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☆2004年春の山陰 (実行日:2002年4月上旬)       小さな旅日記目次へ      トップページへ      

   

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この記録は2004年春に久しぶりに鳥取・島根方面を旅したときの記録です。日程の関係で似たような場所を行きつ戻りつしたため、今回は時間順ではなくて各場所ごとに内容をまとめてみました。
  
  ●鳥取砂丘        ●羽合温泉        ●松江市内と宍道湖       ●一畑電鉄
  ●ルイス・C・ティファニー庭園美術館      ●出雲大社            ●中海と美保関
  ●境水道と境港      ●サンライズ出雲
 



  
★鳥取砂丘
 
鳥取砂丘鳥取砂丘へは十数年ぶりの再訪となる。鳥取駅前から砂丘へ向かうバスは30分毎の運行で、市街地を抜けたバスはちょっとした丘陵を抜け、間もなく砂丘にさしかかる。砂丘本体からはちょっと離れるけど高台で見晴らしのいい「砂丘センター」と、砂丘のすぐ近くの「砂丘会館」という2ヶ所のバス停が別の場所にあり、かつては「日の丸バス」と「日本交通」のバス会社ごとにそれぞれ異なる方へ発着していたようだが、今は共同運行になったようで両方を経由する。砂丘センターからはリフトが通じていて、砂丘会館の上を通り越して直接砂丘に達しているのがかつてのバス会社間の確執を物語っているようでもある。
 
砂丘会館でバスを降りてやや上ったところで砂丘を一望できる。砂丘は年々退化しているという話を聞いたことがあり、あまり期待していなかったが、意外に広がりが大きく、以前来たときよりもむしろ大きく感じたのは面白い。天気も良く、海側に近いほうにある大きな砂丘の上を歩く人がかなり小さく見える。いったん砂漠?を下ってから砂丘に登る格好になり、砂丘の山頂に立つには思いのほかの運動量であった。あらためて見ると陸側に見える林のようなところもかつては砂丘だったように思われ、いいか悪いかはわからないが緑化が進んではいるようだ。
砂丘の風紋いったん上ってしまうとすぐに戻るのが惜しくなり(^^;)しばし休憩。観光化した場所ではあるが来るだけの価値はある景観で、あたり一面が砂というのは距離感がちょっとつかめない感覚なのも面白い。よく見ると風紋も出来ていて、人の足跡の上にもある程度時間が経過すると風紋が出来てくるようだ。澄んだ空にたくさんの飛行機雲が出来ていた。海岸の方向に沿ってゆっくりと下り、もとの場所に戻ると1時間近くが経過していた。バス停に近い側には観光用のラクダがおとなしく待機しており、何とも健気な感じがする。近年は路線バス利用の観光客は激減した感があるが、ここはバス利用の客も比較的多かった。
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★羽合温泉
 
東郷湖「羽合」の読みは「はわい」で、倉吉駅から乗ったバスからは途中「スーパー×× ハワイ店」のような表記もあり、また道の両側に南国を思わせる樹木が植えてあったりで、ハワイの名前にあやかろうとしているかのようでもある。もっとも羽合温泉街自体は(真昼だったこともあるが)いたって地味で静かな風情で、むしろ自分のようなよそ者が目立ってしまうのでは、と思うほどだった。倉吉から海側にバスが向かったので、てっきり海に近いのかと思ったら温泉街自体は東郷湖に面してはいるものの海からは離れていた。町名は羽合だが、温泉の表記には「はわい温泉」とひらがな表記にしたものが多い。さすがに「ハワイ温泉」と書かれたものは少なかった。
  
羽合温泉の旅館温泉街からちょっと離れたところに日帰り温泉施設のようなものを見つけたが、あいにく休館日。温泉街の観光案内所に問い合わせてみると、あちこちの旅館で入浴だけ受け付けてくれるようで一安心。湖に一番近そうで露天風呂もあるという「千年亭」へ向かう。1000円という立派な料金だったが、湖を目の前にした露天風呂からの見晴らしは良く、予定していたバスを1本遅らせてすっかり長居してしまった。温泉は透明で無臭に近い。内風呂もあったが、そちらは髪を多様な色に染めた貫禄のある方々が多数入っていて賑やかだったので(^^;)ひと浴びするにとどめる。露天風呂に出たり入ったりするうち、もうどうでもいいやという気分になってしまうのも温泉の醍醐味だろうか(^^;)。
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★松江市内と宍道湖
 
宍道湖から松江市街松江は十数年前にちょっと駅を降りただけで街歩きはほとんどしていなかった。今回は街歩きをしたいこともあり、駅近くではなくて宍道湖に面した温泉つきのビジネスホテルに宿泊した。「展望温泉浴場」とはいっても最上階ではなくて3階ではあるが前面に宍道湖を見渡せるし、泊まった7階の部屋も「レイクビュー(とは書いてないが)」で、宍道湖大橋が正面である。宍道湖も以前車窓から眺めてはいるが、これも思ったよりずっと広がりが大きく、天候によっては対岸がかすんでしまうほどである。こういう湖が市街地に面しているという条件に加えて街中には川も多く流れており、景観も雰囲気も気に入ってしまった。人口はさほど多くないので大都市というほどではないかもしれないが、県庁所在地の城下町らしく広がりのある市街地で、街に風格を感じる。たまたま自分が見かけなかっただけかもしれないが街中にファストフードやチェーンの飲食店が少ないのも特徴のようだ。もっとも「魚民」や「白木屋」は進出していた。松江駅前からは各方面へのバス路線のほか、「まつえウォーカー」という市内循環の100円均一バスが2系統・20分間隔で出ているのが便利である。
  
松江城の夜景松江に着いた当日の夜に松江城の外観を眺めた。まだ桜も残っていて夜桜見物の客も少なくない。城に特別興味があるわけではなく、城郭のすぐ近くまでは行かなかったが、お堀沿いにライトアップされた城を眺めるのも悪くない。
宍道湖の夕景宍道湖は夕景がいいという。ちょうど日没直後の湖畔に行ってみると、市街地を背にしてちょうど正面に夕焼けが広がり、湖面がそれを映しているという具合でしばし見入った。やはりというかカップルも見かけたがさほどの数ではなく、これが大都市近郊だったら格好のデートスポット?になることだろう。だんだんに日が暮れるにつれ、湖面の色や周囲の光の加減が徐々に変化していくのは見飽きることがなかった。本当は湖の中にある島が見えるあたりが一番絵になるらしい。
小泉八雲旧邸入口歴史に疎い自分ではあるが、松江といえば小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを思い出す。ということで小泉八雲の旧家と記念館を訪ねた。両者は市街地中心部とは松江城を挟んで反対側のお堀沿いにある。小泉八雲の旧家は庭を見渡せるところに特徴があるようだが、庭は思ったほど広くはない。意外といえば実は小泉八雲が松江にいたのは1年ちょっとでしかなかったことで、それだけ日本国内あちこちに移動していたのだろう。とはいえ松江が気に入ったというのは分かる気がした。この近辺には武家屋敷もいくつか残されており、城下町の雰囲気が特に濃いエリアである。
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★一畑電鉄
 
今回の旅では「周遊きっぷ」の山陰ゾーンを利用した。このきっぷではJRのほか一部のバス路線と民鉄の「一畑電鉄」にも乗れる。だから、というわけではないが今回は松江から出雲大社への移動にこの鉄道を利用した。大都市圏以外での鉄道の経営は厳しい状況であろうが、この鉄道は沿線への各種施設や急行運転などかなり積極的な姿勢を取っているようだ。泊まった宿はこの鉄道の起点である「松江しんじ湖温泉」駅に近いのも好都合だった。
  
一畑口駅朝、松江しんじ湖温泉駅から2両編成の電車に乗る。あとで乗った電車も含め基本的に2両編成らしい。市街地を出るとすぐに湖畔を走る。まずは1駅目の美術館近くの駅に降りたがこれは後述する。その後も思った以上に湖畔を走り、途中高校生らしいグループが数駅乗車した以外はやはり空いている。途中の「一畑口」駅ではスイッチバック(そのように車内放送があった)をするのだが、その直前まで湖畔を走り、折り返した直後もまた湖畔に戻るため、何とも不思議な路線の形である。もともとはこの先にも路線が伸びていたわけだが、一畑口駅の周囲もごく普通の住宅地と畑だったし、特にターミナルという感じもしないのが意外だった。
  
出雲大社前駅古い鉄道ではあるけど新しい試みもしているというのは駅名にもあらわれていて、「美談(みだみ)」「旅伏(たぶし)」「遥堪(ようかん)」のような歴史的で曰くありげな名前の一方で、「松江フォーゲルパーク」「湖遊館新駅」のような今風の?駅名もあった。出雲大社方面へ乗換えとなる「川跡(かわと)」の駅では接続が極めて良く、そこを基準にダイヤが組まれているのだろう。出雲大社前駅は洋風の建築で観光地らしさがあったが、時期にもよるだろうが意外なほど観光客の乗り降りは少なかった。とはいえ後で立ち寄った旧JR大社駅のようにいくら駅舎が立派であっても廃止されてしまった駅は寂しいもので、やはり駅は鉄道が生きていてこそ、という思いを強くした。
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★ルイス・C・ティファニー庭園美術館
 
ルイス.C.ティファニー庭園美術館前駅前述の一畑電鉄で、松江しんじ湖温泉の次の駅が「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」である。「るいすしーてぃふぁにーていえんびじゅつかんまえ」は出来た当時日本一長い駅名ということで(今はどうなのだろう?)、駅にもそういう説明が書かれていた。残念ながら(?)ひらがなだけの駅名は記されてはいなかったが「・」を除いても23文字あるとはいえ「てぃ」「ふぁ」のように実質1音に聞こえるものがあるせいか、日本一というほどには感じない。むしろ以前立ち寄ったことのある九州の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」の方が感覚的には長そうに思える。とはいえさすがに日常的に使うには長過ぎるようで車内放送では単に「ティファニー庭園美術館前」と言っていた(それでも18文字だが)。
  
庭園美術館案内によれば美術館まで駅から通路が通じていて3分くらいで行けるようだったが、実際には歩道橋の部分以外は単なる歩道のようなところで、5分でもぎりぎりくらいだった。率直なところティファニーに関する予備知識は皆無に等しいことでもあり美術館本体に関する詳細な記述は出来ないものの、色のガラスを用いた装飾などは見ごたえがあり、ある意味自分の知らない別世界を探検した気分であった。2000円という高値ではあるが、徹底した雰囲気作りとあわせ、異空間を味わうという意味では価値があったかもしれない。なにしろ約2時間後の電車で移動するつもりでも時間ぎりぎりくらいだったから。併設された植物園の方も雰囲気は共通していた。「貴婦人の気分を」みたいなことが書かれていて、自分のような人間には似つかわしくない場所だったかもしれないが(^^;)まあいいだろう。
  
館内の展望スペースからは宍道湖が一望出来る。天候が今ひとつなのは惜しかった。
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★出雲大社
 
出雲大社参道一畑電鉄でやってきた出雲大社は、団体のバスでやってくる観光客はそこそこあったものの、雨が降ってきてしまったこともあってか意外に閑散としていた。もっとも人が少なくて静かな分だけ「神域」に入るという雰囲気にはなる。長くて幅の広い参道の横の道を歩く。参道の周辺にはまだ桜がかなり咲いていた。社殿の柱が修復工事中で、何でも柱の隙間に賽銭の硬貨(5円玉)を詰め込んでいく人が多いのだとか。そういう言い伝えがあるのかどうかは知らなかった。せっかくなので通常の賽銭箱に25円を投入し、2回の礼、4回の柏手などの流儀に従っておく。売店(とは言わないのかもだが)では「縁結びの糸」なるものを売っており、つい?500円を投資してしまった。信心はこれまであまりしないほうだったがまあそういうこともある(^^;)。縁結び携帯ストラップなどもあったがこれは遠慮しておく。
  
「八雲」の割子そば五段重ねバスターミナルの近くにあった「八雲」という蕎麦屋で「割り子蕎麦5段重ね(\1050くらい)」を頼むと、最近食べた蕎麦としては一押しのうまさ。つゆの味わいがよく、ちょっとピリっとくる薬味も上々。近くにあったらひいきにしたい店だったことだろう。観光客が多い場所の店としては値段も含め、かなり良心的だった。
旧・JR大社駅帰りに旧大社線の大社駅を眺めていくことにし、大社前からバスで「駅通り」まで行く。国鉄時代の大社駅には一度来たことがあり、今もバスの通りからちょっと入ったところに以ほぼ以前のままの姿で残っていた。黒光りのする大きな瓦屋根と、貫禄のある駅舎が印象的で、待合室は施錠されていたが、ホームには入ることが出来、昔ながらの駅名標も残っていた。しかし線路は駅構内を外れたところで乱暴に切断されており、その先は道路用地として使われていて、鉄道輸送の現状を見せつけられるようで侘しい。歩いて一畑電鉄の出雲大社前駅へ戻ると何だかほっとする気持ちだった。
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★中海と美保関
 
中海宍道湖に並ぶようにして中海があり、さらに境水道へつながっている。境水道を挟む鳥取県境港と島根県の美保関付近をまとめて観察することにし、JR松江駅前から美保関ターミナル行きバスに乗る。バスはほぼ30分間隔で乗車率もよく、市街地から島根大学を経由して市内の住宅地を走る。近いかと思った中海はなかなか姿を現さないが、車内が空いてきたころ、ようやく右手に見え始めた。美保関町に入って間もなくの万原集落を抜けると間もなく「バスターミナル」に到着。しかし町の中心とはかなり離れたひっそりとした場所なのに意表をつかれる。周囲は広々とした広場に町の体育館、中学校があるくらいで、あとは町営のバスに乗換えとなるらしい。美保関中心部へ向かうバスは約30分後で、その間に中海の近くまで散歩した。中海の中に島があり、遠くには境水道をまたぐ橋も見えて多彩な景観である。
  
美保関漁港町営バスは自分以外に中学生しか乗っておらず、じろじろ見られてしまう(^^;)。かなりメジャーな観光地だと思っていたが路線バスで行く人は少ないのか。十数分走ると港町らしい風情になり、先ほど遠望した不思議な形の橋も見えたがどうやら建設中の橋らしい。対岸すぐ近くに弓ヶ浜半島があり、まるで川のようである。途中に見えた「宇井渡船場」は帰りに降りる場所なので確認しておく。すぐ先には鉄橋の境大橋があり、さらに道が狭まって岬らしい風情。対岸の半島が見えなくなり、海の向こうには伯耆大山も姿を現す。美保関郵便局が見えたあたりで坂道を降りるとバスの終点。狭い湾の漁港に面した町で、宿もけっこう多い。思ったより風景の見通しはきかず、美保関灯台まではかなり距離がありそう。万原のバスターミナルからかなりの距離を乗ったのだが、町営バスの運賃はなんと\200均一。
  
美保関・五本松公園から境水道方面まずは美保関神社へ立ち寄り、それから見通しのよさそうな「五本松公園」へ足を向ける。リフトが通じていて、客が少ないためか常時運行はしておらず、客が来たときだけ動かしていた。往復\500で斜面を這うようなリフトに搭乗。距離はさしたることはないが高低差は意外にあるリフトを降りて少し上ると、公園名の由来でもある「関の五本松」がある。しかし強風と虫害で初代?の松はもう枯れていて、今は「3代目」が育っていた(^^;)。さらに上ると視界が開け、展望台のようなスペースでは境水道から伯耆大山など海を挟んでかなりの絶景が広がった。残念ながら反対側の隠岐が見えそうな場所はなく、美保関灯台まで徒歩30分という標識があったので今回は時間の都合で断念。そのぶんゆっくりと景観を味わう。こちらが展望台にいる間、他に客らしい人は2、3人しか現れなかった。下りのリフトは、高さは変わらないはずなのに景色を見下ろす格好になるため遥かに高さを感じる。ずっと以前乗った伊豆の大室山のリフトに似ていた。
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★境水道と境港
 
宇井渡船場付近から境港市街美保関からの町営バスを「宇井渡船場」で降りて、島根県から鳥取県へ船で渡ることにする。無人駅のような感じの渡船場を覗くと、境港への渡船は頻発というほどではなくて昼間は毎時2本程度。しばらく周囲を散歩して待つ。それにしてもこの鳥取〜島根県境付近の地形は面白い。湖である宍道湖と内海である中海が並んでいるのもそうだが、そこから川のような幅の境水道で隔てられた両県の半島があり、島根半島側は山が多く海岸線沿いの狭い場所に集落が点在するのに対し、弓ヶ浜半島側は平坦でかなりの市街地が続いている、という対照をなしている。渡船場から見た弓ヶ浜半島も繁華な街並みが続いているのが分かる。
  
予定の10分前くらいになると、対岸から小さな船が近づいてきた。いつのまにか客待ちのタクシーもいるが、降りた人がいたかどうか。船を操縦していたと思われるおっちゃんは何も言わずにいったん外へ出てしまって乗れとも言わないが、聞いてみるともちろんこの船が折り返すということで、200円をおっちゃんに払う。昔のバスの車掌のようなカバンが運賃入れだった。結局、客は私1人。船が貸し切り状態というのはずっと以前に三方五湖の観光船でも経験したが、あまり居心地の良いものではない。とはいえ混雑しているよりはよほど快適。3分くらいで県境を越えた。
  
境港・目玉オヤジの街路灯境港側から境水道を見ると、あらためて島根県側の山が迫っているのに気づく。まさに「川」という感じの海だった。境港駅までもさほど遠くなさそうで、市街地を歩くとやがて「水木ロード」の入口が見えてきた。鬼太郎など水木しげる氏の作品のキャラクターを街並みに配し、店にも妖怪グッズなどを売るところが多い。この日はシーズンオフに近いせいかさほどの人出ではなかったが、目玉オヤジなどと一緒に写真を撮る人たちなどもいいて、かなり知られてきているようだ。「水木ロード郵便局」(もちろん本ものの郵便局)も存在し、独自のスタンプなど用意していた。境港駅近くには目玉オヤジをかたどった街路灯などもある。
 
境港側から見た境水道と島根半島境港の駅そのものはさほど大きくないが、すぐ近くにその数倍も大きなフェリーターミナルがあり、隠岐へのフェリーが発着している。境港駅からの米子行き列車はまずまずの乗車率で、米子駅前にはストリートライブも出ていてかなりの賑わい。ずっと以前に山陰に来たときとは駅前の様子もかなり変わっていたようだ。
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★サンライズ出雲
 
サンライズ出雲のミニラウンジ帰りは松江から寝台特急「サンライズ出雲」を利用した。のびのびシートと称する指定席もあるようだが、あとのことを考えて寝台(ソロ)を確保した。我ながら昔に比べると軟弱になったと思う(^^;)。サンライズ出雲は個室寝台中心の編成で、今思えばどうせなら11000円ちょっと奮発してもまだ乗ったことが無い「シングル」にすれば良かったかな、とも思う。ソロは「北斗星」に比べるとやや手狭なのは否めない。もっとも上段?だったため、室内灯を消して横になると窓から星空が見えて退屈しない。伯備線で中国山地を走っているあたりは空も暗くて星座もはっきり分かり、なかなか贅沢な気分だった。途中の生山駅だったかで、こちらの列車が入ると同時に駅舎に親子連れが現われ、乗るわけではないけど発車するまでの間ずっと子供が「サンライズ」を眺めていたから沿線の熱心な寝台特急ファンなのだろう。
  
終着間近のサンライズ出雲からの車窓食堂車やラウンジカーなどはないがミニロビーのようなスペースがあり、持込の夕食を食べたり、時々そこで本など読んで過ごした。山陰と首都圏を結ぶ列車だけど岡山あたりからも利用がけっこうある。大阪発車あたりで寝ようと思ったが、どうもあまり熟睡した気がしないうちに明るくなっていた(^^;)。
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