このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「天霧城」


 
<江戸時代の記録>
−「金毘羅参詣名所図會」弘化4年(1847) 暁 鐘成著(翻刻版 S55,歴史図書社)より −

天霧山
弥谷山の艮(うしとら)に連る高山なり。香川信景の楯篭る古城の跡あり。麓に出丸の跡、合戦の旧跡等あり。



天霧城55kB

香川長曽我部和親
天正七年の春、天霧の城主香川信景は土佐の長曽我部と和平をなし、香川方の質として香川山城守、河田七郎兵衛、同弥太郎、三野菊右衛門の四人の家老を二人づつ土佐へ番代に詰めしむ。信景も岡豊の府へ出仕ありて太刀、馬、綿、紬等あまた進ぜらる。元親も別けて用ひられ、饗も正式の膳部、能乱舞等あり。五日滞留あって帰国のとき国分に茶屋をたてて送り酒迎ひありとぞ。


<江戸時代の記録その2> (「南海通記」の記述)



天霧城

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