このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新選組と京都

新選組といえば京都と思う人が多いかもしれない。

確かに新選組は京都で誕生し、”池田屋騒動”や”禁門の変”など新選組が華々しく活躍した
のも京都の地だ。

彼らは”壬生狼(みぶろ)”(壬生の狼)と呼ばれ、京都の人々から恐れられるが、
現在でこそ、幕末の大事件といえる”池田屋騒動”も”油小路事件”も、そして”坂本龍馬の暗殺”も
当時発行された”瓦版”には、まったくそれらの記載がない。

当時、庶民のレベルにおいて、それらの事件は認識されておらず、関心がなかったことが
うかがえる。

さらに、活動の舞台だったはずの京都には、新選組の遺品が意外なくらいのこっていない。

”戊辰戦争”の引き金となった”鳥羽・伏見の戦い”において、新選組を含む幕府軍は、立場上、
いわゆる賊軍となってしまったため、明治時代以降、新選組の遺品は、新政府の目をはばかって
京都の関係者の手によって処分されたものと思われる。

現在にのこる新選組の遺品は、局長・近藤や副長・土方の故郷である現在の東京都日野市に
のこるものがほとんどである。

この地は、幕府の直轄地で、この地の人々が彼らを支援し続けており、彼らの親族によって
近藤や土方が京都からだした書簡や武具などが大切に保管されたのであろう。

新選組の活動期間は、文久3(1863)年の新選組誕生〜明治2(1869)年の箱館戦争終結までと
とらえることができるが、このサイトでは「京都探索隊」ということから、
新選組の誕生から鳥羽・伏見の戦いまでをとりあげてみることにしたい。

おそらく彼らは、絶頂期を京都で迎え、歴史の渦に巻き込まれ京都の地で賊軍となった。
京都において天国と地獄を味わったであろう彼ら、「新選組といえば京都」といわれる所以
なのだろうか。

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