るようなものです。

ちなみに、山岳などのあまりきつい坂では、線路と車輪に歯車を付けて、
ギアを噛ましながら登っていきます。それより厳しい坂ではケーブルカー
になってしまいますね。

これで京津線の面白さや凄さがわかってもらえたかな?


日ノ岡にて700型
日ノ岡周辺

日ノ岡へ
日ノ岡周辺
峠を越えたら再び路面区間へ

左の写真の電車は当時の新型車両である700型。
東西線開通にも視野をおいた、高電圧に変更出来る車両です。
この車両が出た時、いよいよ80型も末期だと悲しくなりました。
ここでは、いたるところで地下鉄工事が行われています。
ちなみに当時では唯一ある700型、最初の701・702番の車両です。

右の写真は、九条山から再び路面区間へ出てくるところ。
電車専用の信号と車の信号があり、免許取りたての頃の沙叶は
知らずに信号を無視していたらしく、電車の進路とクロスして走ってしまい
すごい警笛を鳴らされた経験があります(冷汗)ごめんなさい。

ちなみにここは、環状道路の右折車が多く、ものすごく渋滞する場所でした。
たしか、ここは線路侵入可能区間だったと記憶しています。
すごい人は電車の真後ろ走ってましたね。究極の追い越し。
救急車の後ろ走るのと匹敵するか!?


日ノ岡駅通過
日ノ岡駅通過

日ノ岡駅出発
日ノ岡駅
サムネイルで大きな画像を見てもらえればわかりますが、、、
上に「日ノ岡」と駅の名前が、、
これでもちゃんとした駅ですよ。

左の写真は、ミシガン連絡列車。
浜大津港の琵琶湖汽船船籍、外輪観光船ミシガンと連絡しています。
よくわからない人は「へぇ〜そう」で終わりそうですが、、


四ノ宮駅到着
普通折り返し、四ノ宮駅
なつかしい台車
80型台車
普通電車はここで折り返します。
東西線が開通した今でもここから先の駅は存在しています。
少し手前で東西線から分岐し、京阪電車は地上へ出ます。

写真で紹介した沙叶の旅も終着駅というわけですね。

右の写真は台車の様子を写したもの。
マニアにはたまらんでしょうなぁ〜。
この昭和36年からの時代を感じさせる雰囲気の台車は!
すばらしい!


大谷トンネル抜けた後に
大谷の最強急カーブ
浜大津駅にて
沙叶お気に入り電車

台車が古めかしいですね
京津線のおまけです。

左上の写真は、京津線最強の急カーブを捕らえた写真。
車両が大きく、くの字に曲がっています。
台車はすでに車体からはみ出るほど!

人の家の畑か庭みたいな場所にこっそりお邪魔して、撮影しました。
30mほどの広角で引いてもこの迫力。
東西線に乗り入れている車両は、車体や編成も長いので
もっとすごいですよ。
このカーブにギリギリ合わせて設計してるんだと思います。
沙叶はNゲージの模型でこのカーブを再現して作ったほど。
ちなみに他の電車では類を見ない40Rもある急カーブ。
自動車でもタイトなコーナーですね、むしろヘアピンに近い。。
ちなみに、40Rとは、半径が40mしかないカーブです。

右上の写真は、沙叶が子供の頃に一番活躍していた500型。
左の電車の先代になります。角張った形が好きですね。
エアーコンプレッサーの動く音が好きで、心地良かったです。
「ゴットゴットゴトゴトゴトゴト・・・・」ってうるさい音出すんですよ。
今のは静かになって「ドゥルルルゥゥーーー」って音なんですが。
クーラーは当然無く、撮影した当時でさえ、臨時で数回動くほどの
稀な車両でした。活躍していたのは沙叶が小学生の頃。

親父と一緒に乗った思い出深い車両ですね。
沙叶のお気に入りの車体は505・506番でした。
オレンジ色の反射シールが張ってあったのを覚えています。

左下と右下の写真は、東西線開通の前まで臨時として走っていました。
当時、もう1編成しか残っていなかった車両です。
弥夜が最初に京津線に乗った時はこの車両が活躍していました。
小学生の時のラクガキ帳にこの車両ばかり描いていたのを覚えています。

今では東西線開通と共に電圧が上げられ動かす事すら一切出来ません。
本当に寂しいですね、、、。



ちょっと懐かしい京阪電車

旧地上三条駅
旧地上三条駅

旧地上三条駅
旧京阪三条駅ホーム
マニアにはたまらない写真でしょうね。
部屋掃除してたら出てきた写真。ネガはもうありません(号泣)

左は地上の旧京阪三条駅
京津線とは違い、大阪方面へ行く電車の駅です。
写真が非常に古いために、空が黄色く、、、。
よく見ると、懐かしの京都国体バスが見えますよ。

現在の京阪三条駅は地下を走っています。
今では、出町柳駅まで延長されていますが、当時は三条止まりでした。
左側で地下工事やってますね。

親父と「三条駅、もうなくなるから写真撮りに行こう」と言われ行った時のです。
沙叶が小学2年生ぐらいでしたよ。

そして、右の写真がそのホーム。
ホームの中に踏み切りがあって、踏み切りを渡って向こう側の
ホームへ行ける、今では信じられない作りになっています。
よ〜く画像みればわかりますね。
昔はこのホームは京津線と繋がっていたらしいですね。
いやぁ〜〜、懐かしい!!
京阪特急の伝書鳩伝説とテレビカーを思い出しますね。
今でもあるけど、当時はそりゃ〜有名でしたよ。

特急には鳩のマークが付けられています。
それは、京都〜大阪を伝書鳩と京阪特急のどっちが早いか
競争させた事があるんですよ。
伝書鳩は直線で時速80kmほどで飛びますからね。

阪急はもともと京阪で、当時は新京阪とも呼ばれていました。
ですから今でも阪急はライバルどうしで両方速いと思いますが、、、
しかし沙叶は京阪派でしょうか、、学生時代は阪急で通学してましたが。
面白い事をして工夫するのは京阪の方でしたからね。


四条の踏み切り
四条の踏み切り

四条通踏み切り
四条通から
これも懐かしい写真です。
地上部を走っていた時は、四条通に踏み切りが存在していました。
今から考えると凄い事です。

左の写真は、小学2年の沙叶が撮影した写真。動体視力よかったなぁ〜。
フルマニュアル機の二眼レフカメラでしたから、よく撮ったよ。
視力1.5だったし。
真上にそのまま上がる、めちゃ長い踏み切りですよコレ。

右の写真は、四条通から撮ったもの。
右手に南座が見えますね。車が古めかしい、、電車も、、


旧三条駅
三条駅

複複線、偶然のすれ違い

ぞろ目の5枚扉
花博電車
エキスポ花博
おまけの京阪車両編

左の写真は三条駅の車止めから撮影。
両方の車両とも、今無いと思うけど、、あるかな?
改造されて走ってるかもしれないけど。
左側のは、5000系のトップ、5001番の車体!
この5000は通勤用に珍しい臨時5枚扉を採用、京阪初のアルミ車体。
当時話題になりました。
座席のシートが上へ持ち上がり、立つ場所が多くなるもの。
沢山乗れるけど座る場所は減る。身削りの車両ですね。
良いのか悪いのか!? 考えがモロ大阪風。
京阪はいつも面白い事してくれるので好き。
弱冷房車、テレビカー、女学生&児童優先車両など。

中央の写真は同じ5000系ですが、、
番号に注目!5555番5枚扉
ん〜画像の容量削りすぎて番号が見えないなぁ〜、、

ちなみに、5000系の先頭車両5554号車は、
昭和55年に起きた置き石脱線事故の被害によって
一度廃車になりました。55年以降の5554は新しい2代目です。

右の写真は、これも懐かしい!
エキスポはな号。大阪の花の万博の時に特別に塗装された車両です。



叡山電車デナ21

画像の編集がヘタで、すいません。

叡山電車デナ21

デナ21と800のすれ違い デナ21運行最後の日
叡山電車とは元京福電車と呼ばれ、当初京都〜福井間を結ぶ路線の予定でした。
京都の太秦や嵐山方面にも路線が存在しています。
また福井県側でも京福電車は運行しています。

叡山電車は、京都出町柳〜比叡山のふもとである八瀬方面や
秋の紅葉などで有名な貴船、鞍馬方面へ路線をのばしています。
京都バスや京阪電車と密接していて、地元の人々の足となっています。
観光シーズンは、登山客や観光客を沢山乗せて活躍しますよ。

左の写真は
修学院付近で撮影したもの。
列車のスピードは頑張れば自転車でも並走できるかも(笑)
小学生の頃は、電車を自転車で追いかけたもんです。
どっちが終着駅まで速く着くか?なんてね、、
写真をよく見ると、カメラ持っている人が数人見えますね。
これは、デナ21の運行末期の時だったので、多勢の鉄道ファンが訪れていたからです。

中央の写真
21と800のすれ違いです。
800というのは、京阪線で活躍していた古い500型をそのまま改造したものです。
ライトの様子が少し似てますね。
500型が好きだった沙叶には、現役で活躍している嬉しい姿です。
余談ですが、京阪電車の使わなくなった特急車両を富山へ運び、
改造されて今でも活躍しています。

右の写真
鞍馬駅にて撮影。運行の最後の記念に飾り付けられた車両。
この時期、秋の観光客でいっぱいで超満員でした。
あと、多くの鉄道ファンたちがいましたね。
運行終了後は鞍馬駅ホームに展示されたり、部品などが販売されたりしていました。
小学校の鞍馬の遠足で、この電車に乗ったのをおぼえています。 


左の写真は
運転台です。
椅子もあってないような運転台。もちろん遮るガラスもありません。
沙叶が小学生の時に乗っていた時期は、
スピードメーターさえありませんでした。
この日、知り合った鉄道好きのカメラマンに聞いたところ、
その人も懐かしくて見に来たって言ってました。

中央の写真
古めかしいレトロな感じ(本当にレトロなんだけど)
木製で蛍光灯もいい味出してます。

右の写真
窓ですね。木製の部分が良いですね。


なんとなくアップした画像です。
今では新型車両などが活躍していますが、、
電車としては、そんなに古くないかなぁ〜。
っといっても、弥夜の年齢よりも古いと思う。



いかがでしたでしょうか??
知らない人にはつまらない場所だったかもしれませんが、、
京津線のコンテンツ一つ作っちゃってもいいかも(笑)
見て下さった方、とにかくここまで読んで頂いてありがとうございました。



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