このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

猿ヶ辻の変

皆さんは京都御苑に猿がいるのをご存知ですか?

場所は、京都御所の北東角です。
ここには、烏帽子を被り、御幣を持った猿が金網の中に封じ込められています。

そのため、京都御苑のこの場所を「猿ヶ辻(さるがつじ)」といいますが、ここに猿がいるのは
ちゃんと訳があるのです。

北東の方向(艮(うしとら)の方角)は悪い鬼が入ってくると信じられ、表鬼門とされてきました。
猿は、難が去る(猿)とかけて、鬼門を守る魔除けなのです。

さて、この京都御所にいる猿なのですが、比叡山延暦寺の地主神、日吉大社の使いとされ、
れっきとした由緒のある猿なのです。

なぜ金網の中に閉じ込められているのかというと、実はこの猿は、夜毎築地塀から抜け出しては
悪戯を繰り返していたため、金網で閉じ込めることにしたという話が伝わっています。

さらに、京都御所、猿ヶ辻は、ここだけ築地塀が内側にへこんでいます。
つまり、北東角である鬼門の角を無くし鬼封じをしているのだとか・・・

いや〜、さすが京都御所、徹底してますね〜。

猿ヶ辻

京都御苑 猿ヶ辻(きょうとぎょえん さるがつじ)

京都市上京区京都御苑

猿ヶ辻

京都御苑 猿ヶ辻の築地塀(この場所だけ塀が内側にへこんでいる)

猿ヶ辻の猿

金網に閉じ込められた猿ヶ辻の猿

文久3(1863)5日20日、この猿ヶ辻で尊皇攘夷派の急先鋒だった公卿、姉小路公知が何者かに
斬殺されました。
世にいう「猿ヶ辻の変」です。

公知は、ちょうど御所での攘夷をうながす会議を終えた帰り道に猿ヶ辻にさしかかったところでした。

薩摩藩士・田中新兵衛が犯人として捕縛されましたが、田中は取り調べ中に自殺しました。
本当に田中が犯人だったのか、真相は不明のままです。

真犯人を知っているのは、この猿ヶ辻の猿だけなのか・・・

当時、このあたりは公家屋敷の軒の混んだ、昼でも薄暗いところだったといいます。

田中 新兵衛(たなか しんべえ)

薩摩の人で、薬種商の子として生まれる。 また、一説には船頭の子ともいう。

尊王攘夷運動に共鳴し、文久2(1862)年に京都へ上り、いくつもの暗殺計画に実行犯として
関わったことから「人斬り新兵衛」の異名を残した。

「猿ヶ辻の変」で、現場に新兵衛の刀の鞘が落ちていたため、容疑者として取調べを受けた。

このとき新兵衛は、容疑をかけられたことより、愛刀を何者かに奪われたことを恥辱として
自害した。

この「猿ヶ辻の変」によって、薩摩藩は御所九門の警護役を解任された。

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