このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

島内観光&父島出航〜おがさわら丸(船中泊)

 
 

5日目(1998年7月5日)

 
 

7:00に起床し朝食を7:20から食べた。朝食後荷物を整理し宿の精算をした。今日はもう出航日なのでだんだんブルーになっていった。今日は島内巡りでもしようと思っていた。ユースにいた4人が海洋センターとその前の海でシュノーケリングをしに行くというのでちょうど私も行こうと思ったので原付バイクを父島タクシーで借りて行った。ユースの原付バイクは安かったんだけど空いてるのがなかった。海洋センターはアオウミガメを飼育しているところで、行ったら今日は休館日で入れず前の海でシュノーケリングをした。初日の夜に海洋センターで働いている人がユースに来ていて話を聞いたときに前の海の枝珊瑚が群生きれいだといっていたので見たらその通りで良かった。魚もたくさんいた。 
その後はみんな行く方向が違ったので別れ私ともう1人で父島観光をした。北のほうから南へ行くことにした。まず始めに大根山公園へ行った。そこは彼が気にいて入る場所らしく景色も良かったし昼寝にも最適な場所だった。そのもう少し高いところにある三日月山展望台へ行った。そこは最高の景色だった。天気がとっても良かったので母島やケータも見えた。海の色が鮮やかに見えた。そこでユースの人が寝ていた。すごい気持ちよさそうだった。「私もそういう時間があったらなぁ…」と思い、すごいうらやましかった。 
次は長崎展望台へ行った。ここからの景色も最高だった。断崖絶壁なので一番端に立ったら気分が良かった。次は初根浦展望台へ行った。20分くらい下っていくと砂浜があってそこに行ってみたかったけど時間もなかった。そこにはアオウミガメが産卵しにくると言ってた。次は中央山へ行った。父島で一番高いところで父島全体を一望でき、また他の島も見えて360度全ての景色が良かった。次は亜熱帯農業センターへ行った。 
帰りにスーパーによっておがさわら丸で食べる食料を買い込んでユースに12:00ごろ帰った。荷物を整理し13:15にユースを出発するのを待った。 
船の乗船券を交換してきてもらったのを受け取り二見港へ向かった。まだユースの人や小笠原にまだ滞在している人も見送りに来てくれた。おがさわら丸の出航は島の一大イベントかのように(現にそうだと思う)みんな発着所へ集まってきた。 
ユースのみんなで記念写真を撮りお別れをして乗船した。一緒に帰るユースの人は固まって2等の部屋になった。荷物を置き外に出てユースの見送りの人が見れるように前方のほうへ行った。みんな手を振ってくれていた。ユースの旗もありそこには「行ってらっしゃい、お元気で」と書いてあった。そうなのです。島を出ることが「行ってらっしゃい」で島に行くことが「お帰りなさい」なのです。その情景を見たときに帰るのが残念な気持ちと船の出発の時の別れはいいなぁという気持ちになり感動した。今までこんな見送りなんて初めてだった。そしてどこからか「大野さーん」と桟橋から声をかけてきた人がいたのでよく見るとパパスでお世話になったガイドの人だった。こっちなんて全然気が付きもしないのにしかも1日しかお世話になってないのに名前もわかって声かけてくれるなんてとっても感動だった。「また来て下さいね?。」と言われたので、私は「また来ま?す。」と声をかけた。 
船が出航し岸壁を離れていった。みんな手を振ってくれていた。出航するとおがさわら丸の回りにはスキューバーなどのショップの船や漁船が10隻以上も両サイドについてきた。 
パパスの船もSea?Tacの船ももちろんあった。それらの船に何度も手を振った。30分以上ついてきていた。ほとんどの船に乗っている人は最後に海へ飛び込んでいた。「俺も送る立場になって海へ飛び込みたかったなぁ…」という気持ちになった。 
出航から1時間も経つと最後の船もいなくなり小笠原に別れを告げた。ユースの人たちが三日月山に行って鏡でおがさわら丸へ向かって光を反射させると言っていたのでずっと見ていたがわからなかった。 
あとは船室に戻り船の中の退屈な時間が始まった。他のユースの人と話したり本を読んだり寝たりしていた。夕日を外に見に行ったらとってもきれいな夕日が見れた。夕食は初めて食堂へ行った。カレーライスを食べた。船は帰りも揺れはほとんどなかったので快適だった。10:00消灯で寝たが寝ていても背中が焼けて痛くてつらかった。 
 
 
 
 
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