このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

天正19年(1591)、豊臣秀吉の命により京の町は22.5キロメートルにもおよぶ
土塁によって囲まれた。 

東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条までの範囲で、世にいう「御土居」である。

御土居は、高さは地上3メートル、断面は台形をなしていて基底部の幅は約9メートルの
土塁で、この土塁の外部には幅3.6メートルから18メートルまでの川が延々と随伴しており、
この頂部には竹木が植え込まれ、勝手に切ることが禁じられていた。

秀吉死後、徐々に壊されたが、それでも幕末までは半分近くは残っていたとされている。
現在では、次の9ヶ所が史跡指定されており往時の姿をとどめている。

①京都市北区鷹ヶ峯旧土居町2
②京都市北区大宮土居町
③京都市北区紫竹上目町上堀川町
④京都市上京区広小路上ル
⑤京都市中京区西ノ京中合町
⑥京都市上京区北野馬喰町
⑦京都市北区平野鳥居前町
⑧京都市北区紫野西土居町
⑨京都市北区鷹ヶ峯旧土居町3

また、御土居には諸国への出入り口が設けられ、現在の鞍馬口・荒神口・丹波口などの
地名はその名残である。

鷹ヶ峯御土居

大宮御土居

紫竹御土居

鷹ヶ峰御土居
大宮御土居
紫竹御土居
紫竹御土居
紫竹御土居
紫竹御土居
御土居について

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