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Ⅴ 袖師から世界へ 〜袖師第一埠頭の現状とこれから〜

袖師埠頭の歴史概略年表

明治32年 1899 開港場に指定される。
大正12年 1923 護岸、防波堤造られる。
昭和14年 1939 東亜燃料進出
  29年 1954 清水港長期計画決定
           第一期工事実施(〜1959)
  34年 1959 臨海工業地帯造成として、袖師、興津間の道路工事着
          工
  36年 1961 第一次五カ年計画実施(〜1964)
  40年 1965 第二次五カ年計画実施(〜1967)
  43年 1968 第三次五カ年計画実施(〜1975)
           ・袖師地先に第一埠頭を造成
           ・興津防波堤、三保防波堤を造成
           ・袖師地先に石油配分基地を造成
           ・東燃と豊年製油工場地先に臨海工業用地を造成
  44年 1969 ・市議会建設水道委員会は袖師海岸水面埋め立て案件
  を公園緑地、公共用地確保の条件付きで可決した。
  48年 1973 オイルショック
  50年 1975 清水港袖師臨港道路江尻高架橋完成
  51年 1976 第五次五カ年計画実施(〜1980)
  56年 1981 袖師第一埠頭コンテナヤード一部共有開始
           第六次五カ年計画実施(〜1985)
  57年 1982 袖師第一埠頭コンテナターミナルオープン
  61年 1986 第七次五カ年計画実施(〜1990)
平成 3年 1991 第八次五カ年計画実施(〜1995)
   5年 1993 袖師第一埠頭に立て掛け式コンテナシャーシプール建
          設
   6年 1994 袖師第一埠頭にスーパーコンテナクレーン供用開始
   8年 1996 第九次五カ年計画実施(〜2000予定)
  11年 1999 開港100周年

 昭和36(1961)年からの工事は順調に進んでいたが、当時、高度成長期の日本の経済発展はめざましいものがあり、清水港においても計画による昭和42(1967)年の貨物取り扱い目標を早くも昭和37(1962)年に達成し、また入港船舶の大型化、及び入港船舶の急激な増加もあり、施設の増強は緊急を要する状態にいたった。そのため、五カ年計画は目標年次に到達しないうちに、二次計画、三次計画と計画の変更を余儀なくされた。

袖師第一埠頭の主な取扱貨物
(資料32・袖師第一埠頭の割り当て参照) 
(資料33、34・袖師第一埠頭利用推移参照)
  外貿コンテナ貨物、原木、水産品、鉄鋼、砂利、砂、自動車

・コンテナ貨物−− 1970年、興津第二埠頭で清水港における「コンテナ時代」の幕があけた。以来、コンテナ貨物の飛躍的な増加に 伴い、袖師第一埠頭をコンテナ貨物用の埠頭として整備してきた。現在、清水港の主要外貿地区として整備されている。コンテナターミナルでは、コンテナクレーンが昼夜を問わず(年末年始、海の日を除く)活動している。
(資料35,36・コンテナ貨物について)      
・原木 ーー 木材は清水港の主要な輸入貨物であり、全輸入貨物用の28パーセント(1998年)を占めている。
(資料37・木材について)

清水港の将来
・新興津地区−−− 増加する海上コンテナ輸送やコンテナ船の大型化に対応するため、国際コンテナターミナルを新たに建設する。大規模地震の発生時も国際物流機能を確保するため耐震強化岸壁として整備する。

・折戸地区−−−− 原木から製材品へといった輸入形態の変化に対応した新たな木材埠頭を建設する。折戸湾横断道路を整備する。

・三保地区−−−− 近年の海洋性レクレーションの需要の増大と、港内に散在しているレジャー用ボートの適正な配置のためにマリーナを整備していく。港湾緑地を整備。


《まとめ》
海水浴場の埋め立ては昭和35(1960)年の臨海道路から始まる。船舶の大型化や輸送量の増加に対応するために、袖師第一埠頭の建設は必要不可欠であった。
 現在、コンテナ貨物の増加とコンテナ船の大型化に対応するため、という袖師第一埠頭を造ったときと同じような理由で、新しいコンテナターミナルを建設している。また折戸には、木材埠頭を建設するという話もある。

 最近、特にに変わったと思うのがレジャー施設の増加。今年10月にオープンしたエスパルスドリームプラザ、そしてその外にはヨット係留場、イベント広場、スケートパーク、人工の砂浜がある。昔、海岸線にいくつもあった海水浴場は大勢の人で賑わっていた。この新しいレジャー施設は、どんな夢を見せてくれるだろうか。開港以来、その様相を常に変化させてきた清水港、これからさらに変わっていきそうである。
文責・大石

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