このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鞍馬弘教総本山。770年(宝亀1)鑑真の高弟鑑禎が
毘沙門天を本尊として奉安したのが起こり。
平安時代は京都の北方守護の寺として信仰を集めた。
本殿金堂、多宝塔などは近年再建され、鉄筋造り。
境内の「鞍馬山霊宝殿」の1階は、山内の動植物、
鉱物などを展示する自然科学博物苑展示室、
2階は寺宝展観室と與謝野晶子の遺品を展示する與謝野記念室、
3階は国宝の毘沙門天像などの仏像奉安室、宝物収蔵庫がある。
本殿裏から奥の院への山道に牛若丸の遺跡がある。
建立:770(宝亀1)年

牛若丸は7歳になったところで、母常盤御前によって鞍馬寺に預けられる。

そして、16歳の頃、正門坊と名乗る僧が牛若丸の前に現れ、
牛若丸が平清盛に敗れた源氏の大将義朝の子であることや、
兄の頼朝が伊豆の国に流されていることなどを語った。

己の素性を知った牛若丸は、この日を境に平家討伐を一途に思い、
修行の日々が始まった。

京都市左京区鞍馬本町

仁王門

鞍馬寺の入り口です。 この場所で標高250メートル。

鞍馬寺は山寺です。 ここからずっと山道を登ります。
鞍馬寺を拝観するということは山登りをすることと言っても過言ではありません。

なお、この仁王門は俗界から浄域への結界とされています。

義経公供養塔(東光坊跡)

牛若丸は鞍馬寺の東光坊というところに預けられました。
それが、この場所です。

残念ながら建築物は、江戸時代には既に朽ちていたようで現在は残っていません。
この場所には写真のような義経公供養塔が昭和15年に建立されました。

この場所に牛若丸は約10年間暮らしていたのです。

九十九折参道(つずらおりさんどう)

仁王門をくぐってからはずっとずっと登り坂・・・
これを九十九折参道という。

清少納言が”枕草子”の「近うて遠きもの」の中に「くらまの九十九折といふ道」と
記したのがこの参道です。

本殿金堂

本殿金堂は千手観世音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊を奉安する鞍馬山信仰の
中心道場で、四六時中祈りを捧げる人の姿が絶えません。

これら千手観世音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊を鞍馬の三身(さんみ)といい、
三身一体となって尊天といいます。

尊天とは、この世に生命を授かるものすべてを産み出す宇宙エネルギーのことで、
三身のもつ霊気によって我々は生命を輝かせることができるといいます。

なお、ご本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年のみ扉が開かれます。

ちなみに、この本殿で標高410メートル、仁王門からの距離は1058メートル、
高低差は160メートル登った。

阿吽の虎

本殿金堂の前には狛犬がいますが、実は狛犬ではなく虎です。
阿吽の虎といいます。

虎は、ご本尊の一尊である毘沙門天のお使いであるといわれる神獣で、
毘沙門天ご出現が、寅の月・寅の日・寅の刻であったことから、特に、
鞍馬山では大切にされています。

雲珠桜(うずざくら)

鞍馬山の桜といえば雲珠桜が有名ですが、本来、特定の桜の品種を
指すのではありません。

鞍馬山には、里桜もあれば、山桜もあり、枝垂桜も八重桜もあります。
それら色も姿もとりどりの桜が、松や杉・檜などの常緑の木々の中に
混じって点々と、白色・薄紅色あるいは濃い紅色に咲き、その様子が
平安時代の唐鞍のしりがいの部分の飾金具にある雲珠模様に似ている
ところから雲珠桜というのです。

奥の院参道

本殿金堂の横からのびる奥の院参道。
ここからもさらに登り坂!!

息つぎの水

牛若丸は、夜ごと東光坊から本殿を経て、この先の僧正ヶ谷まで兵法修行に
出かけたが、その途中にのどを潤したと伝えられる清水です。

飲んでみるとおいしかった。 口に含むとやわらかな感じがした。

背比べ石

鞍馬山を発って奥州へ下る16歳の牛若丸が、名残を惜しんで背比べをしたと
伝えられる石です。 当時の牛若丸と同じくらいの高さといわれています。

しかし、思っていたよりずいぶん低い。 150センチもないんじゃないかなぁ。
16歳にしては、牛若丸も背が低かったんだと思ってしまった。

ちなみにこのあたりが参道の頂上付近。
標高485メートル、仁王門からの距離は1462メートル、高低差は235メートル登った!!

木の根道

奥の院参道の一部。 まったくの山道。

岩盤が固く、地下に根を張れない杉の根が地表に伸びている。

不動堂

その昔、伝教大師が天台宗開宗の悲願に燃え、一刀三礼の礼を尽くして刻んだ
と伝えられる不動明王が奉安されています。

このあたりを僧正ヶ谷(そうじょうがたに)といい、杉の大樹がそびえ立ち、森厳の気が
満ちるここで、牛若丸が鞍馬天狗と出会い、毎夜兵法の修行に励んだとされる場所です。

ちなみに幕には寺紋が描かれています。
さすがに、鞍馬天狗にちなんで「天狗のうちわ」が鞍馬寺の紋章かと思ったのですが、
じつは・・・

この寺紋は菊の花を正面ではなく、横から見たところをデザインしたものと伝えられています。
しかし、やはり多くの人から「天狗のうちわ」と誤解されるそうな・・・

義経堂

奥州衣川で若い命を散らした源義経の御魂は、幼少時代を過ごしたなつかしい
鞍馬山に戻って来たと信じられ、護法魔王尊を補佐するために遮那王尊として
ここに祀られています。

魔王殿

ここに護法魔王尊が奉安されていますが、護法魔王尊は今から650万年前に、
人類を救済するために金星から降臨したと伝わっており、降臨された場所が
ここだといわれています。

蛇足ですが、滋賀県の近江八幡市には、「太郎坊宮」という神社があります。

太郎坊とは天狗の名前で、鞍馬の天狗は次郎坊といい、この二人は兄弟だそうです。

鞍馬寺(くらまでら)

仁王門
義経公供養塔(東光坊跡)
本殿金堂
阿吽の虎
阿吽の虎
雲珠桜
息つぎの水
背比べ石
木の根道
不動堂
義経堂
魔王殿

その後の探索でわかったこと

背比べ石の高さは1.2メートルであることが判明。

16歳の牛若丸は、身長1.2メートルだったということになります。

牛若丸は、やはり背が低かったのですね。

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