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将軍家茂、摂海巡視

文久3(1863)年4月21日〜5月11日にかけて、将軍徳川家茂(いえもち)が大坂へ
巡視へ向かう警護に壬生浪士組も参加した。

それに先立ち、幕府方や沿道の観衆にアピールする絶好のチャンスと壬生浪士組は隊服を
作ることを企画し、大坂の豪商鴻池家から200両(約600万円)を借用し、京都の大丸呉服店で
隊服をあつらえた。

あの有名な「浅葱のうすい色、袖口と裾に白い山形を三角に染め抜いてある」羽織である。
これは、当時八木邸の主だった八木源之丞の子孫である八木為三郎が昭和初期に証言した。

この羽織は、歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」での赤穂浪士たちの衣装を参考に土方が
デザインしたといわれている。

だが、近藤や土方はほとんど着用しなかったともいわれている。

さて、この新調した隊服を着て将軍警護に同行した壬生浪士組、会津藩士が、
「将軍の往還したまえる、必ずその路次を警戒す。 浪士時に一様の羽織を製し、
長刀地に曳き形貌甚だうるわしく。 列をなして行くという印象を書き残している。

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