このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Ⅵ 21世紀という名の未来へ  まとめ
今回の調査では、私たちの学校の1年生、清水市立袖師中学校の生徒の皆さんにアンケートを配付し、合計236枚の回答を得た。まずは、結果を見ていただきたい。

Ⅰ.「近くにプールと海水浴場があればどちらに行きたいか」では、いろいろな海の楽しみがある海水浴場に圧倒的支持が集まると思われたが、以外と「プール」「どちらとも言えない」票が集まった。やはり海水浴場より手軽で安心して泳げるという点で、プール派が多いようである。
Ⅱ.今までに行ったことがある海水浴場に関する調査では、清水市民がアンケート対象者に多いだけあり、「その他・伊豆」などの海水浴場に比べ「三保海水浴場」は圧倒的に多かった。
Ⅲ.このアンケートの最重要事項でもある、袖師海水浴場についての認識度調査では、清水東高校と袖師中学校で大きく分かれた。まず、清水市やその周辺市町から通学している清水東高校の生徒は、知っている人が全体の15.2%と予想通り非常に少なかった。袖師中学校では当初、地元だけに知っている人は80%は越すであろうと予測していたが、56.7%と意外に少なかった。これは、1つに年月の経過、もう1つに袖師地区へ新しく引っ越してきた人々などが影響しているのではないだろうか。すなわち、全体的に、袖師海水浴場の記憶は徐々に薄れてきていることが推測される。

 袖師海水浴場はなぜ多くの人々に愛されたのか。これは1つの大きなテーマでもあり、結論として先に挙げた3つに絞り込むが出来た。この研究の中で、多くの方々と接してきたが、どの方々も1つ1つ丁寧に教えてくださった。その中で一番感じたのは、人々の心の温かさである。海水浴場が愛された理由、その裏には袖師地域、また海水浴場で働く人々の地道な努力と情熱、温かい人情があるといえる。
 袖師海水浴場は、まだ娯楽が少なかった時代の人々の『人間模様』を映し出してくれた。夏には多くの人が波とたわむれ、海で涼む。しかしそれは現在のように何でもそろう時代ではなかった。それを裏で支えた多くの人達の活躍と苦労は私たちには計り知れないものであった。そして、現在、海水浴客のはしゃぎ声をのせた潮風はコンテナ船の波を切る音を運ぶようになった。清水港を出港したコンテナ船は国内に限らず世界中の国々へと向かっていく。そしてまた、清水へ戻って来、再び旅立つのだ。
袖師海水浴場の盛衰は一体なにを物語るのであろうか。もし、今海水浴場が残っていたら……。果たして以前の姿を守ることが出来たであろうか。確かに、地理的条件、交通の便においてすばらしい環境であったかもしれない。だが、工場や一般家庭からの排水、海岸自体の浸食、交通の要所であるための騒音など、海水浴場はさらに悪い方向に姿を変えていったであろう。そう考えると、現在、清水港の重要な一角として世界に向けて発進、発展していることは、良い選択であったのかもしれない。
 しかし、平安の昔より青松白砂と云われてきた美しい海岸。これを変えてしまったのも事実である。「自然」か「開発」か。これは一概にどちらが正しいとは決して言えない難しい問題であるといえる。

 近年、九州諫早湾で行われた干拓。これも「自然」か「開発」かで大きくもめた一例である。酸性雨、熱帯雨林の伐採、オゾン層の破壊など、環境問題が世界的大問題に発展している今日。21世紀、このような自然と向き合っていく問題は、日本のみならず世界中で起こり得るさけて通れないことであろう。

 今日の袖師第一埠頭は、20数年がたった今すばらしい発展をし、成功を収めている。しかし、いつ不測の事態が起こるとも限らない。そうならないために、今後より一層の安全対策を願わずにはいられない。

国内屈指の貿易港・清水港。その一角にある主要外貨・コンテナ貨物用の袖師第一埠頭。そこはかつて多くの人々に愛され、時代の流れの中、姿を変えた横砂海岸ーー失われたリゾート・袖師海水浴場があったのだ。そして、それは形を無くしても依然として多くの人々の心の中に生き続けている……。

国内屈指の貿易港・清水港。その一角にある主要外貨・コンテナ貨物用の袖師第一埠頭。そこはかつて多くの人々に愛され、時代の流れの中、姿を変えた横砂海岸ーー失われたリゾート・袖師海水浴場があったのだ。そして、それは形を無くしても依然として多くの人々の心の中に生き続けている……。

文責・袴田










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