このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
京都の町の中心部を東西に伸びる御池通り。
御池通りはJR二条駅から東に進むと、堀川通りとの交差点から急激に道幅が広くなっています。
「おぉ? なんで同じ通りなのにこんなに広くなっちゃうの?」と思われませんか?
堀川通りから西側の御池通り
車線の数は、3車線
堀川通りから東側の御池通り
車線の数は、なんと8車線!
ほらね、劇的に広くなっているでしょう?
実は、これには理由があったのです。
時は太平洋戦争末期、昭和20(1945)年、建物が密集している地域は、空襲の際、
焼夷弾(アメリカ軍は、当時の日本の建築物は木造によるものが多いことから、着弾の後、
火災を発生させる焼夷弾を空襲に使用した)による火災の延焼を防ぐため、”建物疎開”を
おこなったのです。
”建物疎開”は、空襲の際の火災による延焼を防ぐため、建物密集地は建物を取り壊し、
道幅を広くし、火災の被害をできるだけ少なくすることが目的とされました。
建物の取り壊しは、現在のように重機を使うのではなく、建物の柱に綱をくくりつけ、
その綱を、まさに”運動会の綱引き”のように引っ張り、建物を倒すという方法だったそうです。
御池通りの堀川通りから東側は、”建物疎開”の対象地だったため、両脇の建物が取り壊された
ために、堀川通りの東西で、御池通りの道幅はこんなに違うということになっているのです。
他に、”建物疎開”の対象となった通りは、智恵光院通り。
智恵光院通りは、”
西陣
”と呼ばれる一帯を南北に伸びている通りのひとつで、それらの中では、
やはりひときわ道幅が広いです。
さらに、紫明通りも建物疎開を実施しています。
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