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尊卑各各差序あり、相臣服するに足る。租賦を収む、邸閣あり……その国、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ、相功伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。………官室・楼観・城柵・厳かに設け、常に人あり、兵を持して守護す。………卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴隷百余人。
 
         『魏志倭人伝』      
            邪馬台国の記述より


1999静岡県立清水東高等学校・学校祭
郷土研究部ヤヨイ(弥生)家の食卓〜2000年前のライフスタイル〜
date 1999/6/12/13




①BACK TO THE YAYOI !! ヤヨイの世の中って?

海の向こうから誰かがやってきた。
その人たちは、私たちが知らないものを持っていた。
弥生文化の始まりである。


①弥生時代っていつ?
今から約2000年前、紀元前3世紀頃から紀元後3世紀くらいまでの約600年間を指します。この頃中国では、戦国時代→秦→前漢→新→後漢、そして三国時代と激動の時代です。また、ヨーロッパでは、イエス=キリストの生誕の頃に当たります。

②弥生時代の概要
 この弥生時代は、水田を広げて米を作り、鉄や青銅を使い、機織りをするなど大陸文化の影響をたくさん受けました。銅鐸などの道具を使って豊作を祈る祭りを行われました。また、武器も盛んに作られ、各地で起こりはじめた戦争のために、村のまわりを深い堀で取り囲んだだり(環壕)、土を盛り上げて土塁や柵を巡らせて敵から村を守るようになりました。
 弥生時代後期、倭(当時の日本)は争いが続き、戦乱をおさえるため卑弥呼が邪馬台国の女王となった頃、登呂に村がありました。登呂の村が廃れたあと弥生時代は終わりを告げ、地方に豪族が現れる古墳時代に移っていきます。(文献=特別史跡・登呂遺跡)

③弥生時代の特徴
1・稲作の広がりと金属の導入
2・権力と戦争の時代
3・弥生土器の生産










②−特別展−ヤヨイへのいざない 協力・静岡県埋蔵文化財調査研究所

2000年前の人々の道具に耳をかたむけてください。
古代の人たちの声が聞こえてきませんか……


 今回、本物の発掘品をお借りしました。どれも貴重なものばかりです。ホンモノを是非間近で味わってください。

注・これらの展示品は、特殊な化学処理が施されています。とても貴重なものばかりで すので、絶対に手をふれないでください。
 ・幾分、説明が当日掲示しているものと違いますが、ご了承ください。

−農具−
 米の普及,金属器の導入により、農具も発達していきました。これらの農具を見て分かるように、木工技術はかなりのものだったと推測されます。道具なくして、米は作れないのです。

①一木鋤 ②二又鍬
これらの農具は、現代使われているものとあまり変わらないといえるでしょう。先の部分は木でできています。鉄は貴重品だったようです。
一木鋤 瀬名10区 カシ 古墳時代前期
・二又鍬 瀬名遺跡 カシ 弥生時代〜古墳時代前期



③腰柄
 鍬,鋤の柄の部分です。
・腰柄 瀬名9区 サカキ 弥生時代〜古墳時代前期


④竪杵
この木製バットを2つくっつけたようなもの。今の感覚からすると、”餅つき”を連想してしまいますが、当時は”米の脱穀”として使っていました。これを餅つきとして使われるようになったのは、まだ後の時代です。
・竪杵 角江遺跡 クヌギ 弥生時代後期


⑤田下駄
 弥生時代を語るためには欠かすことのできない道具である田下駄。一言で田下駄といっても、様々なバリエーションがあります。横に長いもの、足置きがあるもの……。それぞれの足にあったオリジナル田下駄が作られていったことでしょう。
・田下駄 Ⅰ 瀬名遺跡 スギ 弥生時代中期
      Ⅱ 瀬名遺跡 スギ 弥生時代中期
      Ⅲ 瀬名遺跡 スギ 古墳時代〜奈良時代



−祭祀用具−
 日本には多くの神々がいるといわれます。弥生時代、このミニチュア臼に象徴されるように、米の神様に対する信仰がとても強かったです。米作りが盛んに行われたといっても、現代のように農薬はないし、気候、自然災害には大きく左右されたのでしょう。米が少ない。生産社会において、これはかなり大きな打撃を与えます。苦しいときの神頼みではありませんが、そんな思いだったのでしょうか。
出雲・加茂岩倉遺跡で、銅鐸39個が見つかりました。弥生時代の祭器といえば、銅鐸といった青銅器が出てくるのではないでしょうか。青銅器の技術も大陸からもたされた物です。作られた直後の銅鐸は何色?といわれると、あの緑かかったものを想像してしまいがちですが、本当は全く違います。元をたどれば、何を隠そう『銅』なのです。作られたばかりの頃は、黄金に光っていました。深緑は、銅がさびたためなのです。
 
⑥ミニチュア臼
本当に使う臼のミニチュア版です。豊作を祈り、神に願う。これには弥生の人たちの思いが込められています。
・ミニチュア臼 角江遺跡 クリ 弥生時代中期


⑦鳥型
 これを一目見て、なんだか分かりますか?いってみれば、『神様とのメッセンジャー』です。鳥は自由に空を飛び回ります。その鳥たちを弥生の人々は、神様に願いを届けてくれる動物ととらえました。そしてこの鳥型を作り、田んぼに掲げたのです。










③復元・そして体験!! ヤヨイのライフスタイル〜住居・田んぼ・火おこし〜

ヤヨイの感じって、どんな感じ?
味わっていただきましょう!!

 ヤヨイのライフスタイルということで、住居,田んぼの復元と、火おこしの体験コーナーを設けました。どうぞご覧になり、体験していってください。












④郷土研究部・文化祭までの歩み















⑤終わりに……

 今回は、私たち郷土研究部の『ヤヨイ(弥生)家の食卓〜2000年前のライフスタイル〜』におこしくださり、ありがとうございました。今回は『弥生時代』をテーマに企画を行いました。弥生時代は、これまでも示してきたように、『米』によって形作られたといえます。安定した食糧供給を見込める米は、日本全国に広まっていきました。現代でも『米』は食べられ続け、日本文化の一端をになっています。しかし、それは同時に大きな貧富の差を生み出しました。権力者とそれに従うもの。縄文時代では、動物を捕獲する武器はあっても、人を殺すような武器、またはその形跡は現在まで確認されていません。しかし弥生時代のお墓から、首のない骨といったような戦いの形跡が確認されています。戦争の時代が始まったのです。『米』が日本にもたらした影響は、とても大きいといえます。とにかく、この『米』が現代の日本文化の基礎となったといっても過言ではないように思います。

 最近、新聞では毎日のように「○○で日本最古の△▽◇☆」などと、歴史的な発見がにぎわっています。そんな中、我が静岡県は、『登呂遺跡』もあり、弥生時代とのつながりが比較的深い地域となっています。今回、あまり詳しいところまで踏み込めなかった部分もありますが、昔の人たちの文化を振り返ってみると、現在に深く共通するものがあるなと強く感じました。
 弥生時代、それは決して、遠い過去の話ではありません。どうしても普段、このような歴史に関わりを持つことはなかなかできません。しかし、新聞・テレビ・博物館などなど、何らかの形で接してみると、ふと、昔の人たちのモノの考え方や文化を振り返ることができます。そうすると、聞こえてきませんか?
古代の人たちの生き生きとした声が……

                        郷土研究部 一年 袴田博紀 大石江美 岡村美里

                                                                         

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