このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1587年、豊臣秀吉が京都に営んだ城郭ふうの邸宅。

桃山芸術の粋を集め、絢爛華麗な建築物であったらしいが、
後に秀吉自身によって廃却され、現在は石碑のみが残る。

大徳寺 唐門 は聚楽第の遺構と伝わる。
西本願寺の飛雲閣もその遺構といわれるが、はっきりとした証拠は発見されていない。

聚楽第址の石碑

聚楽第の敷地の中心だったあたりに建っている

京都市上京区小川通上御霊前東入ル

この写真の”妙覚寺 大門”は、聚楽第の裏門と伝わる。

聚楽第は、天正14(1586)年豊臣秀吉(1536〜98)が
大内裏旧跡の内野に構築した邸宅で、翌年完成した。
北は元誓願寺通、東は堀川通、南は下立売通、西は千本通を外郭とし、
内郭には本丸を中心に北ノ丸、南二ノ丸、西ノ丸の曲輪が築かれたと推定されている。
文禄4(1595)年、秀吉は豊臣秀次(1568〜95)を謀反の疑いで自害に追いやり、
秀次の居所となっていた聚楽第も破却した。この石標は聚楽第跡を示すものである。

聚楽第址(じゅらくだいあと)

妙覚寺(みょうかくじ)

聚楽第址
妙覚寺 大門

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