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人事システム殺人事件 〜複雑な連鎖〜
第十章 ダウン
1 11月22日、金曜日、午前8時00分
朝八時滋賀F社のオフィスは静まりかえり電灯も点いておらず人の気配は全くない。朝の木漏れ日が窓の外からカーテンの隙間を通って斜めに降り注ぐ。床の絨毯には窓際に置いてある物の影だけが黙って映っていた。その影の一部が動いた。男が一人入口のドアを開け入室してきた。SFLには複数の鍵があり翌日社に出社する者が随時携帯している。男は自分のカバンを机の上に置いてそのままオフィスの奥にある会議室に入る。その隣のガラスで仕切られた小さな部屋に端末の本体・ホストコンピュータが配置してある。F社のオフコンの中でも高機種のため本体の大きさもバカでかい。壁の側面すべてにマシンが置かれ、真ん中に一台の端末がある。その右側の壁には中型のラインプリンター、反対側には箱型のページプリンターが置かれている。
男は真ん中の端末に座り、ホストコンピュータの電源を入れた。端末のディスプレイに文字が走りだし、明滅しては画面を変化させていく。
滋賀F社の端末は大阪の幸徳銀行、福島の北邦銀行と回線でつながっている。ISDNというデジタル回線により、高速かつ大量に情報を伝達できる。ここの端末を使用すれば多少の時間差はあるが、現地の端末と全く同じ作業が出来るのだ。
各銀行のホストコンピュータは行員が朝早くから使用することがあるため、F社のSEがいなくても稼働するよう、自動的に立ち上がるように設定されている。立ち上げ時間は午前八時。
ディスプレイが通常の操作画面になった。男は慣れた手つきでキーボードを素早くたたき北邦銀行との回線を開いた。男はスーツのポケットに入れてあった3.5インチのディスクをケースから取り出し、端末のディスク装置に挿入した。手早くコマンドを打ち、ディスクの中からプログラムを呼び出し、続いてそのプログラムを転送する準備にかかった。
男は少し緊張していた。今、自分が何をしているか十分承知している。ここまできては引き下がることが出来なかった。転送の準備が整った。あとは「入力/実行」のキー一つを押下するだけだった。男は一瞬ためらったが、意を決しキーを押そうとした。が、その手を背後からつかむもう一つの手が現れた。
男は驚いて後ろを振り向くと、そこには大仏のような大きな男、野田が立っていた。
野田は悲しそうにつぶやいた。「まさか、大西さんが犯人だなんて」
2 11月22日、金曜日、午後1時00分
小川誠はたまたま人事部に用事があって訪れた時に騒ぎを知った。人事部にはまだシステムが完成していないため予備に二台の端末を設置してあるだけだった。しかし、上階の本体とは接続してあるので、人事部の仕事としては十分に機能を果たしている。すでに完成しているプログラムだけを使用し、徐々に今までのシステムから新しいシステムに移行準備を進めていた。
金曜日の午後、突然その端末の画面が乱れた。職員がデータの入力をしていたところ画面が一瞬消え、次の瞬間普段は全く使わないカラーの画面が現れだし、それは一つの絵を形作った。それはマンガの様な人間の顔がアカンベーをしている絵で、その顔の上には「ざまーみろ」と太い文字で書かれている。職員は突然のことに我を忘れてしまった。自分が何か誤動作をしてしまったのか、慣れないコンピュータに不安を感じたが、どこをどう操作したらいいか分からず、すぐさま、ことの次第を上司に伝えた。上司の方もコンピュータに関しては全く関知していないので、すぐに担当の笹久間課長に連絡、笹久間と福谷が上の階から駆けつけた。 小川はしばらくことの成り行きを見ていた。自分も今の営業部に移る前は人事部にいて、このシステムの導入には大きな役割を果たしていたため興味があった。システムの作成が始まった時に異動したため、システムのでき上がりは全く見ていなかったが、時々人事部の知り合いに聞く話では、なかなか素晴らしいものが出来ていると噂はきいていた。そのシステムが今おかしくなっている。ただ単にプログラムミスやシステムの不調があったようには思われなかった。ディスプレイにあんな絵が現れ、笹久間と福谷も取り乱している様子だ、二人が他の職員と交わしている言葉の断片には「上もおかしいんです」、「全くどうなっているか分かりません」、「システムがダウンしたようです」、「データが全て消滅してしまいました」という素人が聞いてもただならぬ事態が起こっているのは分かった。
小川は思い出した。奴が言っていた言葉を。
———「もうすぐ、面白いことが起こるぞ」
これは奴の仕業なのか。小川はたとえ友人がやったこととしても、自分の職場である銀行のコンピュータを破壊されたのでは、冗談では済まされないと激昂した。
小川は人事部をあとにして、営業部に戻った。しかし、システムのことが気になり、なかなか仕事が身に入らない。終業時間近くになり、人事部の知り合いにさっきのコンピュータはどうなったかと尋ねたが、「システムがぶっ壊れたみたい」という最悪の返事が返ってきただけだった。小川は残業の予定を切り上げ定時で退社した。銀行のそばにある駐車場へ行き自分の車に乗って走りだした。
車は市街地から一一五号バイパスに入り、福島西インターチェンジから東北自動車道を北へ向かった。陽は既に沈み、西の山々がわずかに夕日の影となって見えるだけだ。外はすでに五度もなく車のヒーターを全開にするとウィンドウに水滴が付きはじめた。
スピードを出したいものの、もしここでネズミ取りにでも捕まったら元も子もないので、慎重に運転した。一時間ほどで仙台宮城インターチェンジに至った。あたりはもう真っ暗で青葉山も電灯がちらほら見えるだけで山の形が影になっていた。
車は仙台市街を通り抜け四五号線に入った。さすがに市街地は道路が混んでいてイライラしたが国道に入ってからは徐々に空きはじめた。もちろん、こんな夜に観光地松島へ向かう車などほとんどない。車は「末の松山」の歌枕で名高い多賀城を抜け、日本屈指の漁港、塩釜をも通過した。福島を発って二時間、車は松島に着いた。
松島と言えば日本三景の一つで、かの松尾芭蕉でさえもその余りの美しさに句を書けなかったとまで言われる東北一の観光地である。その美しい湾内には大小二百余りの島々が漂い伊達家縁の史跡も数多い。陸地に隣接した雄島や福浦島には橋を伝って渡ることが出来る。ただし、福浦島の橋は金を取られるが。もちろん他の島々を巡る遊覧船も多数あり、各地を巡れる。こういう海岸地域にはつきものの水族館もある。史跡としては伊達政宗が建立した瑞巖寺、バラ寺と呼ばれる円通院、海に突き出した陸地にある五大堂など観光と歴史、そして牡蠣や笹かまぼこなど食にも飽きさせない、優雅な海岸である。
しかし、そんな絶景もこんな暗闇の中では全く意味を成さない。月も無く雲が出てきたため海の輝きもない。塩釜を出ると右側に海が現れるのだが、今は闇だけが広がっている。しかし、小川にとっては全くそんなことは関係なかった。もちろん、福島に住んでいるため何度かここは訪れているが、今回はそんな気分でもなかった。とにかく、北邦銀行の研修所へ急いでいたのだ。北邦銀行は行員の研修やレクリエーションのため東北各地に保養所や研修所を持っている。松島の研修所もその一つで夏期にはよく利用している。
車は松島海岸駅の手前をパノラマラインに向けて曲がった。しばらく坂道を登ったところを路地に入った急な上り坂の先に研修所はあった。建物自体は二十年前ほどのものなのだが、最近外回りを改装したため見た目は新しさがかもしだされている。小川は以前人事部に所属していた時、ここのメインキーをコピーしておいた。研修所の管理は人事部の管轄である。しかし、今日は鍵 を開ける必要はなかった。すでに入口の扉は開いていたからだ。そして、中から明かりが灯り、その光の影の中から男が忍び寄った。
「早かったじゃないか、小川。九時ぐらいに来る予定じゃなかったんか?」
「山本・・・・・・」
3 11月22日、金曜日、午後8時16分
「山本、きさま、一体何を仕出かしたんだ。今日人事部はパニック状態になっていたぞ。コンピューターが“システムダウン”を起こしたそうだ。お前が仕組んだことなのか?」
薄暗い電灯の中から現れた。長身の男の視線は小川を見下げている。山本はすらっとした背の高い男で、髪は短く刈り神経質そうな眼鏡を掛けている。顔はすっきりとした顔立ちだが少々青白く感じられる。
「そうか面白いものが見られたか。仲間からの連絡がなかったんで心配しとったんだが、そうか、うまくいったか」山本は嘲笑しながら徐々に大げさな笑いへ変えていった。
「しかし、いくらなんでもあそこまでは。俺だって北邦の一員なんだぞ。黙って見過ごすことはできんぞ」
「何ゆうとんだ。お前だって裏ではいろいろやっとるくせに、第一銀行の勘定系のシステムを破壊したわけではない。たかが人事のシステムだ。お前には関係ないこったろ」
「だが・・・・・・」
「まあいい。とにかく次の仕事にかかろう。お前もその事のほうが気になっているだろ」山本は小川の言葉が煩わしいのか、顔色を変えて奥へ歩いていった。小川も不貞腐れたまま後を追った。
二人は二階に続く階段を登り、廊下を奥へ進んだ。その突き当たりの部屋の前には風体の悪い男が一人椅子に座っていた。山本は目で合図して、男を立たせ部屋の中に入っていった。
八畳と六畳のたたみの部屋で中には何もない。暖房だけは聞いているのか中は適当な温度だった。明かりは点いていたが部屋の中には動く様子の物がない。しかし、二人の男が中に入ると部屋の隅に固まっていた物体が二つ、わずかに動きだした。
「どうでっか、土田さん夕食はちゃんと食べましたか?」薄笑いを浮かべながら山本が尋ねると、土田と呼ばれた方の物体が静かに顔を上げた。普段、あまり髭の伸びない土田であるが、二週間も剃っていないと口の周りに不精髭が広がっている。
「山本さん、いつまで、ここに閉じ込めておくつもりなのですか?」何度同じ質問を繰り返しただろうか。ただし、今日はいつも「もう少しでっせ」という答えとは違っていた。
「お待ちどうさん。これから出掛けましょ」いつもと異なる山本の返答に土田はたじろいだ。
「出掛けるって我々を解放してくれるのですか?」
「まあ、そんなとこですね」山本の喋り方からは笑みが絶えることがない。
「何かあったんですか?もしかして、あのプログラムを動かしたんですか?」
「そうですよ。はっはっはっ・・・・・・。見事に北邦の人事システムは破壊されました。幸徳の方は確認していませんが、たぶん、今頃は大騒ぎでしょう。その騒ぎの為に大西も連絡が取れんのとちゃうかな。今日は私の誕生日です。素敵バースディプレゼントが届いて嬉しいですわ」
「小川さん、本当なんですか?」今まで黙っていたもう一つの物体、女性の深谷夏美が話し始めた。彼女も二週間軟禁されたためやつれている。長い髪のほぐれが、疲労の度合いを強調させていた。睡眠もあまり取っていないのか目も血走っている。竹内が見た写真の彼女とはかけ離れていて、彼女の美しさも疲労という浸食に蝕まれたようだ。
「本当だ」小川は相変わらず不機嫌な面で呟いた。
「何ということを。小川さんは北邦の一員でありながら見過ごしたんですか?」
「うるさい!俺には関係ないことだ。全て山本の企みだ」
「あなたという人は不正融資をした上に、そんな自分勝手な・・・・・・」
小川は山本にたぶらかされたのと、夏美を自分に思うとおりに出来なかったことに憤激していた。星野亡きあと夏美に近づいた。だが、その見識眼が大きな間違いであったことをいまさら痛感していた。俺も落ちたものだなと、思うしかなかった。最初は上手く彼女を引きつけることが出来たが、二十代の女アサリと同じようにしたのが失敗であった。夏美がこれほど真面目な女だとは思っておらず、美人の女はたいてい高慢で自尊心が大きいと考えたのが失策だった。夏美の美しさについ普段持ち合わせている慎重な判断力を惑わされたようだ。
「なんだと、それが・・・・・・」
「まあまあ、好きなように言わせたりな、どうせ騒げるのも今のうちなんだから」山本が小川をなだめた。
「それはどういうことです?・・・まさか、・・・僕たちを殺・・・」土田は怯えたように言いかけた。
「そういうこってすな。お二人には心中という形で死んでもらいまっすわ。土田さんは佐藤を殺したことと、システム破壊の責を負って、それを助けた旧友の深谷さんと海へ、それで全ては終わりですわ。警察も釈然とはしないでしょうが、その間に、私は消えさせてもらいますよ」
山本は既に狂っていた。滋賀F社を退職した時点で歯車が狂いだし、自制心が消えてしまった。あとは復讐の鬼と化し、狂気の波を打ちはじめた。佐藤を殺した時、山本は完全におかしくなった。だが、システム破壊に関する知識は決して欠乏していない。偏執的な人間が陥りがちな一点集中の道に進んでいたのだ。
「ちょっと、待ってください」土田は怯えた。もともと臆病者の彼にとって今の言葉は恐怖であり心臓が高鳴った。それでも少しは虚勢をはるかのように言った。
「彼女まで、巻き込むのは・・・」
「だめですな。彼女は小川の一件を知っているんですから」
「それじゃ、そっちの事件はどう対処するんです。星野さんのことまで僕のせいには出来ないでしょう?」
「するどい。さすが土田さんですな。そっちの方はあんたらに罪をなすり付けることはできへんので、小川自身に責任をとってもらいましょか」
「そっ、それはどういう意味だ。山本、お前・・・」小川が山本に迫ろうとしたとき、突然二人の男が部屋に入ってきて、小川を羽交い締めにした。一人はさっき部屋の前に座っていた若くてチンピラ風、もう一人は少し年をとった角刈りの男でどうみても暴力団タイプだ。
「きさま、裏切りやがったな!」小川はすまし顔をしている山本に怒鳴ったが、どうにもできなかった。
「そういうわけやおまへんで、そちらの方々が決めたことなんで」
「くっそ・・・・・・離せ、離しやがれ」と言っても二人の男は無表情のまま小川を拘束している。
「それじゃ、行きましょか」角刈りの男が小川をもう一人の男が土田を後ろ手に部屋を出させた。山本は睨みをきかす夏美を無理矢理引っ張りだし、六人は静かに廊下を進み一階へ降りた。 土田はここで抵抗でもして逃げようかと思ったが、夏美がいることだし、第一、相手がヤクザでは気が萎えてしまう。もう少しチャンスを窺おうと玄関から外へ出た。
六人は暗闇の中にたたずんだが、突然眩しい閃光が彼らの視界を絶った。必死で手をかざし光を遮ろうとした時、拡声器から響く大きな声がした。
「お前たちは包囲されている。人質を解放してすみやかに投降しなさい」
山本は「くっそー」と言い、逃げようとしたがすでに背後には警官たちが忍び寄っていて、取り押さえられてしまった。二人のヤクザも激しく抵抗したが多勢に無勢でしかなかった。山本たちはついに“ノックダウン”した。
安堵感から土田は地面にへたり込んでしまった。その前に光を遮る影が伸びてくる。眩しいライトの中から現れた影は土田の前に来るとしゃがみこんで笑顔で言葉をかけた。
「無事でよかったよ」
「竹内さん・・・」
土田にはまるで神が君臨したかのように思えた。
4
複雑な連鎖は些細な偶然から始まっていた。全く異なる平行線を辿るはずだった二つの犯罪が土田の存在という事象のため複雑に絡み合ってしまったのだ。二人の犯罪者はその連鎖の枠にはまり、自ずと破滅への道を進んでしまった。結果論だが、逆に言えば土田の存在がなければ、これらの事件は違った結果を見せていたかもしれない。
今から二ヶ月前、土田が福島に来ていた時のことだった。その日は名古屋へ帰る予定であったが仕事のほうが思ったほどはかどらず、結局新幹線に乗ることが出来なくなってしまった。当然その日の宿など予約しているはずもなく、福島中のホテルに電話を掛けたが、当日の夜ではどこも空いてなどなかった。土田はよっぽどサウナでも行って一晩過ごそうかと思っていたが、それも気が進まず、ものは試しと新幹線の隣接駅・郡山へ行ってみることにした。新幹線は既に終電の発車時間を過ぎていたので、在来線の東北本線を使って一時間弱で郡山に着いた。そこで駅から電話帳を適当に当たり運よく空いているホテルを見つけることが出来た。少々高いところだったが、背に腹は換えられない。土田はチェックインしてから夕食というか夜食を買いにぶらぶら街へ出た。金曜日という事もあって十一時を過ぎていたが街はまだにぎやかだった。三十分ほどしてからホテルに戻った時、フロントの前で偶然の幕開けが始まった。そこで土田はある男女を見かけた。その時はあまり土田も気にしていなかったのだが、後日銀行でその男と再会した。それが小川誠である。その時点で小川は営業部に移っていたが、日野林たちに顔を見せにきたのだ。土田は小川を見てあの時の男だと思い出した。あの時の情景からある程度の察しはついていたのだが、構う気にはなれなかった。
だが、その数週間後、北邦銀行の女性行員が殺害されたという事件が発生した。土田もそれを知り、その女性が星野美和で、しかもあの時郡山で小川と一緒にいた女性だと気が付いた。土田も気に掛けずにはいられなかったが、どちらかと言えばことなかれ主義の土田である、面倒なことに巻き込まれるのは御免被りたいため、それ以上係わることは避けようとした、だが、そうもできない事態になった。それが磐梯山の一件である。蛇平で再び小川を見かけ、かたわらにはまた女性が。しかも、その女性はどこかで会った記憶が存在した。単に銀行で見かけたという覚えではなく、その日土田はずっと考えていたが思い出せなかった。しかも、翌日吾妻小富士でその二人に再会し、土田は持っていた使い捨てカメラに撮っておいた。家に戻ってから土田はあの女性が、昔の同級生ではないかということに気付き、調べたところ、深谷という高校時代の友人にぶちあたった。このへんは、竹内の推測がずばり当たっていた。竹内に言われ土田の家まで調べに行った伊藤は高校卒業のアルバムに夏美を発見したのだ。土田も同じようにアルバムで夏美のことを思い出した。当時クラスメイトではあったがそれ程親しい付き合いをしていたわけでもない。時折会話をする程度であった。高校時代と現在とでは随分大人びいて、女らしくなり美しさもましていた。髪も高校時代はショートだったのに今は流行りのロングになっていたので、一目で分からなかったのも無理はない。だが、当時の面影は当然残っており夏美だろうと推測していた。確認のため土田は北邦銀行の人事システムのデータを「個人照会」という機能で調べ、確かに深谷夏美だと確信した。この時、小川誠と星野美和のデータも覗いていた。
殺された星野と小川の関係、しかも深谷と星野は融資課であった。その背後に何かきな臭いものを感じた土田は、今度ばかりは放っておくことが出来ず、夏美を直接訪ねることにしたのだ。もちろん、東里美に話した「危険なことに足を突っ込もうとしている女性」とは夏美のことである。土田は仙台・松島観光を兼ねて自分の車で福島へ赴いた。仕事があけた日、夏美の住む北邦銀行の寮へ行ったが、たまたま彼女は実家へ戻っており、仙台の中山まで足をのばしたのだ。土田はそこで夏美に会うことができ、小川に対する疑念を語った。夏美の方も蛇平のペンションで見た男にわずかながらの見覚えがあったような気がしていたらしいのだが、まさか名古屋から土田がこんな所に来ているとは思いもよらず、土田の訪問には驚いていた。が、それ以上に小川の話は彼女を驚愕させた。夏美は社の飲み会で小川と親しくなり、そのまま付き合うようになったのだ。小川は名前のごとく誠実で優しさをいつも漂わせていたが、その裏にどす黒いものがあるなど夏美は全く思ってもみなかった。土田の話は彼女にとって半信半疑だった。むろん、星野の事件は知っていたが、それが小川と関係あるなどとは到底信じられない。しかも、土田の話は推測ばかりで証拠は何もない。その場はひとまず土田の話を聞いただけという形で終わったのだが、夏美のほうは釈然とせず、悩んだあげく小川にそれとなくきいてみることにしたのだ。
星野との関係をきかれた小川は驚いたところではない。誰からそんな話をきいたのか夏美を問い詰め土田の存在を知ったのだ。小川は人事システムで作業している土田に関してはほとんど記憶になく、夏美に言われてそんな男がいたなと思い出したぐらいだ。小川は仙台の暴力団と関係がありそこに対し不正な融資を図っていた。当然、謝礼は受け取っていたのだがその手引きを星野にも行わせていた。むろん、星野のような若い女性行員が金の出入りを上手く操作できるわけではない。融資課の中にも小川の仲間が存在していたのだ。星野も小川のためにと危険な作業をこなしていた。ところがある日星野は小川が自分と結婚する意思などないということを知り、怒り心頭、すべてをばらすとのたうちまったため、小川は星野を十月十二日の夜、話をつけようと誘い出し飯野町まで連れていき殺害したのだった。
一方、土田はもう一つの事象にぶつかっていた。そう、システム破壊プログラムである。土田はやらなければならない仕事の合間にその仕事に関するプログラムやまた全然別のプログラムなど、ついついのぞいてしまい、内容を把握するまで徹底的に調べてしまう癖があった。このプログラムを使うとなぜそういう結果がでるのか?一度気になると納得できるまで追求しないと気が済まないのだ。のめり込むととことんのめり込むのだ。そんな気質のためいろんなプログラムを見ていた時、たまたまシステムの中にあった不可思議なCLと奇妙な絵を発見したのだ。そのCLはコマンド集にも載っていないコマンドがあり調べだしたのだ。だが、どうしても分からず、ある日SFLの大西に別のことで質問している折にきいてみた。もちろん、大西がそのCLの作成者の仲間とはつゆと知らなかった。ギクリとしたのは大西の方である。なぜこのCLに土田が気付いたのか?目立たないように何気なくシステムの中に隠したのに?それよりもこのままではまずいことになると焦った。しかも、悪いことにその席にたまたまSFLの佐藤が通りかかったため、佐藤もそのCLの存在を知ってしまったのだ。これではますます具合が悪い。
CLの作成者、山本克也の計画はすでに始まっていた。山本は東京のF社から滋賀F社へ転勤してきて、S銀行の人事システムの開発に労を費やした。が、そのころから佐藤との折り合いは悪く、時々対立することもあった。自分自身コンピュータの天才と思っていた山本はただ指図するばかりで、ろくに何もできない佐藤の存在は自分の能力を軽視する愚か者としか思えず、佐藤に対する苛立ちは徐々に憎しみへと変化していったのだ。そのころから、山本は既にシステム破壊のプログラムを作り、システムの中に忍ばせていたのだ。S銀行の仕事は何とかうまくいったものの次の幸徳銀行の仕事に関しては佐藤との確執は激化し、ついに退職することになった。だが、退職するだけでは気の済まない山本はついにシステム破壊のプログラムを実行させることを決意し、佐藤のいやSFLの信用を落とすことにしたのだ。もちろん、退職してしまっては直接操作が出来なくなってしまう。しかし、こんなこともあろうかと山本は先手を打っていた。それが大西悟である。山本は大西を入社時から手名付け自分の意のままに扱えるようにしていた。大西のほうも大のパソコン好きで山本の力には感服していた。そして人事システムの破壊は山本の誕生日に向け“カウントダウン”された。
まずは磁気テープへの退避のプログラムを操作し、システムダウンの対処を無にしておいた。だがそこで、土田という邪魔な存在が現れ、そのことは佐藤のことも含め大西から山本に伝えられた。山本の方は今から後戻りは出来ない。たぶん、佐藤は誰にもこのことを言わず、自分で解決するだろうと山本は考え、これ以上他の人に知れ渡る危険はないと思い、この二人をどうするか思惑にふけった。そして二人とも・・・
そして二つの平行線は一本の連鎖となり絡み合ったのだ。大西が福島へ出掛けた時、山本もこっそり福島へ来ていた。その時、旧友の小川に会いたいと思い、彼を呼び出して一杯飲むこととなった。その酒の席で小川はつい土田という名前を口にしてしまった。もちろん、殺人の事はいくら酔っていても洩らさなかったが。それを聞いた山本はそんな不思議な偶然に驚きつつも、これを利用しようと考えたのだ。悪人の心とは引きつけ合うものなのか、山本は小川を問い詰めついに殺人のことまでも聞き出した。山本は自分も土田には恨みがあるので、協力しようと言いだした。小川の方もどう土田と夏美を処理するか困惑していた。相手の暴力団に対しては全て上手くいっていると誤魔化していたので、どうすることもできない。そこで渡に舟と思い、山本と協力することにしたのだ。もちろん、山本の企みなど小川は全く気付いていない。
まず、夏美を呼出し拘束した。そして山本は彼女に土田の家へ電話をさせ当日の彼の居所を聞き出した。大阪にいることが判明、山本は夏美を連れ大阪へ出向き、土田を呼び出した。この時、小川は適当な理由をつけて組員を一人貸してもらったその後見張りの役にも組員に協力させていた。いきなり、夏美が大阪へ来たことに驚いた土田はその背後の動きも知らず、事件の渦中に踏み込んでいった。土田は誰にも何も告げずひとまずホテルにチェックインし、夏美が指定した場所に向かった。この時、たまたまというか虫の知らせだったのか、土田はいつも携帯している電子手帳をアタッシュケースに入れて外出したのだ。このことが運命の分かれ道になるなど微塵も思ってはいなかったのだが。夏美のところに行くとなぜか山本ともう一人やくざらしき男がおり、驚くまもなく土田は捕まってしまった。夏美は怯えた悲しい目をして静かにうつむくだけだった。山本は仙台へ戻り小川が準備していた松島の銀行の研修所へ二人を軟禁、山本、小川、そして組員が交代で二人を見張った。
山本はすでに土田を殺しシステム破壊、佐藤殺しの罪も彼に着せることを考えていた。再び山本は関西へ向かい、佐藤を電話で呼び出したのだ。京阪レークランドで佐藤を待っていたのは組員の一人で、そこから彼に連れられなぎさ公園へとやって来た。山本は佐藤が現れると有無を言わさず殴りつけ殺害した。山本の狂気は既に止められないものになっており、それを見ていた組員も震え上がっていた。
再度松島へ戻り、身を潜めながら大西と連絡を取って着々とシステム破壊の準備を押し進めていったのだ。一方小川はなぜ二人を生かしておくのか分からずやきもきしていたがここは山本に従うしかない。しかし、山本は小川の存在をも疎ましく思い始め消してしまおうと図っていた。小川が星野を殺害したことを暴力団側に告げ口し、小川も亡き者にしてしまう段取りが進められた。暴力団側は人殺しまでされてはどんな飛び火を受けるか分からないので、愛憎のもつれから小川が星野を殺し、小川も数カ月後自責の念にかられて自害をしてしまったように見せかけるつもりであった。
———そして運命の誕生日が来た。
5
もし、警察が今回の事件、特に土田の失踪事件に最初から介入していたとしても、これほど見事に解決することは出来なかったろう。全て竹内の力である。一石二鳥、竹内にとっては土田を助けるという目的もあったので一石三鳥となった。
竹内が解決できたのはやはり内部からすべての成り行き、事柄を見ていたし、電子手帳という重要な手掛かりもあったからだ。警察は佐藤殺害事件と星野殺害事件が同一線上にあるなどとはこれっきしも考えていなかった。まあ、それは当たり前だろう。滋賀と福島という離れた土地の事件だし、共通点の北邦銀行についてもよっぽど執念深く、そして運よく捜査した上でなければ分からない事実のはずだ。しかも、北邦銀行の中でシステム破壊という陰謀があるなど警察は知る術もない。だが、これらの事件の中心に土田がいると気付いた竹内は警察より、何手も早く事実と謎の積み重ねが出来た。それに土田が加害者でなく被害者であるという確信が、警察の持つ土田−佐藤殺害犯という先入観を打破していた。
竹内も最初の時点では謎だらけの展開に完全に暗中模索の状態であった。小川、深谷、星野の名前が出てきた時、その三角関係の意味に気付いた時、霧のなかから一歩足を踏み出すことが出来たのだ。夏美と小川は付き合っていた。星野は殺されていた。土田がある女、“危険なことに足を突っ込もうとしている”女を気にしていた。この事実を突き合わせれば、危険な女は夏美で、なぜ危険かと言えば星野が殺されたという事件がそれを示唆する。その危険とは夏美も殺される、つまり夏美と同席していた小川が危険な人物でその理由は彼が星野を殺害していたからと論理的に結論付けられた。だが、これに佐藤殺害事件を関連付けるのは無理な話だった。小川と佐藤の間に面識があったとしても殺害までに至る関係は皆無に等しい。第一、福島から滋賀まで殺しに行くとは考えにくく、明確に調べなくても殺害の機会などあるとは思えなかった。しかも、そこにシステム破壊の陰謀まで付け加えるのはもっと無理な話だ。小川がコンピューターを熟知していないことは周知の事実だから。
土田の存在だけでは事件の全貌がまだ霧の中だった。もう一つのキーパズルがあるはずで、それが何か竹内には分からなかった。システムの破壊、これは根本的に福島の星野殺害事件とは別のものだと考えた。まず、誰がこれを作製したか?竹内は山本という人物がずっと気になっていた。もちろん、これと言った根拠はないが、福谷が何か山本という人物に対し隠しておうという態度が竹内には解せなかった。日野林は別段山本のことをあっさり言ってしまった(これは単に日野林の性格という問題だけだったが)のに対し、福谷の態度は煮え切らない様子で、システム破壊の事実が露顕していない時から、山本のことには触れたがらない様子が竹内の疑念を生み出していたのだ。上司とうまくかみ合わず辞めてしまった人間、高度なゲームプログラムを作った人間(SFLのゲームを山本が作ったというのは単に憶測であったが)というイメージが、システムを破壊する偏執的な人間というイメージと合致し、山本という人間が脳裏のこびりつき始めたのだ。佐藤の殺害はこの延長上にあるのではないか、山本は佐藤に対し恨みを持っていると考えてもおかしくはない。そしてシステム破壊を企てているのが山本でその事実を佐藤が知ったとすれば、殺害の動機はより明確になる。だが、ここでまた元の命題にぶつかった。このシステム破壊・佐藤殺害事件と星野殺害事件が結びつくのだろうか?そのつながりは土田の存在という事象だけでは連鎖の結びつきが希薄すぎる。
そこに、決定的な事象が浮かび上がった。山本と小川は知り合いだった。このことが全ての霧を払いのけ、パズルを完全に埋めさせることが出来たのだ。二人が知り合いなら、もし、互いの利益を考え結託をしたと推測すると、その二人の障害の交差点に土田がいるという推論に達することができる。
複雑な連鎖の絡み、片方は土田でもう片方は小川と山本の関係、その三角形からなるつながりかたを理解出来れば事件の全容ははっきり見渡すことが出来る。だが、これを警察に理解させるには困難の極みであった。全く関連のない二つの事件が連鎖しているなど、頭が固く融通の利かない、更に管轄という問題のある警察に納得させるのは、素人の突飛な考えという先入観も付随してかなり難しかった。竹内の考えは斉藤警部補を通じて福島県警にもたらされ、竹内も同行し た。竹内の考えは県警の人たちにとってはテレビの見過ぎだと馬鹿にされるのみだった。だが、 斉藤は竹内の秘める力を見いだし、意見を聞くよう懇願した。斉藤も福島県警からみれば門外漢 である。福島県警の人たちは大津の事件など関係ないと目障りな視線を投げつけていた。竹内はその対応に堪忍袋の緒が切れた。福島県警が協力しないなら自分が勝手に動く、小川を問い詰め土田の居所を吐かせると脅迫まがいの強い口調で対面した刑事たちに怒鳴った。これには刑事たちも驚き、慌てた。すでに福島県警では小川誠を星野殺害事件の犯人と見て内偵していた。逮捕しなかったのは小川の背後にある不正融資と暴力団の絡みも一網打尽にしようと捜査を進めていたからだ。土田を救うことが先決な竹内にとって星野殺害やその背景など関係ない。だが、警察にしてみれば竹内にそんな暴挙をされたのでは今までの苦労が水の泡となる。だからといって竹内を拘束することも出来ない。斉藤の進言もあり福島県警はしぶしぶ折れることになった。内心では素人に出し抜かれ苦々しく思っていたが、小川逮捕に向け準備を開始した。
斉藤警部補を納得させた理由の一つに山本の所在があった。竹内は山本の足取りをしらべるよう斉藤に頼んだ。滋賀県警でも佐藤殺しの解決が進まなければ以前の退職者などを洗っていつかは山本に突き当たるはずであるが、竹内の協力で早い段階に彼を突き止めたのは思わぬ収穫であった。すぐに滋賀の方で山本の所在を探ったが、現在自宅にはおらず、いどころも全く不明であった。その情報がもたらされ斉藤は山本犯人説の信憑性を信じることにしたのだ。
しかし、タイムリミットは迫っていた。十一月二十二日が山本の誕生日だという事実は竹内を焦らせた。いつシステム破壊が実行されるか分からなかったが、二週間前から退避プログラムの画策が行われているからには山本の誕生日がXDAYという可能性は高かった。
さてどうするか、山本の居所は全くつかめない。知っているのはたぶん小川だけなのだろう。そこで竹内は一か八か賭けてみることにした。小川を直接問い詰めればいいのだが、県警に止められたし、逆におおっぴら逮捕もできない。背後の暴力団が見張っている可能性もあるので、それでは土田たちが危うくなり、証拠のほうも隠滅される恐れがあるからだ。そこで小川に罠を仕掛けることにした。ただ、これには各人の協力が必要だった。警察の協力は何とか得ることが出来た。続いてはSFLと北邦銀行である。システム破壊を未然に防ぐことができたSFL・福谷たちはこのまま穏便に事実を葬りさろうとしたが、土田たちの救出のためには協力せざるを得なかった。しかも佐藤が殺害されている以上、その背後にある山本の犯罪を隠し通すことは不可能だった。福谷は会社の名誉よりも土田たちの人命を尊重してくれたのだ。北邦の説得も難しかった。身内の人間から殺人犯が出れば銀行の信用は落ちてしまう。だが、小川の犯行を隠すことなど出来るはずもなく、また斉藤たちの説得もあり逡巡していたものの竹内に協力することになった。
まず、大津側の共犯を探すため野田に協力を仰いだ。野田は入社して一年目なので山本との接点もあまりなくシステム破壊には携わっていない判断された。野田に二十一日の夜から徹夜で大津を見張らせ誰がシステム破壊を実行するか監視させた。福谷はシステム破壊に関係するプログラムを発見したが、肝心の実行プログラムは無かった。犯人は実行当日にそのプログラムを移入させるつもりだと福谷は提言していた。そして二十二日共犯の大西が朝一番でやって来たのだ。 一方全てのデータ等を正しく退避させシステム破壊のプログラムが実行されたように見せ掛けた。そして、小川をわざと人事部に呼び出しておき、その現場を見せたのだ。竹内はシステム破壊に小川は関与していないと考えていた。小川自身銀行に恨みは無く、逆に銀行を窮地に陥れることはしないはずだ。自分の利害と関係ないところで。笹久間や福谷はあたかもシステムダウンがあったかのように小川の前で振る舞い、小川を慌てさせた。小川は矢でも立ってもいられなかったが、ひとまず退社の時間まで待ち、それからすぐさま出掛けた。慌てているせいか全く周りに気を配る余裕など無く、尾行が付いているなどつゆほども知らなかった。小川の行動は渡辺刑事なり、加藤共生が素知らぬ顔でずっと監視していた。小川が車に乗ってからも二台の車が感ずかれないように跡を追っていた。その一台に竹内は乗っていた。
小川の車が仙台で降りた時点で、警察は小川が松島の研修所へ向かうものと予測した。北邦に関する研修所、保養所、また小川の立ち寄りそうなところは既に調べ上げていた。仙台県警、地元の警察にも応援を頼み、密かに松島の研修所の周りを包囲した。そして最後の“カウントダウン”が始まったのだ。
6 11月23日、土曜日、午前10時25分
逮捕された小川は観念したのか全てを白状した。彼の供述により背後の暴力団も一掃された。山本の方も今までの意気込みは萎え、おとなしくしたが、供述は曖昧で既に狂人と化していた。山本がシステムを破壊しようとしたことはどんな罪になるのだろう。器物破損未遂とでもなるのか?現在の日本はこのような情報処理に関する法律はまだ確立されていない。
竹内はその後の二人に関しては全く興味がない。今回の目的は土田を見つけ出すことで、その目的は達成されたのだ。竹内はいつも事件の事後については関心を持たないようにしている。犯人が捕まればもう竹内とは関係がなくあとは警察の仕事なのだ。それに事件が解決してしまえばその時点で好奇心や興味は失せてしまう。事件後のごたごたした情況やそれに伴う周辺の状況変化を見たくはない。ワイドショーでやっているような遺族や加害者の家族へのに不埒なインタビューは嫌悪を感じ、なるべく事件のことは忘れるように努めている。それは「専務殺害事件」で味わった悔恨と哀惜が竹内の人生観を変えていたのだ。
土田の事情聴取は簡単に済まされた。来週、再度福島に来ることになっているので、その時詳しく話をきくことになった。まずは、二週間も監禁されていたので、その疲れを癒すこと、また母親に元気な姿を見せることが大事と警察も考えてくれたのだ。
それと、警察側であるが今回の事件の解決に当たって、当初は竹内を軽視していたものの、見事彼の推理が当たった暁には掌を返したように低姿勢で感謝の意を述べていた。現金なものである。警視総監賞に値するほどの感謝状でも贈りましょうかと言われたが竹内はそれを固辞した。竹内は自分が表立つことを本意とはしていない。
土田も含めた五人は昼前に新幹線に乗って名古屋へ向かっていた。加藤千尋も渡辺史子も土田の無事な姿を見た時は涙ものであり、加藤共生も心から喜んでいた。今はその三人は疲れて眠っている。竹内と土田だけが話をしていた。土田の顔は伸びていた髭の代わりに小さな絆創膏が口の上に貼ってある。慣れないホテルの安全カミソリで切ったらしい。ただ、顔色はよく昨日までのことが嘘のようだった。
「二週間がまるで一年のような感じだよ。ずっと閉じ込められていたから、時間の感覚が麻痺しちゃってね」土田は窓の外を見てた視線を竹内に移した。
「俺の方は一日一日が短かったよ。時間は去っていくが土田さんの行方はようとして知れない。今回ほど難しい事件はなかったよ」
「でも本当によく僕を見つけることが出来たね。やっぱ竹内さんは天才だよ。こういう面に関しては」
「こういう面とは、失敬な。どんな面でも俺は天才だよ」
「ははは、ごめんごめん。でもとにかく感謝するよ。命の恩人だから」
「まあね。あのさ、事件とは直接関係ないんだけど、一つ分からないことがあるんだ」
「んっ、何?」
「どうして早野部長たちは俺に君を探させたのかな?昔のことを知っていたとしても、一社員にこんなことをさせるのは変だし、そう言えば夏の事件のことも知っていたな」
「ああ、そのこと。前に僕が早野部長と退職の話し合いをしたっていうことは話したろ。その時部長がきいたんだ。『会社で一番信頼できる人物は誰かって』って。だから、『竹内さんです』って答えたんだ。そのついでに昔の事件のことも少し話したんだ」
「そうだったのか・・・・・・」竹内は今の土田の言葉が嬉しかった。土田との間に何か見えない繋がりがあるような気がした。恰好良く言えば男の友情と言うのか。
「さあて、命の恩人としてはかなりのことをしたと思うんだが、このツケは高いよ」
「またっ、じゃさ、いいものあげるよ。今やっている人事のシステムに「検索」っていうのがあるんだよ。年齢とか血液型とか学歴とか、その個人に関するあらゆる情報をある条件にそって抽出するプログラムなんだ。それで、『二十五歳以下、独身の女性』というリストを写真付きで、竹内殿に差し上げましょう」
「そりゃ、ありがたいや。ははは・・・・・・」
二人は笑った。ここ何日かぶりの心からの笑いだった。新幹線の窓の外、安達良山の山系には真新しい白い雪がキラキラと輝いていた。
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