このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

吉次信高という男が牛若丸の噂を聞き、鞍馬へやってきた。
吉次信高は有名な金商人で、金の買い付けのため、京都と奥州を行き来しており、
商売柄、奥州藤原氏と親交が深かった。
吉次は、藤原秀衡が鞍馬山に預けられた義朝の子に会いたがっていることや、
源平の戦いがあれば秀衡所有の18万騎が源氏に味方することなどを語り、
牛若丸の思いを奥州に向かせ、牛若丸は京都を離れ奥州へと旅立つことになる。

この地は、牛若丸を奥州藤原氏のもとへ伴ったと伝えられる金売り吉次の屋敷跡といわれ、
旅立つ際にこの井水を汲んで別れを惜しんだという伝承がある。
この石標は首途(かどで)の井戸跡を示すものである。
京都市右京区花園艮北町

京都市左京区

奥州に向かう途中、この地で牛若丸は9人の武士とすれ違う。
その時、相手方の馬が水を撥ね、首途に水をさされたと牛若丸は怒る。
しかも相手が平家の武者と聞くや、たちまちその9人を斬ってしまった。

この「蹴上」という地名は「牛若丸に蹴り上げた水」が由来であるといわれている。

牛若丸首途乃井(うしわかまるかどでのい)

蹴上(けあげ)

牛若丸首途乃井
蹴上

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